「一般病院でも、十分に最先端の治療ができると実感しています」
メディカルトピア草加病院(埼玉県草加市)内視鏡診療部長の吉田智彦氏は語る。同院は2012年にリニューアル開院した新しい病院だ。内視鏡を用いた「低侵襲治療」の提供がコンセプトで、金平永二院長をはじめ、腹腔鏡手術のスペシャリストが多数在職する。症例数が豊富で、すでに高い実績を挙げている。
「卒後10年間、大学医局で勤務する中で、総合内科を基本としながら、何か一つ、誰にも負けない分野が欲しかったのです。それが内視鏡でした。早期の胃がんや大腸がんは、ほとんど症状がありません。しかし早期発見できれば内視鏡だけで根治できる病気です。もっと自分の技術を生かして患者を健康にしたいと思いました」
吉田氏の意欲と同院の方針は、見事に合致した。それを象徴するように、職員用のネームプレートの裏にはこう書かれている。
“きっといい考えだよ。チャレンジしようよ。(Good idea! Why don't we challenge ?)”
金平院長が考えたプリンシプルだ。
「初めてお会いした時、金平先生は『自分の理想とする内視鏡室を作って欲しい。そのためにバックアップする』とおっしゃいました。上からの指示で動くのではなく、自分の思いを活かせる病院で、ぜひチャレンジしてみたいと思いました」
同院のある埼玉県は全国で最も医師不足が深刻であり、なおかつ医療ニーズが高い。草加市は東京と埼玉の県境に位置し、わざわざ東京の病院に出掛ける患者も珍しくない。それまで都心の病院で働いてきた吉田氏は「患者が東京まで行かずに済むよう、質の高い医療を提供したい。医局という安定した場を飛び出して、自分の力を試したかった」と言う。
今年1月に入職し、早速、理想の内視鏡室作りに取り組んだ。
「内視鏡に対する患者の抵抗感を少しでも減らすために、検査時にはリラックスできる音楽を流しています。鎮静剤や経鼻の希望にも積極的に対応しました。リカバリールームでは、覚醒のスコアを導入し、安全に帰れるように配慮しています。女性医師が担当する日も設けました。また、患者の満足度は検査自体の精密さより、検査前後の安心感に左右されると思います。そのため、検査の説明は内視鏡室の看護師に託しました。画像を見てもらいながら丁寧に説明することで、患者の満足度は高まっているようです」
加えて、近隣の開業医からの検査依頼を増やすための対策も行った。
「それまでは、問診票や承諾書などの書類が7~8枚ほどありましたが、書式を作り直して半分程度に減らしました。また、通常は、検査のオーダーから結果の説明まで何度か来院する必要がありますが、1日で完結するように体制を見直しました」
月当たりの検査依頼数は、すぐに増えた。4月、5月の内視鏡検査総数は昨年同月比60~80%増、内視鏡治療件数は同2・5倍に達した。症例数の増加について、吉田氏はこう分析する。
「精密な内視鏡検査で早期に見つかるがんが多いこと。また、大腸ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)など、比較的、難しい手技にも対応していることから、患者が集まっているのだと思います。金平先生の腹腔鏡手術を求めて来院する患者の中に、内視鏡治療が適用できる症例もあります。入職して3カ月で20例以上のESDを経験し、スキルアップにつながっている手応えがあります」
医局在籍時と比べての変化はいくつもある。1つが、負担感の軽減だ。メディカルトピア草加病院は医師事務作業補助者を配置しており、「大学病院の時より診療以外の業務に費やす時間が減り、臨床に集中できる環境があります」と言う。
また、当直回数が減り、ONとOFFの切り替えが明確になった。
「1歳の子どもと過ごす時間が増えたことは、非常に嬉しいですね。スポーツジムに通うなど、プライベートが充実しました」
院内の人間関係のあり方も、医局時代とは少なからず変わった。
「医局員同士のような密な関係がないことは確かですが、一緒に楽しく仕事をしようとする仲間意識があり、とてもいい雰囲気だと思います。当院は診療科間の垣根が低く、他科の医師にコンサルトしやすい雰囲気です。治療方針に苦慮する症例は、なるべく複数の医師の意見を聞いて、医療の質を高めるようにしています」
一方、医局に在籍しなければできないこととして、吉田氏は「学生の教育や、教育者としてのステップアップ」を挙げる。医局と一般病院のどちらがよいというものではないが、「自分の目指す方向性にマッチする病院なら、転職してもいいのではないでしょうか。私自身、もし当院と出会えていなければ医局に残っていたかもしれません」と言う。それだけ、勤務先選びは重要なのだ。
幸運にも理想的な職場に出会えた吉田氏は、今後の目標をこう語る。「自分にかかりたい、治療を受けたいと思ってくれる患者が増えたら、これに勝るやりがいはありません。できることなら、東京から当院へ来る患者の流れを構築できるようにも頑張っていきたいと考えています」
埼玉県済生会栗橋病院糖尿病内科の川野真代氏が医局を離れたのは、卒後9年目。結婚に伴い、佐賀県から埼玉県に転居することがきっかけだった。
「当時の上司のつながりで、埼玉県内で糖尿病の専門医研修を受けられる当院を紹介してもらいました」
2008年1月の入職当初、糖尿病内科は川野氏を含めて4人体制だった。医局は異なるものの、診断や治療方針は予想以上に共通していた。
「全員が日本糖尿病学会に所属し、学会の方針に基づいて診療しています。それまでのスタイルを変える必要はありませんでした」
