VOL.81

道南全域の急性期医療を担い、
患者や家族、そして地域からも
喜ばれる救急医の道を選んだ

函館五稜郭病院
集中治療センター(救急担当兼務) 小林 慎氏(58歳)

北海道出身

1984年
弘前大学医学部卒業、第一外科入局
1988年
弘前大学大学院医学研究科修了
弘前大学医学部附属病院 集中治療部
1989年
弘前大学医学部 第一外科
1990年
ピッツバーグ大学(アメリカ)移植部門 留学
1992年
弘前大学医学部 第一外科助手・講師
2004年
函館五稜郭病院 入職(外科医長)
その後、外科主任医長、外科科長を歴任
2014年
函館五稜郭病院 診療部長
2015年
函館五稜郭病院 集中治療センター
センター長兼務
2016年
救急担当・フライトドクターを兼務

臓器移植への興味から始まった「これまで救えなかった患者を何とかして救いたい」という小林慎氏の思いは、30年を経た今、急性期医療や救急医療を担う医師となって結実した。函館五稜郭病院の診療部長、集中治療センター長を兼務しながら救急担当を希望したのは、故郷の函館市で必要とされ、誰かがやらざるを得ない役割だったからと語る小林氏。常に新しいこと、困難なことにチャレンジし続けるその姿を追った。

リクルートドクターズキャリア1月号掲載

BEFORE 転職前

臓器移植に興味を持ち
アメリカ留学も経験
帰国後も新たな挑戦を続けた

大学病院での診療と並行し
臓器移植の実験にも携わる

小林慎氏は大学病院や関連病院での診療、留学などの後、2004年に函館五稜郭病院(北海道函館市)に入職。現在は診療部長、集中治療センター長を兼務し、救急担当医としても活躍している。

大学医局に長くいて現場から離れてしまうより、自分の知識・技術を生かして患者を治したい。そうした思いで転職した小林氏は、医療の最前線を日々実感できる環境にいられると満足そうだ。

小林氏は函館市出身で、小学生の頃に同院へ入院した体験などから医療の道を志した。中学生になったときは、臓器移植の分野に進むことも決めていたという。

「ちょうど日本初の心臓移植手術が札幌で行われ、大変な物議を醸した頃です。私は心臓移植をテーマにした小説も読み、医療の可能性という面からこの分野への興味を深めていきました」

その後、小林氏は弘前大学(青森県)に入学し、医学部卒業後は第一外科に入局する。同科は循環器や消化器を中心に幅広く外科手術を行いながら、脳死を前提とした肝移植を行う実験も続けていた。

「当時の日本は脳死後の臓器提供における条件整備が進んでおらず、私たちがやっていたことは実験の域を出ません。そんなときアメリカのピッツバーグ大学に留学中の先輩から、臓器移植手術が毎日行われていると聞いて驚きました」

同大学は「臓器移植の父」と呼ばれたスターツル教授が在籍し、臓器移植を数多く行っていた。小林氏もその先進的な環境で学びたいと考え、1990年にピッツバーグ大学への留学を決めた。

留学先のピッツバーグ大学で
医療の新たな可能性を実感

留学後、小林氏は毎日のように行われる移植手術をサポートして経験を積むと同時に、南カリフォルニア大学の岩城教授が率いる研究チームにも参加。臓器移植後の患者に拒絶反応が出ないかどうかを調べる方法の確立にも協力した。

現地ではヒヒからヒトへの異種移植、肝臓と小腸の同時移植など、歴史的手術の成功も相次いだ。

「私が留学していた間でも臓器移植の進化はめざましく、日本で開発された免疫抑制剤の導入や臓器の保存時間が飛躍的に延びる保存液の使用など、医療の可能性を実感できる毎日でした。そうした環境に身を置けたことは、医師として大きな喜びでしたね」

2年近くが過ぎ、大学の教授から帰国を促す連絡が入った。留学したまま研究を続けるかどうか迷ったものの、小林氏は医局の期待に応えて帰国。大学病院で助手そして講師を務めることとなった。

臓器移植法に阻まれて
食道がんの専門家を目指す

帰国した小林氏の転機は、1997年に施行された臓器移植法とともに訪れた。同法で小林氏が在籍する大学病院は脳死移植には該当しないことが決まったからだ。

「それならばと選んだのが食道外科・頭頸部外科でした。医局は消化器や循環器を主に扱っていましたが、中でも食道は手術も術後の管理も非常に難しい分野。その困難に挑戦しようと考えたのです」

