• 大学医局編(1)

横浜市立大学医学部麻酔科
国内最大級規模の麻酔科医局
民主的で公平な人事システムで300人もの医局員を育てる

1つの病院に10年いると"型"ができる

横浜市立大学麻酔科は、現在、医局人事で働く医師が200人、名簿上だけの医師も含めた総医局員数は300人に達する巨大組織だ。他病院などから中途入局するケースも含め、毎年20人の医師がここで新たなキャリアを踏み出す。医師が集まる理由について「まずは横浜にあるという地の利でしょう。もう1つは、大学としての文化です。横浜は開港の歴史があるせいか、外に対して非常に開かれた風土があります。公立大の中では、敷居が低いほうなのではないでしょうか」。こう朗らかに語るのは同科教授の後藤隆久氏。だが、言うまでもなく地の利と大学の文化風土だけで医師が集まり続けるわけではないだろう。「私が教授に就任した7年前に考えたのは"医局幸福度"の向上。医局員の幸福を日本一にすることでした」と後藤氏は言う。
後藤氏は、何よりも教育に役立つ関連病院を増やすことに腐心した。麻酔科医のスキルアップに欠かせない、特殊麻酔を経験できる病院との連携を拡大したのだ。
「1つの病院に10年もいると"型"ができます。それを打ち破るには多様な病院を経験しなくてはなりません。専門的な知識の必要な心臓麻酔は国立循環器病研究センター、産科麻酔は国立成育医療研究センター、小児麻酔も2つの関連病院と連携し、医局員が存分にスキルを磨ける環境を整えました」
一方で、教授に就任した2006年当時、30件近い関連病院の中には、教育体制が十分とは言えない例もあった。人口の多い神奈川県は麻酔科医不足が深刻で、一般病院からの要請が強かったのだ。
「常勤の麻酔科医が3人以下の一般病院では一般麻酔の手術しか行われず、専門医取得のための症例が確保できません。また、人数が少ないため、月に10~15日もオンコールになる病院もありました。これでは、医局員の身体がもちません。地域の病院同士でオンコールを協力し合うことなどを提案しましたが、どうしても実現せず、やむをえず、医局員の派遣を取りやめた病院もあります」
現在も、常勤医が3人以下の関連病院はあるが、医局全体としてオンコールを回している。地域の要請と、医局員のスキルアップのはざまで絶妙なバランスを取っている。

教授は医局人事に関与しないがアカデミック面は全権を握る

大学教授の業務は多岐にわたるが、最も重要なものの1つが医局員の人事だ。当然、後藤氏も人事権を持っていると思いきや、「基本的に私は人事に関与しません」と言うから驚く。この医局には企業でいう人事部のような機能を果たす"医局人事委員会"が組織されているのだ。
「人事委員会は医局長が議長を務め、医局員の代表者10数人の委員で構成されています。毎年、秋になると全医局員にアンケートを取り、自分に不足している症例、これから習得したい専門分野、将来のビジョンなどから、人事の希望を募ります。家庭の事情や、体調に関する問題などで負担を軽減したい場合も、率直に書いてもらっていますが、教授の私はアンケートを見ることができません。人事委員会が、個々人の希望と関連病院のニーズを鑑みて、人事配置を決めています」
この制度による医局員の希望達成率は90%以上。極めて民主的で公平な人事制度のため納得度が高い。
一方で、アカデミック面の人事に関しては、人事委員会と切り離され、後藤氏が100%の権限を持つ。
「麻酔科は学位取得率が低い科です。診療科として尊敬され、内科や外科に伍していくには、研究実績を上げていかなくてはなりません。研究に関心の高い医局員は、積極的に育てます。06年には2人だった大学院生も今では12人に増え、科研費を取得する者も現れはじめました。次は臨床研究を行う医師を育てたいですね」
同科の方式に弱点があるとしたら、指導者レベルの医師が育ちにくいことと、逆境を乗り切るタフな人材が養成されにくいことだ。だが後藤氏は焦らない。適材適所、を常としている。
「どこまで高い山を越えたいかは、医局員によってさまざまです。いろんな事情があって穏やかな勤務を希望する医師もいれば、全てを犠牲にして医療にどっぷりつかる気のある医師もいます。私の実感では、後者にあたる医師は20人中3~4人ですね。それを的確に見極め、適性のある熱い鉄は打つ。これが教授たる者の責務と思っています」

