女性医師の活躍は社会の要請。支援される側の自覚、覚悟も大切
女性医師・研究者育成に力を入れている東京女子医科大学。2006年度から3年間、文部科学省から支援を受けて「保育とワークシェアによる女性医学研者支援」を実施。その成果を活かし、09年度に「女性医師・研究者支援センター」を発足した。
センター長で、自身も仕事と子育てを両立させた斎藤加代子氏は語る。
「ポイントは、女性医師や女性研究者が出産、育児のために自らのキャリアを犠牲にすることがないよう、いかに支援できるかです」
そのための方策として、子育てとキャリア形成を両立させる5つの短時間勤務制度を導入(図参照)。
「女性臨床医師支援」では、週3日28時間勤務など、個々の状況に応じた勤務時間を選択可能。「女性医学研究者支援」では最大3年間、週30時間以上の短時間勤務が可能で、同僚から短時間勤務への不満が生じないよう、給与が基金等から支給される。
臨床系教員、医療練士研修生の短時間勤務制度もあり、育児に参加したい男性医師も利用できる。
さらに院内保育所を設け、待機児の昼間保育ほか、延長、夜間、休日、病児保育も行っている。
近辺の住民や同大の父母会など、30時間の講習を受けた提供会員による「ファミリーサポート」もあり、一時預かり(生後約2カ月から)、病(後)児保育、お泊り保育も利用できる(有料)。塾、お稽古などへの送り迎え、夏休み中なども心強い。
女性医師にとっては、やはりまずは、受け入れ体制の整った環境に身をおけるかが大きなポイントになる。
とはいえ、短時間勤務が困難など、現状では女性医師支援の体制が整っていない施設も少なくない。同センターには施設からの相談も多く、どう支援すればいいか施設や医師たちが戸惑っている様子も窺えるという。
そんななか斎藤氏は、「どんな形でもいいので、キャリアを途切れさせないことが大切」と強調する。
「私自身、一人目が生まれたとき、男性の指導教授に『水は低きに流れる。人も楽な方に流されやすいが、厳しいことにチャレンジしなければならない』と激励されました。小児科医ということもあり、四六時中、可愛い我が子の成長を見ていたいと思ったこともありましたが、辞めてはだめ、すぐに復帰しようと、自分を奮い立たせました」(斎藤氏)
日進月歩の医療の世界では現場を離れるリスクは小さくないし、ポジションを失うことにもなりかねない。
「臨床の現場で難しい症例に出合うと、必然的に仕事への意欲が湧く。短時間でも現場に立つことで、自然と背中が押されます」(斎藤氏)
勤務できる時間が限られるなら、努力して時間を捻出し、論文を作成するのもいい。斎藤氏も夫の転勤でアメリカに転居し、現場を離れた時期があったが、現地で遺伝子研究を深めた。その成果は復職時の手土産になったという。
また、体制が整っていないなら、同世代の女性医師など、仲間を増やして、理解が得られるように働きかけるなどの努力も必要といえそうだ。親の協力を得て仕事を続けてきた先輩医師に対しては、核家族化で親の協力が得にくくなった現状など、社会情勢の変化も伝える必要がある。
「長時間の勤務ができない代わりに面倒な仕事を率先して引き受けるなど、先輩医師に短時間勤務を受け入れてもらうための工夫も必要。専門性など、自身の輝きをアピールして、必要な人材だと思ってもらう努力もすべきです。一番大切なのは、女性医師自身の自覚と覚悟。なぜ医学に携わろうと考え、努力してきたのか。時には初心に戻って考えてみましょう。男性医師には話せないことも女性医師になら話せるなど、患者さんは女性医師を求めています」
宮原敏基金による 女性臨床医師支援 |
女性臨床系教員のキャリア形成支援 特殊技能取得などキャリア形成を図るための短時間勤務制度 |
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女性医師・研究者支援基金による 女性医学研究者支援 |
優れた女性医学研究者への研究と育児両立のための支援 研究と育児や介護等を両立できるための短時間勤務制度 |
佐竹高子女性医学研究者研究奨励金による 女性医学研究者支援 |
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宮原敏基金による 女性臨床医師支援 |
女性臨床系教員のキャリア形成支援 特殊技能取得などキャリア形成を図るための短時間勤務制度 |
臨床系教員の短時間勤務制度(男女医師対象) | 育児や介護等で通常の勤務が困難な臨床系教員への支援 |
医療錬士研修生の短時間勤務制度(男女医師対象) | 医療錬士研修生(大学院生を除く)の子育て支援 |
院内保育所 | 昼間、延長、夜間、休日、病児に対応 |
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女子医大ファミリーサポート | 地域の人々からの子育て支援システム |
常勤、非常勤の女性医師を対象に調査したところ、結婚・出産とキャリアに関する悩みでは、「仕事と家庭の両立が困難」ほか、育児サポートの少なさ、理解の低さが挙がった。
勤務時間の柔軟性、当直・オンコール免除など、勤務体制に関することや、育児支援施設の設置など、ソフト面、ハード面とも、上司や同僚の理解といったことより、具体的な要望が目立つ。
※2014年7月小誌読者調査
結婚・出産とキャリアに関して悩みはありますか?(複数回答)
病院の女性支援としてあると良いと思われるものには何がありますか?(複数回答)
