医師が選ぶ 臨床以外のフィールド

社会構造の変化に加え、技術の進歩や医療ニーズの高まりなどを背景として、医師の働き方や活躍の場は多様化しつつある。医師という国家資格、あるいは医学知識や臨床経験はどのような形で活かすことができるのだろうか。臨床医を除く4つの選択――起業家、法医学者、医系技官、企業人――についてそれぞれ、転身までの道のりと転機となったきっかけ、仕事の中身、適性ややりがいについて聞いた。

目次
  • ケース1

新規事業で「投資型医療」という市場を開拓し、
医療の「転換」でなく、役割の「拡大」をはかる

起業家

株式会社ミナケア
代表取締役
山本雄士
【これまでのキャリア】
株式会社ミナケア代表取締役、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。このほか、慶應義塾大学非常勤講師、厚生労働省参与などを兼任。東京大学医学部を卒業し循環器内科医として勤務後、ハーバードビジネススクールを修了。科学技術振興機構、内閣官房などを経て現職。医療とマネジメントの教育活動として山本雄士ゼミを主宰している。共著書に『投資型医療』(2017、ディスカヴァー・トゥエンティワン)など出版も多数。2014年日本起業家賞受賞。日本内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医。

山本雄士氏 写真

事業という手段を用いて
医療に貢献する道を探る

90年代後半、医学部生が進む道はほぼ「臨床」か「研究」かの二択。前者を選択した山本雄士氏は、急性期病院で循環器内科や救急医療に携わるなかで、「このままでは医療は危ういのではないか」との思いを強めていく。「なぜもっと早く受診しなかったのか」と無念さの残る患者があとを絶たず、「医者は病院で待っているだけでいいのか」と自問自答する日々。効率的でない業務が延々と繰り返される病院という環境にも違和感をおぼえた。5年目の終わり、そうした思いを上司に話すと、ビジネススクールへの進学を勧められる。

入学当時、ハーバードビジネススクール(HBS)にとっても日本人医師の受け入れは初めて。山本氏はそこで「医師免許を持って戦うべきフィールドは診療や医学研究だけではない」ことを知る。事業という道具を使って医療に貢献する道を探るため、帰国後は、臨床にいるときには見えなかった「日本の医療の実態」を知ることから始めた。

「科学技術イノベーション政策に関する調査・分析・提案を行なう組織と医療系ベンチャーの職員を掛け持ちし、その後、病院再生ビジネスや大学教員を経験したことは、市場のないところにビジネスを立ち上げるための準備期間だったといえます」(山本氏)

「ヘルスケア」に本気になれる
健康保険領域をターゲットに

診断と治療、治療する側と受ける側という従来型の構造の医療には限界があるが、一つの病院だけ変えても大勢は変わらない――。有識者でも評論家でもなく、自らがイノベーターとなることを選択し、大学卒業後12年目、山本氏は「病気にさせない」技術やサービスを提供するミナケアを創業。もっとも有効なアプローチとして健康保険に着目した。

第一のターゲットは健康保険組合。元気な人が増えれば支出は減る。医療を効率的かつ効果的にしたいと本気になれるのは支払い側しかないと考えたからだ。この業界には医療職がほとんどいないため、検査値に異常があっても病院に行かない人の多さに危機感を抱きつつも、なすすべを持たなかった。

そこで、健診データや通院状況に対して専門家としての助言を行ない、組合や地域の保健師を通じて生活習慣の改善や受診勧奨を行なうことで、病気の予防や重症化を防ごうというのだ。実際、肥満率や喫煙率、保険料率を下げることに成功した健保組合もある。次なる顧客は、従業員の健康管理を経営的な視点で捉え、取り組むことが企業価値を上げることにつながると気づいた企業の経営者だった。

同社は現在、企業や自治体の職員や家族、住民など、およそ300万人の健康を見守っている。

「投資型医療」の提唱により
医療に新たな価値を生み出す

従来型の医療からの転換ではなく「医療の役割を広げる」のがミナケアの使命であり、ビジネスの根幹をなす。負担としての医療費ではなく、個人や社会の将来・未来への投資としての医療の使い方――『投資型医療』の市場を作り上げてきた自負が山本氏にはある。

「診察室で待っているだけでなく、〈悪い子はいねえか?〉と探しに行く『なまはげ医療』を担う医療職が今後一層求められてくると考えています」(山本氏)