臓器移植と同様、これまで問題となったことが克服できれば、より多くの患者を救うことになる。小林氏はそうした思いで、術後の患者の状態を客観的に解析し、改善点を探し、検討していった。

例えば食道がんの手術後、不安定な循環動態をどのように管理するのが適切かをデータにもとづいて検討。院内でのカンファレンスや学会発表を経て、エビデンスとして確立するに至ったという。

「しかし大学での研究や指導に明け暮れる毎日が続き、次第に臨床の現場から遠ざかることにジレンマも感じていました」

実家の父親も体調を崩していた頃で、故郷に帰ろうと考え始めていた小林氏。2001年から青森市内の関連病院で診療したことで、大学病院と異なる設備やスタッフでも食道がんの手術はできると自信も深まり、函館市内の病院への転職を決心したという。

「急性期医療の病院が希望で、函館五稜郭病院ともう一つの病院で迷ったのですが、子供の頃に入院した親しみもあり、院長(現理事長)に声をかけてもらった縁から、当院を選ぶことにしました」

AFTER 転職後

がん治療からICUでの管理
救急医療まで兼務し
医療の最前線を実感する

医師をサポートする
スタッフの意識の高さに驚き

函館五稜郭病院への転職で小林氏が期待したのは、今後も医療現場を離れず、力を発揮できること。給与や地位といった待遇面の希望はさほどなかったという。

「もともと地位よりも現場にいることを望んだのですし、大学医局より好待遇であれば、それに越したことはありません(笑)。逆に予想以上だったのは、医療スタッフや事務スタッフの豊富な知識とモチベーションの高さです。例えば看護師は学会参加や論文の共同執筆、資格取得に積極的で、院長もその支援に力を入れていました」

スタッフの教育に手間と費用を惜しまないことで医療の質が向上し、患者からの評価も高まり、病院経営も安定する。そうしたいい流れが続いていると小林氏。

「スタッフはそれぞれがプロフェッショナルな視点から意見を出しながら、医師をサポートしてくれるので働きやすいですね」

地位にはこだわらないという小林氏だったが、院長の中田智明氏が実力を適切に評価する方針のためか、入職後は外科医長、外科主任医長、外科科長、診療部長を歴任。食道がんの術後は集中治療センターで管理を行うことから、同センター長も任されている。

地域で必要な救急医療のため
自ら担当することを希望

そうした役割に「救急担当医」の肩書が加わったのは2016年のこと。2025年問題に向けて急性期医療に特化するか、慢性期医療を選ぶかという選択の中で、同院の救急医療にはてこ入れが必要だと感じていたと小林氏。

「院長も数年前から大学を通じて救急の専門医を募っていましたが、適した人材が見つかりませんでした。しかし救急を担う医師の確保は急務。それなら自分が手を挙げようと決めたのです」

これまでも術後に容体が急変した患者を多数診てきた自負、困難に挑戦したい気持ちが相まって、小林氏は自らのキャリアに新たなページを加えることにした。

「同じ医療圏にある市立函館病院は三次救急のはずが、救急車が集中して二次救急や一次救急も引き受けざるを得ない状況。当院が救急に力を入れることでそれも緩和できればと考えました」

さらに2017年には呼吸器内科の医師が救急専任となって加わり、現在は研修医も含めたチームとして診療に当たっている。

救急車を断らない対応力と
適切なトリアージを重視

小林氏が主導する同院の救急は救急車を断らない、救急隊員から希望があれば二次救急の輪番でなくても引き受ける、といった対応力が特色。特に同院が得意とする循環器分野の患者は、優先して搬送されるケースも多いという。

そうやって到着した患者を、救急チームが救急車の到着場所まで出迎え、隊員から直接引き継ぎを受けるのも同院の流儀だ。

「救急車の扉が開いたとき、患者さんの容態が変化している可能性もありますし、隊員から1分でも早く話を聞くためにも、救急車を出迎えるのは当院では常識です。また隊員たちとは互いに顔の見える関係を築くため、私は彼らの訓練や会合にも参加しています」

