医師の働く場は病院だけではなく、介護施設も選択肢の一つだ。高齢者の増加に比例するように、介護施設も増加し、医師のニーズも高まりつつある。原則として積極的な医療行為は行わないが、医師の力を欲している。高齢者の最期を支え、地域と共に施設をもり立てていくなど、病院とは違ったやりがいがある。

施設ごとに役割、医師数が異なる

介護施設は介護保険で運営され、特別養護老人ホーム(特養)、介護老人保健施設(老健)、介護療養型医療施設(療養型)に3分類される。
このうち病院に近いのは療養型だ。糖尿病のコントロールができていないなど、病状が不安定な患者が入所している。医師の配置基準は3人で、他の介護施設より看護職が多い。
老健は、急性期の症状は安定しているものの、日常動作のリハビリテーションなどが必要な人を対象としている。常勤医1人が配置されている。介護職が多く、リハビリ専門職員も配置される。
特養は、介護保険3施設の中でもっとも介護色が強い。単身の高齢者や、家庭の事情などで在宅生活が難しくなった人が長期間入所する。医師は1人で、多くは非常勤だ。他の施設に比べて介護職員が多い。
介護施設で働く医師は、年齢層が高い。中心は60代だが、施設によっては80代半ばの医師もいる。一般に、定年後のキャリアと考えられている。しかし、中には介護施設にやりがいを感じて参入する40代の医師もおり、どの世代の医師であっても参入障壁は少ない。
医師紹介会社で扱う案件が比較的多いのは老健である。年収は1000万~1500万円が相場だ。残業や当直がなく、ライフワークバランスがとれることは魅力の一つである。施設側は、利用者や家族、スタッフとうまくコミュニケーションができるか否かを重視している。

介護保険3施設の比較

※平成26年7月23日介護給付分科会資料を元に作成

介護保険3施設の比較

  • Case1 特養

多様な経験をふまえて人生の最終章を伴走して、はじめて特養の医師が勤まる

入所者全員の顔を見て先を読んで対処する

石飛幸三氏は、非常勤がほとんどの特養の配置医師の中で、数少ない常勤医の1人だ。石飛氏が勤務する世田谷区立特別養護老人ホーム「芦花ホーム」は、当時の区長が医療を重視したため、1995年の設立当初から常勤医を置いている。
石飛氏の1日は、入所者への挨拶から始まる。芦花ホームには約100人の高齢者が暮らしているが、1階から4階まで居室や食堂を回りながら、ひとり一人の顔を見て「おはよう!」「いい天気だね!」と挨拶を交わして歩くのだ。「とにかく毎朝、顔を見ることが大事。いつもと変わりなければ大丈夫です。バイタルサインじゃわからないことも、その人を毎日見ていればわかりますからね」
とはいえ、入所者の平均年齢は90歳、9割の人が認知症、要介護度は平均4.2だ。いつ何が起こってもおかしくはない。「もちろん、戦略は常に考えています。毎日、各部門の責任者が集まってミーティングをしますから、その時に。大事なのは、先を読んで意味のある対応をすること。要するに危機管理です」
特養における“意味のある対応”は、同じ医療でも急性期病院とは意味が異なる。「05年にここへ来るまで、私は外科医として、大動脈瘤、がんなど数多くの手術を手がけてきました。『命を粗末にするんじゃない!』と患者を叱りつけて手術したこともあります。けれども60歳を過ぎた頃から、延命や医療の意味を考え始めた。動脈硬化もがんも、結局は老いです。そこに医療はどこまで関わるべきなのか、と。老衰は元に戻せない変化です。人生の最終章をいかに支えるか。まだ先のある人の病気を治す医療とは違います」
そう考えていた折りに、芦花ホームの常勤医が欠員になったと聞いて、転身したのだ。「ここへ来て見たのは、胃瘻や経鼻胃管をつけて横たわる人たちでした。誤嚥させないための処置なのに、無理に栄養を入れようとするから逆流して、かえって誤嚥してしまう。回復できる人なら、胃瘻をつける意味があるでしょう。しかし、認知症の90歳の人に胃瘻をつける意味があるのか? 口から食べる楽しみを奪っていいのか? これが本当に意味のあることなのかと、理不尽さを覚えたのです」
こうして生まれたのが「平穏死」という考え方だ。平穏死とは、回復の見込みがない状態で医療を行いながら最期を迎えるのではなく、自然に、安らかに逝くことをいう。「みんな薄々感じていたことだったのでしょう」
と言う通り、10年に出版された、石飛氏の著書『「平穏死」のすすめ』(講談社)はベストセラーになり、全国から講演依頼が殺到した。「以来5年間で、講演は500回を超えました。ただ、初めの頃は医師の学会に呼ばれて行くと、異議がたくさん出ましたね。『胃瘻でこんなに元気になった』とか。でも今は、異議は出ません。医師の意識も変わりました」