起業から今年で8年目を迎え、設立当初3人だったスタッフも、現在は派遣も入れて25〜6人にまで増えた。実は、創業日の3週間後に東日本大震災が起きた。それでも続けてこられた背景には、HBSで嫌というほど刷り込まれた言葉がある――「世のため人のために良いことをやっているのに稼げないのは経営者がアホなんだ」

国も健診や診療データの活用や企業の健康経営を推進しており、時代は追い風ともいえる。

山本氏はいまも「臨床の充実感に勝るものはない」と断言するが、パソコンを通してその何百万倍もの健康を支えている充実感も悪くない。

「毎年健康診断の結果が届くのが楽しみ。医療の持つ力の強さをかみしめています」(山本氏)

◆後進へのメッセージ◆

診療報酬に直結するものだけを医療と考えがちなことに気を付けてください。医療に新たな価値を生み出す一つの手段として起業があります。ただし、「なぜ他の誰でもなく自分がやるのか」を考えておくことが重要です。これがHBSで叩き込まれたもう一つの教えです。

  • ケース2

法医学は客観的で公平、純粋な国家医学
真実を究明し、犯罪や事故、病気を未然に防ぐ

法医学者

千葉大学大学院医学研究院
法医学教室 教授
岩瀬博太郎
【これまでのキャリア】
1967年千葉県生まれ、93年東京大学医学部卒。東京大学大学院医学研究院法医学教室助手、講師、助教授を経て、2003年より現職。04年に国内の法医学教室で初のCTを用いた死後画像診断を導入。14年4月から千葉大学附属法医学教育研究センターの初代センター長を務めるとともに、東京大学大学院医学研究院法医学教室教授を兼務し、同センターとの連携を図る。年間300体以上の司法解剖を手掛ける。日本法医学会理事。内閣府「死因究明等推進計画検討会」元委員。著書や共著に『焼かれる前に語れ』『法医学者、死者と語る』(ともにWAVE出版)、『死体は今日も泣いている』(光文社新書)などがある。

岩瀬博太郎氏 写真

手技を工夫し、チームと連携
定型がなく、常に発見の連続

医学生の頃は、内科や皮膚科を志望していた岩瀬博太郎氏だが、友人に誘われ法医学教室に出入りするうちに、「後継者育成」を公約とする恩師につかまり、大学院に進む。その間、都立病院で内科研修を1年間経験できたことで他科への未練がなくなり、助教の席が空いたタイミングで法医学に専念することに。

「臨床では最新の画像検査が当たり前に行なわれ、生化学検査の項目も豊富でしたが、当時、法医学領域には何一つ導入されていませんでした。その未来を案じるとともに、人の行かない分野で役に立つのなら、と決心しました」(岩瀬氏)。当時、法医学の世界もスパルタ式。まずは「書記」で所見のとり方や用語をおぼえ、次に「補助」で臓器の位置や取り出し方を習う。すべて「見て、真似て、おぼえる」方式。しかも次からはもう本番。見落としのない丁寧な解剖を行なうのに最短でも2時間かかる。

「だんだんわかってきたことは、司法解剖は意外と工夫が要るということ。例えば腹腔内に大量出血がある場合、出血箇所を突き止める必要がありますが、手技や手順を誤るとわからなくなってしまいます。定型はなく、事例ごとに適切な解剖手技を自分で考えねばなりません」(岩瀬氏)

国内に法医学者は150名程度しかいない。が、そもそも警察による検視で犯罪性の有無が判断されてしまうこともあり、異常死のほんの1割しか解剖されていないのが現状だ。

死因の判断は医師の仕事だが、そこに至るまでにはチームの力が欠かせない。千葉大には14年に法医画像診断学や法中毒学、法歯科学など6部門を有する法医学教育研究センターが設置され、各専門家の連携強化と教育・研究の充実を図っている。

「日本で法医学講座を最初に開いた片山國嘉は、今でいう臨床医学を各個人の病を治す各人医学とし、法医学は国を癒やす国家医学と位置づけました」。対象は個人ではなく、死因の究明によって犯罪や事故が繰り返されるのを防ぐことで国を癒す。