  • 教授は人事権を持たず、医局員の代表からなる委員会に委ねられているため、気兼ねなく自分の希望を伝えられる。
    教授は人事権を持たず、医局員の代表からなる委員会に委ねられているため、気兼ねなく自分の希望を伝えられる。
  • 学生・初期研修医・スタッフ合わせて約90人が参加した「初島サマーセミナー2013」の一コマ。
    学生・初期研修医・スタッフ合わせて約90人が参加した「初島サマーセミナー2013」の一コマ。

「東大生100人のうち医局を飛び出したのは3人だけ」

若手医師の医局離れについては、「若干の懸念がある」と後藤氏は言う。組織力の低下云々ではなく、若手が自分だけでキャリアデザインすることにはある種の危険が伴うという。
自分の殻を破って成長するには、適切なアドバイスをしてくれる上級医や、トレーニングの場を提供する組織があったほうが望ましいが、研修病院が必ずしもそういう施設とは限らない。「当科に中途入局してくる医師は、後期研修3年目以降になり、この先のキャリアについて相談できる相手もなく、自分の人脈だけでは限界を感じた、というケースが多いようです」。
診療科によっては、医局に所属していても症例数の奪い合いになり、思ったようにスキルアップできない場合がある。従属関係に従っていても、ずっと下積みのまま年月が経過するケースもないわけではない。しかし麻酔科においてはその心配は無用だ。
「麻酔科に限っていうと、医師が絶対的に不足しているので、症例数が足りないということはあり得ません。当科の関連病院ではトータルで7万件ほどの症例数があります。最大限に医局を利用して育ってほしい」
ただ、後藤氏自身は東京大学を卒業後、出身大学の医局に所属しないキャリアを歩んできた。帝京大学麻酔科に所属し、翌年にはアメリカに渡っている。
「当時、東大医学部100人のうち、臨床系で医局を飛び出したのはわずか3人でした。でも、何も未練はなかったんですよ。尊敬できる師と出会い、自分の目指す方向が明確だったからでしょう。今でも、ロールモデルがいて学べる環境があるなら、無理に医局に属す必要はないと思います。ただ、医局にいたほうがチャンスをつかみやすいのは確かです」
なお、医局運営のあり方は規模によって異なると後藤氏は付け加える。
「当科は医局員の人数が多いこともあって人事委員会形式をとっていますが、同じ方法が他でも最適とは限りません。医局員が50人ほどで、お互いに目が行き届く組織であれば、ある程度、教授の権限で人事を決めていいのかもしれません。人の組織は"生もの"で常に不安定です。折に触れて『今の状態でいいのか?』と自問自答しながら運営しています」

後藤 隆久

後藤 隆久
横浜市立大学大学院医学研究科、生体制御・麻酔科学 教授
1987年東京大学卒。同年、帝京大学医学部附属市原病院麻酔科研修医。88年マサチューセッツ総合病院麻酔科レジデント。その後も引き続き集中治療フェローを務める。93年に帰国し、帝京大学医学部附属市原病院麻酔科勤務。2002年帝京大学医学部麻酔科教授(板橋病院集中治療部)。06年より現職。
医局情報

総医局員数300人の大規模医局。1999年の「患者取り違え事故」により、医局員が約100人にまで減った時期もあったが、2004年、前教授の山田芳嗣氏(現東大麻酔科教授)の構造改革により復活。後藤氏に教授が代わり、さらに勢いを増している。

  • 大学医局編(2)