これまでの経験を生かして意味のある医療をする

石飛氏は、「特養に来てよかった。ここでは、いずれ自分が行く先の勉強をさせてもらえる」と、朗らかな表情で語る。「寿命が来て自然に死ぬのは、本当に安らかです。急性期の病院にいた頃は、死は敗北であり恐いものでしたが、今はそうは思いません。また、認知症というと目の敵にする人がいますが、私は認知症の人に接するととても癒されます。『先生、いいお天気ね!』と言われたら、『いいお天気だね!』と答えればいいんです。例え外が雨でも、『今日は雨だよ』なんて言って相手を傷つける必要はない。認知症も死も、いずれ自分が行く道ですからね」
ただ、現状のように非常勤医が大多数では、特養での看取りはうまくいかないと石飛氏は嘆く。「この人がいよいよ最期だというのは、伴走して来た者にしかわかりません。伴走して来た人なら、家族にも介護士にも看護師にもわかりますが、医師には医療の意味がわかります。こういう医療技術があるけれど、それが本人のためになるかどうか。それを判断し、加減できるのは医師だけです」
特養に常勤医がいて、入所者の顔を毎日見ていれば、余計な医療を施されて苦しむことなく、平穏死を迎えられる人が増えるだろう。しかし非常勤では、医師にも入所者の変化にどう対処するのがベストか見極めることは難しい。その結果、バイタルサインだけを問題にして救急車が呼ばれ、濃厚な医療が施されてしまうのだ。「特養の医師は、人生の最終章を伴走する重要な仕事です。その人が何を望み、何を望まないかを知り、意味のある医療をしなければならない。だからこそ医師にも経験が必要ですし、多様な経験を積んだ医師にこそなってほしいと、私は思います」

石飛 幸三

石飛 幸三
世田谷区立特別養護老人ホーム 芦花ホーム 医師
1961年慶應義塾大学医学部卒業。70年ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。帰国後、済生会中央病院を経て05年より現職。主な著書に『「平穏死」のすすめ』(講談社)など。
  • Case2 老健

