VOL.87

内科の総合診療の力をもとに
透析患者を丁寧に診るという
自分の理想を実現できる職場

松山西病院
内科 藤岡英樹氏(53歳)

愛媛県出身

1990年
愛媛大学医学部卒業
岡山大学医学部第二内科 入局
同医学部附属病院(現 岡山大学病院) 勤務
高知県立中央病院(現 高知医療センター) 内科 研修医
1991年
姫路聖マリア病院 内科
1993年
岡山労災病院 内科
2010年
同院 退職
2011年
松山西病院 内科 入職

大学受験で医学部に入ったときも、医局入局や関連病院への派遣の際も、その場の流れに乗ってしまったと笑う藤岡英樹氏。しかし初めての転職、総合病院から透析を中心とした病院へのキャリアチェンジは、自分の将来を初めて主体的に決めた瞬間だったという。その決断のきっかけとなった人物と藤岡氏との高校時代から続く不思議な縁から紹介しよう。

リクルートドクターズキャリア7月号掲載

BEFORE 転職前

患者を総合的に診ていく
内科医として診療を続けたが
時代がそれを許さなくなった

偶然の出会いをきっかけに
想定外だった医師の道へ

あの日あの場所での出会いがなければ、医師を目指すことはなかった。現在、松山西病院(愛媛県)で副院長を務め、内科を担当する藤岡英樹氏は、同院院長の俊野昭彦氏との不思議な縁を振り返る。

「もともとは薬学部や獣医学部、農学部が志望で、生物への興味からバイオ技術を用いた医薬品開発に携わりたいと思っていました」

だが共通一次試験の後、二次試験対策用に赤本を買うため外出した藤岡氏は、偶然、高校の同級生だった俊野氏に会い、考えてもみなかった道を選ぶことになる。

「私は2度目の受験でしたが、俊野先生は当時すでに愛媛大学の1年生で、自分が所属する医学部の面白さをあれこれ話してくれ、生物に興味があるなら医学部が一番だろうと助言をくれたのです」

言われてみれば、医薬品開発で生物と接する機会はほとんどなく、それなら医学部の方が自分の希望に近い。そう納得した藤岡氏は、最も身近だった愛媛大学医学部の二次試験を受けて合格した。

「結果的に俊野先生の後輩になりましたが、お互い忙しい毎日でその後の接点は特になかったですね」

患者一人ひとりの話を聞き
総合的診療ができる医師に

藤岡氏は在学中、患者の体と心を総合的に診る医療、地域に根ざした医療を目指すようになる。

「生物や生命に興味があって入学した医学部ですから、それが患者さんに対する全人的診療、最期の看取りまで含めた地域医療への興味につながったのでしょう」

卒業後、友人の紹介で岡山大学医学部の第二内科に入局した藤岡氏は、医局の関連病院で研修を受け、呼吸器内科や消化器内科、血液内科など幅広く経験。さらに2、3年目は別の病院の内科に移って多くの患者を診るようになり、消化器内視鏡も現場で医師の指導を受けながら修練を積んだ。

「内科に配属されたのは偶然でしたが、やってみると外科よりも患者さんを総合的に診ることができ、一人ひとりの話を聞きながら診療できるとわかり、このとき内科を専門にしようと決めました」

その病院では内科は細分化されておらず、藤岡氏の上司も患者を総合的に診るよう勧めてくれたため、循環器も消化器も血液も糖尿病も柔軟に担当できたという。

その後、藤岡氏は大学に戻って専門分野の研修を受ける予定だったが、病院側の都合で1カ月早く退出することになり、医局の受け入れ準備が整うまで岡山労災病院で診療することになった。

「当初は1カ月後に戻すという約束でしたが、声がかからないまま数カ月が過ぎ、こちらが大学に連絡すると『しばらくその病院にいてほしい』と頼まれて(笑)」

内視鏡を使えたため、院内で高く評価されていると説明を受けた藤岡氏。自身も前院と同様に総合的な診療に取り組むことができ、他の診療科との連携、CTをはじめ各種検査が院内で可能な点などメリットを感じていたという。このため同院での勤務を承諾し、それが17年続くことになった。