東京慈恵会医科大学外科学講座
外科医自身が輝いている医局なら3Kでも10Kでも医師は集まる

大木隆生氏が率いる東京慈恵会医科大学外科学講座は、全国的に外科医不足が深刻化する中、右肩上がりに新規入局が増えている。一時期、約190人まで落ち込んでいた医局員数は、7年間で280人近くにまで増加した。その理由は、血管外科の権威である大木氏の名声や、慈恵のブランド力にとどまらない。外科医が減少した"本当の理由を見抜く力"も、大木氏は抜きん出ていた。
「外科を避ける理由として、『拘束時間が長い』『訴訟リスクが高い』などとよく言われますが、問題の本質ではありません。そうした厳しさは以前から同じで、3Kが1Kだったわけではないですし、医学部1年生は、今も昔も7割方が外科系志望です。なぜ、その芽が摘み取られてしまうか。本来の外科学の魅力が伝わっていないからです」
2004年に始まった新研修医制度は、スーパーローテートによって研修医がじっくり各科を比較検討できるようになった。もちろんよい面もあるが、外科にとってはそうとも言い切れない。
「かつて、多くの外科医はポリクリで垣間見た『かっこいい』という印象だけで入局を決めていました。わずか4週間のポリクリでは、現場の大変さはあまり見えません。しかし、3ヵ月にわたって外科に所属する初期研修では、上級医のぼやきが耳に入ります。『やってられない』『割に合わない』といった声です。また、大野病院事件で医師が逮捕されたことなどから、過剰なインフォームドコンセントを行う医師もいる。『手術させていただきます』と無闇にへりくだり、言い訳のように合併症のリスクを説明する。そんな姿に研修医は落胆し、他科へ流れてしまいます」
大木氏は「適切な例ではないかもしれないが」と前置きしながら診療科選びを"恋愛"に例えて説明する。
「愛情があれば、裕福でない人と結婚しても一緒に困難を乗り越えられます。外科も同じで、憧れや、やりがいがあれば、多少の大変さは克服できます。仲間と切磋琢磨しながら技術を高めて患者を救い、感謝される。そうした外科学の普遍的な魅力が感じられ、先輩医師を見て『こうなりたい』と思える医局であれば、3Kでも10Kでも人は集まります。逆にやりがいや憧れがなければ労働条件のいい科を選ぶでしょう」

「あんな医師になりたい」とトキメキを感じる医局運営

大木氏の医局運営でキーワードとなるのが「トキメキと安らぎのある村社会」だ。トキメキとは、外科医が外科医らしく輝けることを指す。
「大前提として、若手の前では決してぼやかないことを医局員に言っています。加えて、若手に教える手間を惜しまないこと。学生全員の名前は覚えますし、学生に自分の外来につかせていますが、ただ『見て学びなさい』ではなく、検査画像やカルテを示しながら事細かに説明しています。その上で、手術後に喜んでいる患者の笑顔を見せる。手術の時は、全員に皮膚縫合をやらせて、手術の奥深さを体感させます。時間もかかり、負担も少なくありませんが、手抜きしません」と大木氏。
また、患者とのコミュニケーションにおいては、必要以上にへりくだることはない。
「私が患者に言うのは、『全力を尽くしますのでお任せください』。ただそれだけです。パターナリズムと思う人もいることでしょう。しかし、放っておくと死が確実で、手術をすれば大多数が助かる患者には、治療の自己決定権を押しつけず、安心感を与えることが優先されます。外科医は外科医らしく堂々とメスをふるうということです」
なお、大木氏は慈恵卒の者でも中途入局を認めていない。その代わり後期研修を最終学歴と定め、出身大学による差は一切設けず、平等な村社会を運営している。入局後も活発に学べる機会があることも、大木氏の医局の特長だ。現在、留学で7人、大学院で10人の医師が学んでいる。この7月からは僻地医療の取り組みも始めた。高知県で外科医不足がもっとも深刻な病院に医局員を1人派遣している。医局員に志願を呼びかけたところ、すぐに5人からのレスポンスがあった。震災対応の際は50人もの志願があり、求心力の高さがうかがえる。

ウェットでお節介な社会が外科医の力を養う

過去10年にさかのぼって医局員の勤務歴をまとめた一覧表。誰がどこの病院に派遣されたか、一目でわかるよう色分けされている。
過去10年にさかのぼって医局員の勤務歴をまとめた一覧表。誰がどこの病院に派遣されたか、一目でわかるよう色分けされている。