介護保険3施設の中で、唯一リハビリに重点を置く老健。利用者の在宅復帰が何よりの醍醐味

老健と病院の大きな違いは、保険制度と機材などの設備面

■老健の基本的な業務の流れ
老健の基本的な業務の流れ

介護老人保健施設やすらぎで理事長兼施設長を務める小川勝氏。隣接する特養の副理事長兼配置医師と、訪問診療専門の小川クリニックの院長なども兼務し、日々、地域の高齢者のニーズに応えている。
老健は、病院を退院したものの在宅復帰に不安がある患者がケアを受ける施設だ。「老健の本来の機能として在宅復帰があります。当施設を含め、12年の介護報酬改正後、在宅強化型老健が増加しています。15年の介護報酬改定では、より在宅復帰の方針が打ち出されました。他に、通所リハビリや短期入所、訪問リハビリ等の機能も併せ持ち、多職種協働によるケアで在宅支援を行います。入所者の日常的な医療はもちろん、認知症短期集中リハビリや看取りにも対応します。長期入所施設が整備されていない地域では、長期入所も可能です」
小川氏の日々の業務はこうだ。「午前は夜勤スタッフからの申し送りを聞いて、必要に応じて看護師に療養・治療の指示を出します。午後はカンファレンス会議に参加して、多職種協働でケアプランを作り、新たに入退所する人の調整なども行います。時間が空いたらクリニックの往診をして、夜は地元の医師会や江戸川区の会議などに出席します」
加えて、小川氏は母校である東邦大学医療センター佐倉病院の認知症外来に非常勤で勤務している。「医師会で認知症治療の指導をすることもあります。介護の現場だけではなく、最新の認知症診療を学ぶためにも大学病院に行っています」
老健と病院とで最も大きな違いは、制度上の区分だ。病院の診療は診療報酬によって賄われているが、老健は介護保険である。介護報酬は包括払いになっている。「利用者に医療的な介入をしても、重篤な緊急治療や、肺炎、尿路感染症、帯状疱疹以外は介護報酬が請求できません。薬一つを使うにしても、施設の持ち出しになります。その辺りの兼ね合いを見ながら、自分たちでできることはする。難しい場合は、関係医療機関に送る判断をします」
設備面での違いも大きい。老健には病院のような医療設備はない。「利用者の身体状態を目で見て、肌で感じて診察する必要があります。高齢者特有の病気や持病の悪化、感染症などに対応するため、幅広い知識が求められます」
そうした中、老健の仕事での醍醐味は、なんと言っても利用者の在宅復帰だ。「介護保険3施設と言われる、特養、老健、介護療養型医療施設のうち、在宅復帰に向けたリハビリに重点を置いている施設は老健だけです。利用者ごとに合わせたケアプランで機能を回復させて、さらに家族への支援も行って在宅に帰ることができた時は、この仕事をしていてよかったと思います」
老健におけるリハビリは、病院と少し異なる。「病院でのリハビリは、運動機能の回復などが中心ですが、老健はもっと生活に密着したリハビリを行います。ベッドから車いすに移動する動作や、着替え、食事のとり方など、実際の生活を想定した内容です。リハビリ室ではなく、実際にベッドサイドで行うことも多いですね」

介護スタッフ不足問題は地域を巻き込んで対応

食事中の利用者を見て回る小川氏。入所定員は48人で、ほぼ満室である。他に通所リハビリも行っている。
食事中の利用者を見て回る小川氏。入所定員は48人で、ほぼ満室である。他に通所リハビリも行っている。

小川氏が、日々の業務で大切にしているのはコミュニケーションだ。「医師は多職種協働チームの一員ですが、やはり中心的存在です。的確な指示と、みんなが仕事をしやすいように配慮する必要があります」
また、利用者や家族との関わり合いも重要なポイントである。「病院で医師と家族が面談する際は、治療が目的のため、ある程度、主導的な説明をします。老健では、治療の説明以外にも家族と話すことがたくさんあります。病気が治らず、徐々に弱っていく利用者の看取りも含めて、その後の経過について説明すること。また、家族構成や経済状況などを聞いて、お互いにどんなケアをするかを導き出していきます。利用者の生活状況全般と、その後の人生も視野に入れて支援するのです」
大変なのは、社会問題にもなっている介護スタッフ不足だ。どのように人材を確保するかは、施設管理者としての手腕が問われる。「求人広告を出して募集するほか、地元の人たちの協力を得ることが重要になってきます。例えば、定年退職をして自宅にいる人にドライバーとして働いてもらう。趣味で舞踊や詩の朗読をしている人がいたら、レクリエーションの時間に披露してもらうように呼びかけるのです」
時折、近隣の小学校や中学校から子どもたちがボランティアで訪れることもある。地域を巻き込んで高齢者を支えるのだ。
老健で働く医師の数は、まだまだ少ないのが現状だが、「多くの地域では医師の助言や支援を必要としています。老健の仕事は、やろうと思えばいくらでも発展させていけます」と小川氏は笑顔で語る。

小川 勝

小川 勝
医療法人社団実勝会 介護老人保健施設やすらぎ 理事長兼施設長
1997年東邦大学医学部卒業。東邦大学付属大森病院第一外科入局後、00年より現職。社会福祉法人瑞光会副理事長。在宅支援診療所小川クリニック院長。その他、公益社団法人全国老人保健施設協会総務企画委員会総務部会長、一般社団法人東京都老人保健施設協会副会長、江戸川区医師会理事、江戸川区障害者認定審査会会長など介護・福祉から地域医療と幅広い役割を務める。