理想の医療を実現するため
旧友からの依頼に応えた

それでも時代の流れから、同院でも患者を総合的に診るやり方は難しくなったと藤岡氏はいう。

「診療科も次第に細分化され、院内で患者さんを最期まで看取るのではなく、地域の医療機関に紹介するようになっていきました」

しかも地域の基幹病院だけに忙しく、朝から夜まで働き続けるには体力・気力の面で不安も感じ始めていた頃、藤岡氏のもとに俊野氏から連絡があったという。

「松山西病院で院長を務めているので手伝ってくれないか、という内容でした。そこは透析医療が中心で、私は主に透析の患者さんの内科全般を診ることになりますが、複合的な疾患も多く、総合的な診療を実践できると思いました」

院長の俊野氏からも、藤岡氏がやりたい医療を実現してほしいと請われ、地元に戻るというより、自分の理想を実現するためとの思いが強かったと藤岡氏はいう。

ちょうど現場では後輩が成長し、患者さんを任せても大丈夫と思える時期と重なったことから、2010年12月に岡山労災病院を退職。翌年4月から藤岡氏は松山西病院の内科に入職した。

AFTER 転職後

自分のやりたい医療のため
透析患者の複合的な疾患にも
詳しい内科医へと成長した

自分の将来を初めて
主体的に決めた今回の転職

大学受験から医局への入局、派遣先の関連病院選びに至るまで、その場その場の流れに乗ることがほとんどだったという藤岡氏。

「当院への転職で、初めて自分の将来を主体的に決めたかもしれません。それも自分がやりたい診療のために移ったのですから、いい転機になったと考えています」

ただ藤岡氏の転職当時、同院の状況はあまり芳しくなかったようだ。地域には昔ながらの透析のイメージが根強く「治療を受けてもいずれは死に至る病院」と受け止める人も多かったという。

「そんな中でも当院を受診してくださる患者さんはいましたし、お見えになった方を一人ひとり実直に診ることでしか、信頼回復はできないと感じていました」

これには透析患者の内科疾患を総合的に診て、個別の診療科では気づかない不調やその原因を探り、適切な治療を行う藤岡氏の診療は大いに役立っただろう。

中には基幹病院で心不全末期と診断された患者が、実は甲状腺異常が原因というケースもあった。このときは甲状腺の薬で心臓の症状も改善し、喜ばれたそうだ。

また看護師を中心に各スタッフが成長し、患者が満足できる医療を提供できたことも評価向上に貢献したと藤岡氏は説明する。

「これは当院の看護部長の力に寄るところが大きく、物事の良しあしをきちんと見分けて、相手が十分に理解するよう伝える人間力は尊敬に値します。私は流されるタイプですから、看護部長の力に助けられてばかりです(笑)」

透析患者特有の症状に詳しい
内科医は貴重な存在

同院は透析患者を抱えるクリニックと地域の基幹病院の橋渡し役で、以前から同院で維持透析を続けている患者のほか、クリニックで診るのは難しいが基幹病院に行くほどではない、といった症状の患者を引き受けている。

そうした多様な透析患者を診たことで、病気特有の検査値などにも慣れてきたと藤岡氏はいう。

「例えば電解質の検査で驚くような数値が出ることもありますし、薬効も一般の患者さんとは異なる部分があるので注意が必要です」

そういった透析患者の特殊性を理解した上で診断・治療ができる藤岡氏は地域でも貴重な存在だ。

「確かに以前いた基幹病院よりは検査機器が少なく、結果もすぐには出ません。しかしそのおかげで画像診断や検査値だけに頼らず、目の前の患者さんをじっくり診るようになりました。加えて体だけでなく、メンタルも含め総合的に診る大切さも肌で感じています」

同院での診療を通じて、患者を不幸にしない、一人ひとりと丁寧に向き合うなど、自分が思い描いてきた医療の原点に近づきつつある。藤岡氏はそう実感している。

患者数の増加は病院の信頼と
自分への評価の証になる

朝から夜まで働き詰め。土日も患者の容体次第で病院に赴き、それ以外の時間も呼び出しに備えて緊張が続く。同院に来てそのような生活は一変したと藤岡氏。

「仕事はおおむね定時に終わり、何より呼び出しがないので精神的にとても楽になりました」

一方で部下に任せていた資料の探索や雑務など自分でやることは増えた。集めた資料を読み込むのはやはり通常業務の後になる。

「前の病院はそれもできない忙しさだったので、今は自分の知識や興味を深掘りできる時間を楽しんでいます。とはいえ、地域に根ざした診療という観点からは、納得できていません。もっと多くの患者さんに来ていただけるはずで、それが当院が地域に信頼された証となり、私の診療に対する評価になると思うのです」