そのトキメキと両輪をなすのが、もう1つのキーワード「安らぎ」だ。大木氏がこれを大切にする背景には、12年間の米国での臨床経験がある。
「個人主義、能力主義のあまり、みんなが疑心暗鬼になり、家族以外はみんな敵、というくらい殺伐としていました。人間は社会的動物です。医師が安心して医療に打ち込むには、信頼できる仲間同士で支え合い、刺激し合う環境、つまりウェットでお節介な環境が必要です。寄せ集めの傭兵より、苦楽を共にした仲間のチームの方が各段に士気も上がり、生産性も高まる」
帰属意識醸成には、医局員同士の接触時間を長くすることが肝心だ。大木氏は毎月1回、医局員が集まる夕食会を開き、過去60回以上、一度も休んだことがない。ゴルフコンペや医局旅行も開催し、医局旅行には90人も参加し、裸の付き合いをする。医局の求心力の高さには驚くばかりだが、大木氏に人事について尋ねると納得する。内ポケットから取り出した1枚の紙には、医局員の勤務先がびっしりと記されていた。
「チェアマンに就任してすぐ、医局員全員の勤務歴を一覧にしました。現在の勤務先と、過去10年間を示したものと2種類あります。30の関連病院のうち、誰がどこに何年行ったかを常に把握し、不公平感が集中することを避けています。もちろん、医局員の家族構成や生活状況も考慮します」
さらに、相対的に条件の悪い病院とは関係を解消したり、待遇面での改善を、大木氏自ら医局員の代理人として交渉することもある。一方で立地とインフラのよい病院との関係を深める。医局員が誇りとやりがいを持って働ける環境作りに奔走する。大木氏は「今、入局して来る医師は、外科の大変さを知っていて来る精鋭たちです。彼らの期待に応えたい」と語る。その表情には、熱意ある外科医をドンと受け止める、さらなる熱意が宿る。外科医の気持ちを知り尽くし、彼らが一番輝ける場を作る。シンプルで、骨太の医局方針が、多くの医師をひきつけている。

大木 隆生

大木 隆生
東京慈恵会医科大学病院、外科学講座チェアマン(統括責任者)、血管外科教授・診療部長
1987年東京慈恵会医科大学医学部卒。同大第一外科を経て、95年米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院血管外科研究員。2005年から同院血管外科教授。06年に帰国し、東京慈恵会医科大学血管外科教授、診療部長を経て07年から現職。
医局情報

医局員約280人。日本でも数少ない大講座制をとっており、消化管外科(上部消化管、下部消化管)、肝胆膵外科、呼吸器外科、乳腺外科、小児外科などを、血管外科の大木氏がチェアマンとして束ねている。

  • 民間病院編(1)

はちや整形外科病院
「ムリ・ムダ・ムラ」を省いた経営方針で診療密度を向上。
短期間でスキルが身につく病院

面接段階で手術に入りお互いの手技を確認し合う

1人の医師が2つの外来ブースを使用。診察を終えたら隣に移り、患者の入退室にかかる時間を削減。各室にCSが常時待機し、1秒のロスもなく、すぐに診察が始められる。
1人の医師が2つの外来ブースを使用。診察を終えたら隣に移り、患者の入退室にかかる時間を削減。各室にCSが常時待機し、1秒のロスもなく、すぐに診察が始められる。