引き受けた患者はトリアージを行い、必要なら同院の各診療科、あるいは日頃から良好な関係を保っている市立函館病院の救命救急センターの三次救急へとつなぐ。

患者や家族、救急隊員から直接感謝の言葉を聞ける救急医療にやりがいを感じるという小林氏。

「学会やガイドラインから常に最新の知識を習得するなど勉強は大変ですが、これまで経験のない緊張感が続く現場は、まさに医療の最前線。現場を離れたくない私に最適な役割だと思っています」

小林氏は道南ドクターヘリの搭乗医師の一員でもあり、当番の日に要請があれば救急現場に向かう。 画像

小林氏は道南ドクターヘリの搭乗医師の一員でもあり、当番の日に要請があれば救急現場に向かう。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
道南で数少ない急性期医療を提供

救急医療による地域貢献と
人材育成を目指して

函館五稜郭病院の院長、中田智明氏が語る同院の方向性は非常に明解だ。道南地域には3つの二次医療圏があるが、三次救急は市立函館病院のみ。それに続く二・五次から二次に当たる高度急性期医療を同院が担うのだという。

「加えてがん診療連携拠点病院として高度治療を提供し、また医学生や初期臨床研修医の臨床研修施設の役割も果たしています」

その中でも力を入れるのが、先進的な医療機器の導入だ。道南でPET-CTやda Vinciを持つのは同院のみとすでに先駆的な存在だが、2017年中にはPET-CTを新しいモデルに更新。精度の高いカテーテル検査および治療に欠かせないアンギオ装置も、シングルからバイプレーンへの高性能化と台数増を予定する。

こうした機器を活用して早期診断や低侵襲の治療を行うことで、同院での健診や治療を希望する患者が増え、症例数も多くなり、そこに期待した研修医が集まる好循環が生まれていると中田氏。

「2018年4月までに主なモダリティを一新して、新専門医制度でも困らない豊富な症例数を確保し、高度急性期医療、がんの高度医療、臨床教育の3本柱にさらに磨きをかけるつもりです」

一方、同院は高度急性期医療に伴う救急医療にも力を入れており、それを主導する小林氏には大いに期待していると中田氏はいう。

「当院には独立した救急部門はないものの、救急車は月300件ほど受け入れています。小林先生が救急担当を兼務してくれたおかげで、救急外来でのトリアージが効果的に働き、各専門医との連携もスムーズになりました」

並行して救急外来と隣接する形でICUと手術室を設置するなど院内施設を整備。2017年10月からは専任の救急担当医も配属されて、救急科開設に向けた準備も着々と進んでいるようだ。

「救急医療による地域貢献はもちろんですが、臨床実習や初期研修を通じて若い医師にも救急を多く経験してもらい、教育面でも大いに役立てたいと考えています」

中田智明氏

中田智明
函館五稜郭病院 病院長
1983年札幌医科大学医学部卒業、1987年同大学院修了。聖トーマス病院レーン研究所(イギリス)心臓血管部門に留学し、カルガリー大学医学部・アルバータ大学医学部(いずれもカナダ)循環器内科国際医学交流に派遣。1997年から札幌医科大学医学部第二内科(現:循環器・腎臓・代謝内分泌内科学)講師。2007年に北海道立江差病院院長、2008年札幌医科大学医学部内科学准教授、2013年函館五稜郭病院副院長兼医療部長。2016年から現職。

函館五稜郭病院

同院は月に約300件の救急車を受け入れ、年間約5600件の手術を行うなど、道南地域全体の高度急性期医療の一翼を担っている。診療科もここ数年で心臓血管外科のほか、道南唯一の腎臓内科を開設。脳神経外科や皮膚科での診療を再開するなど、地域に必要な医療を次々に提供している。設備投資にも積極的だが、それは健全な経営体制に裏打ちされたもの。勉強熱心なスタッフのサポートで医師が働きやすい環境が整っている点も特色だ。

函館五稜郭病院

正式名称 社会福祉法人 函館厚生院
函館五稜郭病院
所在地 北海道函館市五稜郭町38-3
設立年 1950年
診療科目 内科、消化器内科、循環器内科、
呼吸器内科、腎臓内科、小児科、外科、
消化器外科、小児外科、整形外科、
心臓血管外科、呼吸器外科、形成外科、
皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、
耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、
放射線科、病理診断科、歯科口腔外科、
麻酔科、脳神経外科
病床数 480床(一般480床)
常勤医師数 108人
外来患者数 933人/日
入院患者数 424人/日
(2017年11月時点)