その後、医師が減り、常勤医は川野氏1人の体制になったが、病院とつながりが深い大学の協力を得て、専門医を取得した。現在は子育てと仕事をうまく両立している。週3日勤務の嘱託医として、糖尿病の専門外来を受け持っている。
「子育て中の女性医師の働き方として、クリニックのアルバイトだけにするパターンがあります。しかし、専門外来を持つことができなかったり、できても子どもを預けにくかったりします。当院は、院内保育所がありますし、病気の時は小児科病棟で職員の子どもを預かってくれるので、安心して働くことができます」
医局を離れて気づいたのは、転勤がないことのありがたさだ。育児だけでなく、診療上でも同じ病院に勤務し続けられるメリットは大きい。
「糖尿病のような慢性疾患は、長期間、継続して診ることに意味があると思います。医局に属していた頃は、1~2年で転勤をしていました。2カ月に1度しか来院しない患者は、“顔を覚えた頃には転勤”ということもありました。今は、中断されずに担当できることが嬉しいですね」
一般的に、医局を離れると、新しい医学知識のアップデートが難しくなると言われる。だが、川野氏にとっては問題にならなかった。
「年2回は病院の費用持ちで学会に行くことができます。また、職員用の図書室には専属の司書がおり、文献を入手することには困りません。電子ジャーナルで閲覧できる文献も豊富に揃っています。ただ、医局のように勉強することへの強制力はないので、自分で学ぶ意識が大切です」
医局に属していなければ難しいこととしては、博士号の取得が挙げられる。川野氏は、医局在籍中の06年に研究をほぼ終わらせ、07年に佐賀大学大学院(社会人入学)に進学して、退局後に論文を書き上げた。
「結婚が決まる直前に入学したのですが、教授が寛容で、現在の病院に入職後もそのまま大学院に在籍させてもらえました。大学院の講義は佐賀にいたころにすべて受けており、その後は埼玉から時々通いながら、レポートを提出し、学位審査に通過して博士号を取得できました」
教授の心遣いや、病院の支援体制によって、医局を離れても専門医と博士号を取得し、専門外来を受け持つことができた川野氏。医師としても、子育て中の母親としても、満足のいく働き方を実現している。
医師紹介会社のCA(キャリアアドバイザー)によると、医師が大学医局に感じているメリットは「安定した職場」「万が一の時のセーフティーネット」が多いそうだ。経営状況の厳しい病院が多く、医療訴訟などの諸問題もある今、医局は安心感をもたらす場でもあるようだ。
一方で、30代以下を中心に、医局にこだわらない医師も増えてきている。今回、読者の医師に意見を募ったところ、30代半ば頃に退局し、新しいキャリアを築いている声がいくつも寄せられた(下段参照)。
退局した理由は、医療崩壊や過重労働による疲弊、さらなるスキルアップなどさまざまである。
そうした選択を可能にしているのが、一般病院の変化だ。前ページまでに紹介した2病院のほかにも、国内留学が可能だったり、博士号取得を応援したり、研究を推進したりする病院は少なくない。中には、非常勤医として勤務しながら博士号を取得できる病院もある。かつては大学でなければ難しいとされていたことが、少しずつ一般病院にも普及してきたようだ。
また、大学を離れると勉強の継続が難しくなると言われるが、院内で勉強会を開いている一般病院は多い。特定の手術が得意な医師が発起人となり、定期的にレクチャーする場を設けるケース。医師が昼休みの時間に集まって、症例報告や、診療ノウハウの共有を行うケースもある。「病院というよりも、医師が主体となることが多いイメージ」とCAは言う。ある医師は「情報不足や勉強会に参加できなくなると心配する人もいるが、そんなことはない。要は、自分次第」(男性・30代・クリニック勤務医・糖尿病内科)と断言する。
なお、退局のタイミングについては慎重な意見もある。ある医師は「教授の交替に合わせて円満に退局できた」(男性・30代・一般病院勤務医)と言う。「スキルと人脈を増やしてからにしたい」(男性・30代・大学病院勤務医・一般内科)との声も寄せられた。
「退局は26歳の時。地元の病院で当直当番があり、そこの先生から勧誘を受けた。専門医の取得はできなくなると思ったが、数年後に転職先の病院で産業医に転身した。開業医主体の学会の経過措置で取得できた専門医もあったため、不自由はなかった」
女性・50代・企業勤務医・産業医
「33歳で退局。自分のやりたい専門分野が大学ではできないため。教授以下、納得して快く送り出してくれた」
男性・30代・一般病院勤務医・消化器外科
「教授が交代するタイミングで、35歳頃に退局。医局という後ろ盾がなくなったので、その時に勤務していた病院で、しっかり仕事をすることを心がけた」
男性・一般病院勤務医・麻酔科
「上がつかえてポストがなかったので、34歳で退局した。 後輩医局員が若手ばかりになってしまい、責任を放棄したような罪悪感があった」
男性・企業勤務医・一般内科
「35歳頃、医療崩壊に伴い退局。就職先を自分で探すのは、やってみると意外に楽しく、気軽にいろいろトライできた」
男性・一般病院勤務医・一般外科
「あと5年くらいで辞めそう。疲れたので、自由が欲しい。自分の力で生きていけるようなスキルと人脈を増やしてからにしたい」
男性・30代・大学病院勤務医・一般内科
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