医師が集まる民間病院と言えば、都心にある、いわゆるブランド病院をイメージする人が多いのではないだろうか。しかし、全国を見渡せば、知名度や立地、規模に関係なく医師の人気を集めている病院がある。
はちや整形外科病院は、JR名古屋駅から地下鉄で15分ほどに位置する、整形外科をメインとした52床の病院だ。整形外科の常勤医は7人。蜂谷裕道氏が院長に就任した1995年当時は3人だったが、着実に増加している。学閥は一切なく、出身大学は藤田保健衛生大学、名古屋市立大学、広島大学、三重大学などとさまざまだ。
「かつてアメリカに留学した際、1人の患者を複数名の医師が担当し、非常に短期間で退院させる様子を目の当たりにしました。要は、診療密度が濃い医療です。当院のような病院が医療の質を高めようとしたら効率を上げ、診療密度を上げるしかないと考えるに至りました」
蜂谷氏はまず、病院内の「ムリ・ムダ・ムラ」を削ぎ落とした。ただし質はむしろ向上させる。世界的に知られるトヨタ生産方式の基本概念だが、これが医療現場でも功を奏す。
「短時間で大勢の患者を診るために、1人の医師に2つの外来ブースを割り当てました。診察を終えたら医師が隣のブースに移り、次の患者を診ます。また、外来日と手術日を曜日によって明確に分けました。同じ日に5~6件の手術を行うことで、意識を集中できるようにするためです」
同院の脊髄手術は年539件と、民間病院ではかなりの件数だ。徹底的に効率を高め、回転数を上げた結果である。その実績を知って、見学・面接を希望する医師は後を絶たないが、面接・採用段階にもムダがない。なんと手術室で"面接"するのだ。
「当院のウェブサイトを見た卒後6年目の医師が、『脊椎の手術を覚えたい』と面接に来ました。通常なら、入職してから手術を共にするのでしょうが、面接段階で手術室に入ってもらいました。実際に私の助手として、当院で学びたいことが学べるかどうか考えてもらうためです。こちらとしてもオペ室での動きを見てから採用を決められるので、お互いに入職後の齟齬を防ぐことができます」
この医師は本人の希望通り入職し、2年後には専門医を取得した。現在、2人が医局派遣の医師だが、本人の希望で当院での勤務を延長した例もある。スキルを磨きたい医師にとって、ここは絶好の場だからだ。
「診察に関係のないムダは徹底的に省いています。カンファレンスは毎週開きますが、標準アプローチと違う症例のみを取り上げます。一方で、学会発表を奨励し、価値のある新規手術は積極的に取り入れています。そのための設備投資は惜しみません。内視鏡を用いた脊椎の低侵襲手術などは、県外からも患者が来るほど当院の特徴となっています。私が院長に就任する前は30日だった平均在院日数は、10日まで縮小しました」

院長自らが指導したクリニカルサポーター

各診察室にはCSが1~2名常駐し、診察後に患者に処方箋を渡したり、患者からの簡単な質問に対応したり、次の予約などの業務を行う。
各診察室にはCSが1~2名常駐し、診察後に患者に処方箋を渡したり、患者からの簡単な質問に対応したり、次の予約などの業務を行う。

ITツールの徹底活用も、「ムリ・ムダ・ムラ」の削減に一役買っている。独自に開発した電子カルテは、入力の手間を最大限に省いた。
「開発段階で、病名や治療名を登録しておきましたから、ほとんどクリックだけで入力が完了します。また、『あとでやろう』という発想を捨て、何でもオンタイムで済ませることを重視しました。処方箋や次回の予約票も電子カルテで作成し、診察室内で発行しています。以前は受付で処方箋などを渡していましたが、『これどういう意味だったか』と患者からの問合せが発生しやすく、そのたびに業務が中断していました。今ではそうした時間のムダは皆無です」
この電子カルテを自由自在に操作するのが、「クリニカルサポーター(CS)」だ。医師の傍らにつき、迅速かつ確実にカルテの入力や処方・検査のオーダーを行う。受付スタッフとは別に、19人のCSが在籍する。
「CSの採用を始めてから2~3年間は、毎週1回、定期的に指導日を設けて、私が解剖から病理まで医療の基本を教えました。その頃から在職のベテランは、医師の指示を予測して入力できるレベルに達しています。今は彼女たちが後進の指導にあたっています。毎年、地元の大学から3~4人の新卒採用をしていますが、例年、倍率が10倍になるほど応募が集まります」(蜂谷氏)

