国家資格職である医師は他の職業とは異なり、生涯現役で活躍することが可能だ。厚生労働省の「平成24年 医師・歯科医師・薬剤師調査」によると、一般では定年を迎える60歳以降も働き続ける医師が病院の場合は約1割、診療所では約4割もいる。
その一方で、医学部の教授を務めていたからといって「定年後の行き先が安泰」という時代ではなくなっているようだ。ましてや一般病院の勤務医ともなると、定年後の居場所の確保はさらに厳しいと予測される。
好条件のもと生涯現役で働きたいと考えるのなら、定年を迎えてから動き始めても遅いのだ。定年後を見越したキャリアプランを早めに計画し実行に移していくことが肝心だ。
「シニアドクターの市場は内科系と外科系で大きな差があります」と話すのは、医師の転職をサポートするキャリア・アドバイザーのAさんだ。両者の差に最も影響を及ぼすのが「年齢」だ。Aさんによると、内科系医師は60歳になっても年齢が再就職の妨げになることはないという。
「訪問診療や療養型病床、回復期リハビリ病棟、老人保健施設であれば十分に就職先を選べます。また、当直なしの条件で探すことも可能です」(Aさん)。ただし、60代後半になると就職先が老健などに寄りがちになり、医療機関への再就職はしにくくなるため、医療機関での勤務を希望する場合はあちこち動かず、早めに長く働ける施設を決めたい。
一方、外科系医師の場合は「年齢」が再就職の大きな妨げとなる。「メスを握り続けたいのなら、50歳前に動き始めることが必須です」とAさんは助言する。その場合も、よほどの腕がないと大学病院や地域の基幹病院に再就職するのは難しい。
「50歳前後の年齢になると、大抵の急性期病院はポストが埋まっていて空きがないのです。ご本人が“役職は必要ない”という条件を出しても年齢がネックになり、病院側が相談に応じてくれないこともしばしばあります」と別のキャリア・アドバイザーのBさんも打ち明ける。つまり、外科系医師の場合は就職先の条件もある程度妥協する必要があるのだ。
さらに、外科系医師には内科系にキャリアチェンジする道もあるが、この道を選ぶにしても内科のプライマリケアについてトレーニングしなければならないので、決断は早いほうがよいとAさんは指摘する。また、キャリアチェンジの分野としては訪問診療がおすすめだ。「訪問診療に求められる人材は、決断力があってフットワークが軽く、呼び出しにも厭わず対応してくれる医師です。まさに外科系医師は在宅医療に向いているのです」(Aさん)。
現在、訪問診療は売り手市場なので好条件の職場を選べるうえに、未経験者が多いため就職後の面倒見もよく、転職するなら今が絶好のチャンスだという。Aさんが最近サポートした48歳の胸部外科医は在宅医療を大規模に展開する医療機関に転職。生活にゆとりが生まれ収入もアップし、とても満足しているそうだ。「訪問診療で幅広い対応力を磨けば市場価値はさらに高まり、年齢がいっても条件のよい職場に転職することができるでしょう。早めに動いて成功した事例の一つです」(Aさん)。
なお、気になる収入は内科・外科ともに60歳を超えても1000万円台前半の年収を確保できる。体力が問われる訪問診療は週5日勤務で1600万円~2000万円が相場だ。
では、内科系・外科系を問わず、シニアになっても好条件の職場に就職するために身に付けておきたいことは何だろう。「それは第一に接遇です。特に大都市にある民間施設は接遇ができているかどうかを非常に重視するため、日頃から意識して磨いておくことが大事です」(Aさん)。
また、自分を高く売り込むには面接を攻略することも肝心だ。施設側が面接で最も確認したいのは「現在、勤務する職場で、どのようなことを担当しているか」ということだ。図1の項目のほか外来勤務の場合は集患力があるかどうかも確認される。
「施設側は経験値が高い、対応力が幅広いということにシニアドクターの価値を見出しているので、その部分をきちんと分析し、アピールするのが得策です」とAさんは助言する。面接では転職理由についても当然聞かれるが、前向きな言い回しで正直に伝えると好印象を与えるそうだ。また、年齢を感じさせないコツとしては見た目だけでなく、テンポよく会話することが重要だ。Aさんは、面接で失敗しないためにキャリア・アドバイザーを相手に事前に模擬面接をやってみることをすすめる。
一方、シニアドクターの転職で失敗する理由には「転職にあたって優先順位がない場合が多い」とキャリア・アドバイザーのCさんは指摘する。Cさんが担当した大学医局に所属する50代半ばの消化器外科医のケースはその典型だったという。医師は医局から紹介された派遣先の病院に行く気がせず、自分で探すことにしたのだが、条件や希望がほとんどなく、Cさんが提案した数病院からはどれも決め手にかけると選べなかった。
ケース 1
岩間淳一氏(57歳)が“第2の人生”について真剣に考え始めたのはちょうど50歳のときだ。当時、公立病院の脳神経外科に勤務していた岩間氏は、24時間365日体制による救急医療の提供を目指す病院の方針に従い、連日、クモ膜下出血や交通外傷などの手術に追われていた。そこに追打ちをかけるように6人在籍していた脳外科医が3人にまで減った。月10回の当直が常態化し、厳しい労働環境だったという。