医療法人社団 常仁会 牛久愛和総合病院
約30年前から院内保育所を整備。看護師を含め、常時数10人が育休をとっており、それも、女性の働きやすさが担保されている証
約30年前から院内保育所を運営、短時間勤務も可能とするなど、女性医師の支援に力を入れてきた牛久愛和総合病院。東京女子医大女性医師再教育センターの研修協力病院にも指定されており、復職を望む女性医師の研修も受入可能となっている。
同施設の特徴は、勤務時間の原則規定はあるが、特に麻酔科のように不規則な勤務になる場合は、勤務調整を医師同士で話し合い、自主的に決められること。無理が生じた場合には、非常勤医師を手当てするなどの調整を行う。
「女性医師や看護師が働きやすい環境整備を早くから行ってきたため、離職率も低く、女性医師が仕事を続けるのは普通のことという雰囲気が醸成されています。だからこそ育児への理解、医師間の連携がとれているのだと思います」(中野達也氏)
長年の取り組みにより職場はオープンで、男性医師からの不満もほとんど聞かれないという。
働きやすさに魅力を感じて転職してくる育児中の女性医師もおり、麻酔科医の鈴木あや氏もその一人だ。
鈴木氏は富山県の大学の医局に勤務。25歳で結婚、27歳で第一子を出産した。出産後7カ月で復職し、産休前とほぼ変わらぬ働き方でオンコールにも対応、月に1度は当直もこなした。子どもが病気のとき、自身が休めなければ両親に仕事を休んでもらうなどの苦労もあったが、何より鈴木氏の負担になったのは、100%仕事に集中できていないと感じることだったという。
「患者さんから、すべてお任せしますと言われることが多いのですが、それは命を預けるという重い言葉。子育て中だとか、子どもが熱を出しているといったことは患者さんには関係のないことであり、承諾書を頂いたからには100%患者さんに集中しなければならない」(鈴木氏)と考えているからだ。
その後、夫の都合で茨城県に転居することになり、現施設に転職した。週4日勤務で、施設を出るのは通常17時頃。週2日は残り当番で、19時頃になることが多い。深夜に及ぶときには夫が子どものケアにあたる。オンコール対応や宿直はない。
「院内保育でいざという時にはすぐに駆けつけられるという安心感があり、仕事中は100%、患者さんに向き合うことができる。オンコールがないので、帰宅後は子どもに集中できるのも嬉しい」という。
子育て中の医師も多く、現施設では職場の雰囲気もいいし、相談もしやすい。転職前の医局には出産経験のある女性医師もおらず、医局は戸惑いながら協力してくれたが、肩身が狭いと感じたこともあったという。
「それでも頑張って続けてよかった。患者さんと真摯に向き合うためにもブランクを作りたくなかったのです。細くても長く続けることが、自信になると思います」(鈴木氏)
医療法人財団 健和会 みさと健和病院
院内保育所では病児も受け入れ。必要に応じて施設の小児科医が対応する。安心して子どもを預けられるのが嬉しい
健和会は、女性医師の採用に積極的な施設として知られている。
医師部事務局長の高橋俊敬氏は「女性医師が少ないのは、医療業界全般に女性医師が働く環境整備ができていないからにほかならない」と指摘する。
健和会みさと健和病院の特徴は、単位制の給与制度により、女性医師に限らず、すべての医師が、勤務時間を選択できることにある。
制度を導入したのは開院から2年後の85年で、当直の有無、また1週間の勤務日数(週4日、4・5日、5日など)の組み合わせにより、計10パターンを用意。報酬体系も明確にした。入職時にいずれかを選択し、年度ごとに変更もできる。育児中の女性医師では、当直なし・週4日勤務を選択し、子どもが成長に応じて日数を増やすケースが多いという。無理なく、キャリアを繋げる体制だ。
10年には院内保育所を開設。一般の保育所より割安な料金で利用できることと、なにより、病児保育も行っているのが心強い。
出産などで退職した医師も利用できるシニア研修の制度もある。出産後、十数年、少年院の医務官として働いた女性医師が3年間かけて再教育プログラムを受けた実績があるという。
回復期リハビリテーション病棟医長の大河原節子氏は、35歳で結婚、38歳で男児を出産した。
出産、育児で約1年の休暇があったが、完全に休んだのは3カ月間のみで、あとは週1日のペースで仕事をしたという。現場で大河原氏の専門性が必要とされたからである。
大変なようにも思うが、「週1日、育児から離れるのは精神衛生上もよかったし、医師の技術は進歩が速いので、勘を失わないためにも良かった」(大河原氏)と振り返る。
当時は院内保育所もなく、生後11カ月で無認可保育園に入れたものの、アトピー性皮膚炎で除去食の持ち込みが必要といった苦労も。それでも「働くのは当たり前。仕事によって視野が広がり、子どものためにもなる」との思いが強かったという。
「開業、専門書の出版など、どういう仕事がしたいか、将来のイメージをしっかり持つと、目の前の大変さも乗り越えられます。家族、職場、指導医に恵まれることも重要ですが、協力関係を築くには自分から働きかけることが大切です」と話す。
「病院はオーケストラ。組曲『展覧会の絵』は最後の楽章までシンバルの出番がないが、それでもシンバルがいなければ成り立たない。そういう意識で、時間に制約があっても遠慮なく発言し、堂々と働いて欲しい。そのための環境整備、また医師の意識が必要だと思います」(高橋氏)
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