ITを最大限に活用し「指示待ち状態」を解消した

ITの設備は、病院の隅々まで行き渡っている。ナースステーションの一角には手術室の様子が映し出されたモニターが設置されており、学びたい意欲のある看護師のモチベーションを大いに向上させている。総務部部長の酒井孝氏はこう説明する。
「全職員が医療に携わることへの使命感を持つには、病院の中心である手術室で行われていることを情報共有する必要があります。誰か一人でも『手術室のことは関係ない』と思っていては、職員全体の医療にかけるモチベーションが下がるからです。モニターを通じて『今日はこんな手術をしているんだ』と毎日感じることが、院内の一体感につながります」
理学療法士などのリハビリスタッフは、ITによって「医師の指示がないからできない」という指示待ち状態が解消された。電子カルテにアクセスすれば、手術予定などの情報を得られるからだ。
「リハスタッフ自身が『次はこうしたリハを行うだろう』と先々を予測して動くようになりました。職員の主体性、自律性を高めるためにも、IT活用は極めて有用です」(酒井氏)
なお、臨床密度を高めたことで、患者1人あたりの診療報酬も上がった。職員数を増やし、IT機器を張り巡らせて生じるコストをまかなえているのはそのためだ。当直は非常勤医も組み入れているため、常勤医師の日々のオンオフの切り替えもはっきりしている。当直は週1日で、外来日は午後5時半、手術日でも午後6時には帰宅できる。
「診療するときは診療する、休むときは休む。この切り替えは、医師が継続して働くために欠かせません。はじめから『ムリだ』と決めつけず、細かなことまで効率化に取り組むことで実現した体制です」(蜂谷氏)

蜂谷 裕道

蜂谷 裕道
はちや整形外科病院 院長
1984年藤田保健衛生大学卒。90年同大大学院博士課程修了。その後、客員講師を務める。92年ペンシルバニア大学留学を経て、95年はちや整形外科病院院長就任。2004年医療法人蜂友会理事長就任。
施設情報

1959年開院。52床。豊富な手術件数が特徴。2012年度の年間手術数は1,149件。うち脊椎手術は539件(椎体間固定術148件、ヘルニア摘出術192件、除圧術82件など)。ほかに人工股関節全置換術115件、人工膝関節置換術130件、肩関節鏡手術110件など。

  • 民間病院編(2)

すずかけセントラル病院
風通しの良い雰囲気と、理想の医療を実現できる設備が医師の心をひきつける

毎月1回、午後3時に始まるクッキーミーティングとは?

すずかけセントラル病院(浜松市/309床)は、昨年11月に開院したばかりの新規病院。都心から離れたケアミックス病院だが、すでに多くの医師が集まっている。現在の医師数は約80人。そのほとんどが医局を介さず、医師同士の紹介などで入職している"人気病院"だ。院長の鈴木一也氏に理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「私が院長に就任する際に強く意識したのは、『風通しの良さ』です。風通しが悪ければ水が淀み、いずれ腐ってしまう。院内で自由に意見を言い合える雰囲気がなければ、職員のモチベーションは下がります。逆に、仕事に対する不満をため込まず、気兼ねなく発言でき、改善に取り組む仕組みが目に見えれば、医師も職員も、自然と集まります」
その仕組みの1つが、毎月1回、午後3時に院長室で開催される「クッキーミーティング」である。お菓子をつまみながら、院長室の壁一面に広がるホワイトボードに、病院に対する意見や要望を書き出し、話し合う会議だ。毎回15~20人が集まる。
「各部署から最低1人は出して、とお願いはしていますが、職種を問わず誰でも参加できます。最近では、急性期の看護師が『話を聞いてくれない(すぐ切れる)ドクターが2人いる。改善してほしい』と発言しました。すると翌日には、急性期の医師全員が『あれは自分のことだろうか』と、看護師に質問したそうです。書き込みをした看護師は、悶々としていたことが一気に解消され、急激にモチベーションが上がりました。看護師が意欲的に働く職場は、医師の働きやすさにもつながります」
風通しを良くするユニークな取り組みは、それだけではない。職員専用のエレベーターホールには巨大な黒板があり、職員同士の掲示板となっている。「○○さんが緩和ケア認定看護師に合格。おめでとう!」「この病院、経営は大丈夫なのか?」「みんなのモチベーションを下げることを書いて、気持ちいいですか」等々、自由な応酬が繰り広げられている。
「掲示板が"炎上"しても構いません。何よりも、自分の意見を言える場があることが大切です。事務方には、要望が出たことに対して、すぐに反応するように言っています。対応を要するものは翌日には返答を書き込み、言いっ放しの状態にはしない。掲示板から、相互の意思疎通が生まれるわけです」