「法医学に求められるのは警察のためでも、被害者や家族(遺族)のためでもない、あくまで社会全体のために客観的で公平であることです」(岩瀬氏)。例えば、地中にあった遺体が見つかれば警察は殺人を疑うが、腐敗が進みすぎて医学的には所見が取れない場合、法医学者としては「死因はわからない」と言うべきだという。

「診断基準もなく、常に手探り状態で、わからないことだらけ。でも、それは逆に新しい発見があるということ。我々のものの見方は生体においても役立ちます」(岩瀬氏)

◆後進へのメッセージ◆

夜勤や呼び出しもないので働きやすく、女性、外科や救急からの転科組も多い。40歳くらいまでのキャリア転換の選択肢の一つで、やりたいことがのびのびとできる環境です。

  • ケース3

包括的な視点を大切にしながら専門性を発揮し
政策立案というアプローチで課題解決に取り組む

医系技官

厚生労働省
健康局 結核感染症課
エイズ対策推進室
室長補佐
原澤朋史
【これまでのキャリア】
1984年東京都生まれ、2009年群馬大学医学部卒。東京厚生年金病院(現・JCHO東京新宿メディカルセンター)にて初期研修後、前橋赤十字病院 高度救命救急センター 集中治療科・救急科専攻医として勤務。日本救急医学会・救急科専門医取得。2016年4月に厚生労働省に入省。医政局 地域医療計画課 救急・周産期医療等対策室 病院全医療対策専門官として、救急、特に病院前医療を担当。同年7月より同課 課長補佐として、医療計画・地域医療構想を担当。2017年8月より現職。

原澤朋史氏 写真

臨床で培ったノウハウを用い
さまざまな課題に向き合う

サッカーが興味の中心だった原澤朋史氏は、スポーツ医学に関わりたいと医師を志す。ところがいざ医学部に入ると視野が広がり、まずは医師としての基礎を身につけるため救急科を目指す。マッチングで有名な救急病院を受けるもアンマッチとなるが、二次募集で出会った研修病院で、2年の研修期間中に救急を5か月、内科系・外科系の初期対応を約1年学んだ。後期研修では群馬県の三次救急の要である前橋赤十字病院・高度救命救急センターに3年、専門医取得後さらに2年間在籍した。

「救急外来や集中治療室での診療を通じて、他の診療科や消防等の他機関との連携・調整を含めたチームマネジメントを経験できたことは、とても良い経験でした」(原澤氏)

当時のセンター長は、ゼロから救急部を立ち上げ発展させた人物で、医師としての優秀さに加え、人や組織の采配にも長けた。原澤氏は「マクロな視点を持つ重要性」を学び取り、厚生労働省への入省を決めた。

省内のポストは卒後年数で決まる。初期研修を終え3年目に入省するケースが多いなか、卒後8年目の原澤氏は課長補佐からのスタート。

「若い年次での入省は行政官としての基礎固めができるメリットがありますが、7年の臨床経験で習得したチーム管理や組織運営のノウハウ、現場感覚が活かせる点は大きなアドバンテージだと思います」(原澤氏)

技官は1〜2年で部署が変わる。特定の領域やテーマにしか興味がないと長続きしない。また、行政官は急に異動が決まることもあり、短期間で後任者への引継ぎをする技術も求められる。さらに、原澤氏は「地域医療計画課では都道府県の担当者や医師会の代表者など、エイズ対策推進室では原告団や医療従事者などと、部署によってカウンターパートが変わり、ものの捉え方や問題解決方法も違ってくる」ことを指摘する。

基本的に勤務は平日のみでオン・オフがつけやすく、産休・育休取得や時短勤務も可能なので、女性にとっても働きやすい職場の一つだ。

臨床との違いは「結果がすぐに出ない」こと。ただその一方で、現場に与える影響の大きさを実感することも少なくないという。

「つねに重責は伴いますが、それゆえに、大きなやりがいを感じる仕事だと思います」(原澤氏)

◆後進へのメッセージ◆

現状把握→政策立案→決定→実施という問題解決のプロセスは、臨床のアプローチに似ています。論理的思考が得意な人、個別医療に限界を感じている人はぜひ一度検討してみては。行政官を続けるにしても、臨床に戻るにしても必ずや得るものはあるはずです。