藤岡氏は同院でも内視鏡検査を担当。透析患者の健康維持や一般患者の健診にも貢献している。 画像

藤岡氏は同院でも内視鏡検査を担当。透析患者の健康維持や一般患者の健診にも貢献している。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
クリニックと基幹病院の橋渡し役に

入院できる人工透析施設の
強みを地域医療に生かす

人工透析を中心とする小規模な病院として運営されてきた松山西病院を、泌尿器科医で地元出身の俊野昭彦氏が院長となって継承。透析患者には複合疾患がつきもので、チーム医療が必須という考えから、医師の採用やスタッフの教育に力を入れ、2012年には新たな透析棟を作るなど並行して設備増強にも努めてきた。

「当院は入院可能な透析施設という強みを生かし、通常の維持透析に加え、透析の患者さんの内科疾患や骨折後の入院加療、基幹病院で手術を受けた後の療養的入院などもフォローしています」

地域のクリニックと基幹病院との間でクッション役となり、一般のクリニックで手に負えない症例に対応する、基幹病院でなくても対応できるケースは同院が引き受ける、といった役割分担を進めている。今後は地域の医療機関との連携を強化し、同院の存在をさらに訴えていきたいと俊野氏。

「幸い藤岡先生に来てもらえたので、透析の患者さんの合併症や内科の複合疾患が診られる体制は絶好のアピールとなっています」

同院は増床とも相まって患者数は順調に増え、医療の質を維持しながら受け入れ体制の充実を目指している。このためスタッフを含む職員教育ではモチベーションと医療の質の両面から向上を図り、各職場でのコミュニケーションを円滑にすると同時に、専門分野に関わる勉強会への参加は遠方でも積極的に支援しているという。

「当院がスタッフ教育に力を入れるのは、チームで行う透析治療の中で看護の役割が非常に大きいため。たとえ慢性腎不全は回復しなくても、体を清潔に保ち、褥瘡を予防するなど患者さんのQOLを高めれば、幸せな療養生活を送ってもらえますから。それに看護師の活躍で医師の負担が軽減され、私たちのモチベーションアップなどの効果も期待できます」

同院の基本理念は「笑顔のあふれる病院」で、これは医師やスタッフの笑顔で患者も笑顔になるという意味。その環境整備を俊野氏は着々と実現させているようだ。

俊野昭彦氏

俊野昭彦
松山西病院 院長
1990年愛媛大学医学部卒業後、同学部泌尿器科入局。市立宇和島病院泌尿器科、石川病院(現 HIT0病院)泌尿器科を経て、1994年にUniversity of Wisconsin 移植外科留学。帰国後、愛媛大学医学部泌尿器科助手、講師を歴任。2007年愛媛県立新居浜病院泌尿器科部長。2009年から現職。日本泌尿器科学会泌尿器科専門医、日本透析医学会透析専門医・指導医

松山西病院

1983年に50床の病院としてスタートした同院は1992年に医療法人嘉仁会となり、新築移転や設備増強などを行った後、2009年から現在の医療法人結和会による運営に移行。院長に就任した俊野氏のもとで、人工透析患者の複合疾患までカバーする病院として、地域に根ざした診療に力を入れている。シャント手術およびPTAも積極的に行うほか、内科診療に役立つ超音波検査、内視鏡検査、CT検査などの検査機器も完備。このほか地域連携室の機能強化に伴い、「医療相談・患者サポート室」へと名称変更し、専従の常勤看護師によるきめ細やかな患者対応を行っている。

松山西病院

正式名称 医療法人結和会 松山西病院
所在地 愛媛県松山市富久町360-1
開設年 1992年(医療法人嘉仁会開設年。2009年に同法人から医療法人結和会が継承)
診療科目 泌尿器科、内科、消化器内科、
循環器内科、放射線科、
リハビリテーション科
病床数 102床
常勤医師数 4人
非常勤医師数 22人(当直医含む)
外来患者数 74人/日
入院患者数 88人/日
(2018年5月時点)