  • クッキーミーティングに用いるホワイトボード。職員からの率直な意見が書き込まれている。
    クッキーミーティングに用いるホワイトボード。職員からの率直な意見が書き込まれている。
  • 職員用エレベーターホールにある、いつでも書き込める壁一面の大型黒板。1ヵ月ごとに消去される。
    職員用エレベーターホールにある、いつでも書き込める壁一面の大型黒板。1ヵ月ごとに消去される。

医師は自分の専門分野に没頭していてほしい

病院の入り口には、外来担当医師のプロフィールを閲覧できるパネルを設置。患者の安心感を高める。
病院の入り口には、外来担当医師のプロフィールを閲覧できるパネルを設置。患者の安心感を高める。

風通しの良さがソフト面の魅力だとしたら、医師の「こんな医療をしたい」を実現するハード面への先行投資も積極的だ。今年3月にオープンした同院放射線治療センターは、浜松市南部地域では初となる高精度放射線治療システムを導入した。
「医師が病院を選ぶ時の基準の1つは、好きなことが言えて、やりたい医療ができること。そのために、経営陣と折衝するのが院長の仕事です。たとえ費用がかさんでも、それぞれの医師が得意分野に没頭できる設備があれば、結果として患者が増え、売り上げもついてきます。病院のステータスが上がる投資であることを説明できるよう努力しています」
鈴木氏は、医師に業務の効率化や無駄の削減を求めることはしない。細かな注文で得られる利益と、医師のモチベーションの維持を比較して、どちらが病院にとって有益かを判断し、導き出された答えだ。
「本当に無駄なことであれば削減すべきですが、その分野のプロが判断し、フローを作ればいい話です。過度な要求は医師のモチベーションを損ねます。医師には、臨床に夢中になってのめり込んでほしい」
こうした鈴木氏の取り組みからは、どこか医師に対する優しさが感じられる。院長秘書の滝本浩子氏は「シンプルだけど、温かい。この両方を兼ねていることが、他の医師からのリスペクトを集めているのだと思います」と語る。合理的な決断を下すだけではなく、愛情を持って医師に接しているのだ。今後、予定している若手医師の留学についても、そのスタンスがにじみ出る。
「留学したあとは、当院に戻ることを強制したくないと考えています。その医師が充実した医療を実践できるならば、それでいい」(鈴木氏) いわゆるブランド病院でなくとも医師が集まるゆえんは、この温かさに集約されるのかもしれない。

鈴木 一也

鈴木 一也
すずかけセントラル病院 院長
1980年浜松医科大学卒。84年同大大学院博士課程修了。静岡県立総合病院呼吸器外科を経て、87年に浜松医科大学第一外科へ。2000年同大助教授、07年同大准教授を経て09年医療法人豊岡会に入職。12年11月より現職。
施設情報

2012年11月新規開院。一般病床、回復期リハビリ病棟、療養病床からなるケアミックス病院で、検診事業も行う。最新の画像診断装置やピンポイント放射線治療専用機器などの設備が充実。医師数は約80人で定着率も高い。

本特集で取材した大学医局・病院からは、公平性重視型、トップダウン型、運営効率型とさまざまな特色が見られた。手法は異なるものの、いずれも「医師の幸せ」をゴールのひとつとしている点は共通していた。医師が集まる理由は多くあるが、それぞれの持ち味を明確化し、施設全体が真摯に取り組み、「幸せ」と同時に医療の質も追う。医師が集まる理由は、そんなところにありそうだ。