  • ケース4

新しい薬、より良い治療を開発して届けることで
より多くの患者さんの利益につなげたい

企業人

アッヴィ合同会社
医学統括本部 本部長
安達 進
【これまでのキャリア】
1962年大阪府生まれ、87年奈良県立医科大学卒。同大学産婦人科に入局し、東大阪市立中央病院、済生会富田林病院などを経て96年より兵庫医科大学産婦人科に勤務し、婦人科がんの手術・化学療法を専門とする。関西臨床腫瘍研究会(KCOG)の婦人科グループの立ち上げに関わり、2002年までリーダーを務める。同02年に製薬企業日本イーライリリーに入社し、抗がん剤の開発に携わり、05年より米国本社のオンコロジー・グループで国際共同治験を担当。08年には米国で抗がん剤のセールスなどを経験し、09年からは日本イーライリリーオンコロジー事業本部長を務める。14年6月16日付けでアッヴィ日本法人医学統括本部長に就任。三重大学産婦人科非常勤講師を兼務。

安達 進氏 写真

一日も早く「新たな治療」を
届けたい――と製薬企業へ

安達進氏が産婦人科を選んだ理由は「産科がハッピーな診療科」だから。ところが、入局1年目に興味を持ったのはがん診療だった。実際、のちに製薬企業に移るまでの約15年間、婦人科がん領域で患者の治療にあたるとともに、数多くの論文や学会発表を行ない、関西臨床腫瘍研究会(KCOG)の婦人科グループのリーダーを務めるなどして、第一線で活躍を続けた。

活動の軸を企業に移したのは、当時、ドラッグ・ラグが問題となり、「自ら第1相試験を手掛けることで、新薬を少しでも早く世に出したい」との思いからだった。

当初、企業で2〜3年働いて臨床に戻るつもりでいたが、上司のポストが空いたこと、米国の本社勤務の話が持ち上がったことで、計画を変えた。安達氏は「米国には家族で赴任できたし、勤務医とは違って会社の予算で国内外の学会に参加できる環境もありがたかった」と振り返る。

05年7月、米国本社に移り、オンコロジー・グループで国際共同治験に携わる。しかも人手が足りないという理由で、抗がん剤の第3相試験を同時に3つも受け持つことに。

「結果がポジティブだったのは1つだけでしたが、とても良い経験でした」(安達氏)

インベスティゲータミーティングのために世界中を飛び回る生活で、世界トップクラスのキーオピニオンリーダーと議論を交わせることも大きな魅力だった。

08年12月にオンコロジー事業本部長のポストで日本に戻り、セールスとマーケティング部門を統括すること5年半。最終的には200人に及ぶチームをまとめあげた。

14年6月にはバイオ医薬品企業のアッヴィに入社。

「これまでとまったく違う領域の薬を扱っていたこと、新たな体制が作れる環境にあったことなどが同社に移った理由でした」(安達氏)

企業に利益をもたらすことで
社会にも大きく貢献できる

臨床医には「営利」を語るのを好まない人が多い。言うまでもなく、製薬企業の社員にとっても、患者の安全や利益を守ることが第一だ。しかしそのうえで、商品価値を上げ、企業価値を上げることによって会社の利益に貢献しなければならない。利益が上がらなければ、薬の開発もできないし、継続的な経営・発展も望めないからだ。安達氏は、「この点が理解できないまま企業に入り、周囲との間に軋轢を生じさせる医師は少なくない」と指摘する。

企業、ことにグローバル企業で働く際は、変化を厭わず、柔軟なものの考え方が求められてくる。たとえば外資系企業では頻繁な組織改編も珍しくないが、このとき「うまくいかなかったから変わった」と捉えずに、「構成員が変われば組織の形も違って当たり前」と思えるかどうか。より良い結果を出すために、カスタマイズし、バージョンアップをはかる。その変化に柔軟であることと、自ら進んで取り組めることが重要だ。

また、多くの場合、徹底した能力主義が採用されており、上司が年下であるとか、女性だとかを気にするようではつとまらない。さらに外資系企業をはじめ、グローバルな企業では英語によるコミュニケーション力も厳しく問われる。

しかし何より、企業が医師に期待するのは「臨床医ならではの感覚」だ。そのため安達氏は「7〜8年くらいの臨床経験があることが望ましい」と考えている。なお、企業への転身は45歳くらいまでには決断したい。