「それでも病院側の要求は変わらず、1年弱ほど頑張りましたが、とうとう体が悲鳴を上げたのです」と岩間氏は振り返る。「このまま仕事を続けたら突然死するよ」と同僚の医師に忠告されたことが働き方を見つめ直す一つのきっかけになった。また、その頃から在院日数短縮の影響を受け、患者が十分に回復するまでサポートできなくなった。若い頃から自分が手術をした患者には名刺を配り、退院後もホームドクターのように何でも気軽に相談に乗ってきた岩間氏にとって、こうした医療体制のもとで働くことも心の大きな負担になった。
「これまで実践してきた医療活動を振り返ったとき、手術で救える数には限りがある。地域で患者を支える活動がしたいと考えるようになったのです」(岩間氏)。こうして勤務にゆとりのある公的病院の脳神経外科に転職したものの、病院の方針と合わず自分が理想とする地域医療を実践することはできなかったという。「ただ、この病院で在日中国人の医療相談を受けるようになり、それが縁で中国人のメディカルツーリズムにも関与するようになりました」と岩間氏は話す。
その後、セコム医療グループの担当者から同グループの急性期病院への赴任を要請されたが、岩間氏は、急性期医療に限界を感じていたので、自分のビジョンを熱く語り、同グループ内の初台リハビリテーション病院を紹介されて着任した。近い将来、理想の地域医療を実現するべく訪問診療やリハビリを勉強中だ。そして、その準備にも時間を使いたいと週4日の勤務を交渉し、認めてもらうことができた。
「どんな形で実現するのかわかりませんが、後半の医師人生は世の中の役に立つこともしたい。縁ができた中国とも医療交流を通して日中の安全保障に貢献したいと夢は果てしなく膨らんでいます」と岩間氏は微笑む。
家族も、岩間氏の第2の人生を応援してくれているが、今年大学に入学した長女が卒業するまでは勤務医を続けることが妻との約束だ。第2の人生の始まりはバーンアウトがきっかけだが、自分の医療活動を冷静に評価し、目標をしっかり見定めたことが満足のいく働き方と生き方につながっている。
人脈を広げる目的でいろいろな会合に参加し医療者だけでなく行政マンや企業人、ジャーナリストとも交流している。彼らから「発想が面白いですね」と評価されることが夢を後押ししてくれる。
ケース 2
乳腺外科、男性
山内浩介氏(47歳・仮名)は、医学部を卒業後、出身大学の外科学講座に入局し、医局人事により各地の市中病院で勤務。30歳の頃から乳腺外科医を目指してトレーニングしてきたが、近年は内科系の病院に派遣されることが多く、乳腺外科の症例数を積めずにいた。「40代後半に突入し、このままでは乳腺専門医の資格が取れず、中途半端になると焦っていました」と山内氏は当時の追い詰められた心境を振り返る。そして、半年間悩んだ末に医局人事を離れるという一大決心をした。
早速、医師人材紹介業者に登録し、キャリア・アドバイザーと面談。「大学病院クラスの医療機関に転職したい」と希望を伝えた。キャリア・アドバイザーから外科医の40代後半での転職は条件が厳しくなることを忠告されたが、自分の経歴はそれなりに高く評価されると考えていた。やがて希望どおり乳腺外科がある500床の中核病院の面接を受けることができた。
「面接では十分な手応えを感じたのに不採用になってしまったのです。この年齢では従来と同じ規模の医療機関に転職するのは無理だし、自分の実力では選択肢がそれほどないことも悟りました」と山内氏は語る。そして、キャリアを再構築するという本来の目的を思い出し、勤務先の希望条件を下げた。こうして提示されたのが現在勤務する150床規模の病院だ。よく調べると乳腺専門医の認定施設に指定されており、副院長が指導医の資格を持っていた。「収入も300万円ほどアップし、最良の職場を見つけたと満足しています」と山内氏。ここで専門医を取得し自分の価値を高め、さらに上を目指すことも考えている。
ケース 3
消化器外科、男性
地方都市の中核病院の消化器外科部長だった田中肇氏(59歳・仮名)は、50代後半になっても週2回、継続的に手術を行ってきた。定年を翌年に控え、ツテを頼って再就職活動を始めたものの「メスを握りたい」という田中氏の希望を受け入れてくれる医療機関は皆無だった。そこで、医師人材紹介業者に登録し、第2の人生を託す職場を探すことに。「実は末の息子が私立大学医学部に入学し、65歳まで現役で働く必要があるのです」と田中氏は打ち明ける。担当キャリア・アドバイザーにも正直にそのことを話し、第一線で外科医として働き続けることを希望した。
そして、提示されたのが180床規模の民間病院だった。その病院では3人の外科医が手術を行っており、うち40代が1人で、2人は60代の医師だった。こんな事情もあり、病院側は田中氏の年齢を聞いて難色を示したが、キャリア・アドバイザーの説得で書類選考にこぎつけた。「消化器のほかに乳腺専門医としても実績を積んできたので、乳がんの手術件数や化学療法の実施件数、マンモグラフィー読影医の資格など、こと細かに履歴書に記載しました」(田中氏)。
こうして書類選考をパスした田中氏は、面接で臨床研修病院に勤務していて若手医師の教育にも積極的に従事していたことを猛烈にアピールした。それはキャリア・アドバイザーからこの病院が若手医師を募集しており、指導医を求めていることを聞かされていたからだ。田中氏は、病院の将来像に自分のキャリアを重ね合わせることでプラスの評価を引き出したのだ。「メスを置いた後は外来や検診の場で活動し生涯現役で働きたい」と田中氏は意欲的だ。
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