医師一人が関わることのできる患者数は限られる。

安達氏は、「自社製品の有効性と安全性についてしっかりと伝えられて、多くの患者さんに届けることができれば、その影響ははるかに大きい」と製薬企業でのやりがいを語る。

「自分たちの努力が会社に利益をもたらすことで、寄付や患者支援の意思決定に関われ、企業を通じて大きな社会貢献ができることも喜びの一つです。ポケットマネーでできることとは全く異なるレベルの貢献ができるので」(安達氏)

◆後進へのメッセージ◆

診療において「併用薬に困ったことがある」とか「こういう資料が欲しかった」という経験が役に立つ仕事です。現場感覚がアドバンテージになりますから、転身後も、臨床医を続けるといい。私自身、今でこそ会社のみですが、臨床医も週1、無理なら月1などで続けていました。

医師が活躍する臨床以外のおもなキャリア

「5年前と比べても、臨床以外の道に興味を持つ若い医師が増えている」と語るのは自身もビジネスの手法で「医療を良くする」取り組みを続ける医師。卒後すぐにという人もいれば卒後5〜10年経ってからという人もいて、後者は臨床の傍ら、何か新しいことを始める人も多い。「先達がメディアに取り上げられるようになり、近しいキャリアと認識されるようになった」とみる。なかでも顕著な伸びをみせるのが起業だ。とくに、医療×AIがテーマの起業が増えているという。その意義は「現場のニーズを理解しているから」だが、医師だけでは何もできないので、「良い相方に巡り合えるかがカギ」だという。ただし、ここに正解はない。医師のベンチャーで成功といえるのは数えるほど。医療に限らず、日本のベンチャー自体が100人挑戦しないと1人の成功者は出ない世界。それでも、若者が「医療にはこれが必要」と考え、リスクを負って起業し、社会的な価値を生み出そうとがんばる姿に、「日本の医療の未来に明るさを感じる」のだという。

臨床医以外の医師の活躍の場
カテゴリ 特徴
行政 厚生労働省 卒後3年目の入省がもっとも多いが、ある程度臨床を経験した後の入省も増えている。卒後年数でポストが決まる。報酬は国家公務員規定に基づいており、総じて激務だが、医療・福祉の全体像が把握できること、政策立案により「医療を良くしたい」人のやりがいを叶える。育休制度や配置への配慮もあって、女性も働きやすく、実際増えている。人事交流や出向などで1〜2年厚労省で働いた後、臨床に戻ったり、起業したりする人も増えているという。
global health系 「途上国の医療に携わりたい」人が初志貫徹するキャリア。臨床研修後、海外の公衆衛生の大学院等で学び、WHOや世界銀行などで世界を舞台に活躍。医師免許は採用に有利。国際的な視点を得られ、人脈も広がる。
政治 議員 国会議員から地方自治体の県議、市議まで、医師の議員は少なくない。医療分野は市町村レベルでの意思決定が多く、国会議員より市町村議会の議員の方が「結果が出やすく、面白みがある」との意見も。副業可能なので、臨床も続けられる。
ビジネス 起業・ベンチャー 臨床経験を活かし、コンサルやコーチング、医療データや医療画像を扱う会社など、医療・医学をビジネスと結びつけて新たな価値を生み出す。流行りのテーマは医療×AI。失敗のリスクも負うが、成功すれば社会に大きなインパクトを与えることができる。
製薬会社・医療機器メーカー 医師の求人で多いのは「研究開発」「薬事系」。企業や業務内容にもよるが、一般に報酬は高水準で、福利厚生が手厚く、ワーク・ライフ・バランスがとりやすい。
保険会社 生命保険会社の加入審査業務での求人が主。定時勤務・完全週休2日、福利厚生は手厚い。負担に比して報酬も悪くないとの声が多い。
コンサル さまざまな業界の第一線で活躍する人々と交流し、切磋琢磨できる。外資系の著名な企業を筆頭に、採用のハードルは高く、激務。外資系の某企業の場合、報酬はjuniorで臨床医より低く、middleで同等程度、seniorではかなり高くなる。
法律 弁護士 臨床現場の現実に即さない医療過誤訴訟判決に対する問題意識の高まりに加え、法科大学院(ロースクール)制度の導入が後押しとなり、弁護士資格を取得する医師が増えている。報酬は千差万別。週に1日は臨床に携わる医師・弁護士も少なくない。