医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.9
医療法人社団誠広会
岐阜中央病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


人生経験の
豊富さによる
コミュニケーション能力の
高さに期待しています

阪神淡路大震災に
衝撃を受け
仕事を辞めて
医師を目指しました

消化器内科 医員
姫野 祐一郎 氏

消化器内科 内科部長
檜沢 一興 氏

Kazuoki Hizawa

1986年九州大学医学部卒業。同年九州大学第二内科(現:病態機能内科学)へ入局。88年九州大学消化器研究室配属。松山赤十字病院勤務を経て、91年九州大学第二内科研究生。消化管ポリポーシスの研究で学位を取得。95年九州大学第二内科助手に任命。02年より現職。

Yuuichiro Himeno

1994年 九州大学工学部卒。地元・福岡県にてオーディオ小売店に就職。
2000年 熊本大学医学部入学。
2004年 熊本大学医学部卒業。同年より福岡赤十字病院にて初期研修を行う。
2006年 福岡赤十字病院にて、後期研修消化器内科コースを選択。
2009年 4月より現職。

人生経験の豊富さによるコミュニケーション能力の高さに期待しています

今回お話頂いた医療施設側

消化器内科 内科部長
檜沢 一興 氏Kazuoki Hizawa1986年九州大学医学部卒業。同年九州大学第二内科(現:病態機能内科学)へ入局。88年九州大学消化器研究室配属。松山赤十字病院勤務を経て、91年九州大学第二内科研究生。消化管ポリポーシスの研究で学位を取得。95年九州大学第二内科助手に任命。02年より現職。

阪神淡路大震災に衝撃を受け仕事を辞めて医師を目指しました

今回お話頂いた医師

消化器内科 医員
姫野 祐一郎 氏Yuuichiro Himeno1994年 九州大学工学部卒。地元・福岡県にてオーディオ小売店に就職。
2000年 熊本大学医学部入学。
2004年 熊本大学医学部卒業。同年より福岡赤十字病院にて初期研修を行う。
2006年 福岡赤十字病院にて、後期研修消化器内科コースを選択。
2009年 4月より現職。

姫野祐一郎氏が医師になろうと決心をしたのは、テレビで阪神淡路大震災のニュースを観たときだ。

「今の仕事では、本当に人が困っているときには役立てないと感じました」

 姫野氏は、九州大学の工学部を卒業後、地元福岡県のオーディオ店に勤務していた。オーディオ機器も、人と話すことも好きだったため、仕事には満足しているつもりだったが、衝撃的な映像は人生観を変えた。すぐに仕事を辞めて予備校に通い始め、3年後に熊本大学医学部に合格。卒業後は、福岡赤十字病院にて初期研修を行った。地域医療を学ぶため、福岡県の今津赤十字病院にも派遣された。ここで当時副院長であった長尾哲彦氏に出会い、少人数の症例検討会を継続的に行うようになったことが、のちにキャリアチェンジのきっかけとなる。

 初期研修後も、引き続き消化器内科中心の後期研修を3年間行った。とくに内視鏡の手技の習得に努めた。

「上部消化管内視鏡を約1500件、下部消化管内視鏡を約300件経験しました。外来の診察も行い、入院患者も平均7〜8人を担当していました。患者は早期がんが多かったですね」

 そのほか、イレウス、急性胃腸炎などの急患、どの科にもあてはまらない一般内科の患者さんも担当していた。

「地域医療は一般内科の知識がないと行えない。自分の専門性だけで判断するのは危険だと感じました」

 そんな折、長尾氏から、一般内科にも長けた檜沢一興氏のもとで勉強をすることを提案されたのだ。

九州中央病院で会った檜沢一興氏の第一印象は、長尾氏から聞いていた通り温かなものだった。ともに働いてみて、その鑑別診断能力の高さに驚嘆した。

「(私は)患者に胃もたれがあると言われると、胃炎を疑うなど、消化器疾患に結び付けて考えてしまいがちですが、そこで血液疾患や膠原病も疑うなど、他科の疾患や背後にある大きな疾患を想像できるかどうかが、臨床能力の差です。もっと勉強しなければと痛感しました」

 また、ここでは、水曜の朝にさまざまな科の部長の講義が行われるなど、多様なプログラムが用意されている。

「金曜のカンファレンスでは、研修医が救急外来などで対応した患者について、担当医とともに発表します。ほとんどの医師が集まって、各自の専門科の視点で話し合います。初期研修先を探すときに多くの病院を見学しましたが、これだけしっかりと勉強できるところは、あまりないと思います」

 消化器内科では、地域連携のためにも、近隣の開業医を招いて毎月勉強会を実施している。この会は25年も続いており、毎回20例ほどを共有する。

「普通ですとX線のフィルムを持ってきて、内視鏡の写真もパソコンで取り込んで、と手間がかかります。ここにはフルオーダーメイドの電子カルテが導入されているため、パソコン上で簡単な作業をするだけで、会議室のプロジェクターに表示することができます。これには感激しました」

 また、内視鏡の症例数が多く、年間1000例ほど担当できることにも満足している。下部消化管内視鏡も経験を積み、上達した。人間ドックの患者も診察を担当するようになった。

「まだまだ眼の前のことをこなすのに必死ですが、消化器の疾患をしっかり診られるようになったうえで、鑑別診断能力も養い、地域医療に役立てる存在になりたいです」

 優しい語り口のなかに情熱をにじませながら、将来の夢を語ってくれた。

檜沢一興氏は、姫野氏の温厚な人柄や、社会人生活で身につけたコミュニケーション能力の高さを評価している。

「患者や先輩医師はもちろん、コメディカルに対する気遣いも抜群です。仕事以外でも、飲み会の幹事を率先して引き受けてくれ、私も知らないような素敵なお店を探してきてくれます。私はもう勤め始めて10年で、周囲のお店は知り尽くしているつもりだったので、驚きましたね。とにかくサービス精神が旺盛で、人生経験の豊かさを感じます。本人は『回り道ばかりの人生です』と謙遜されますが、決して無駄な時間ではなかったと思います」  九州中央病院は、医局が1部屋しかなく、すべての科の医師が席を並べている。そのため内科の医師同士はもとより、外科の医師とも連携がとりやすい。医師同士で顔をあわせる機会が多いだけに、相談を持ちかけるタイミングには気を使う部分もある。

 檜沢氏は「うちの外科の先生は、よく働かれていて頭が下がります。みな、いつでも忙しいですが、姫野氏は相手が一段落しているときを見計らうなど、お願いごとのタイミングが絶妙です。外科の先生がたは、お願いをすると、すぐ助けてくれて、本当に頼りになります」など、すべての同僚に対する賛辞を惜しまない。お互いの事情や生活がよく見えるためか、他科の医師同士が深い尊敬と感謝の念を持ち合っているのが伝わってくる。

 この院風をつくっているのが、院長の杉町圭蔵氏だ。

「いいと思われたことは、ためらわず実行にうつされる方です。電子カルテも早期に導入されました。セカンドオピニオンの相談を無料で受けるという試みも始められました。月曜の朝には大学の教授などの生の声を聞ける講義があります。それが実施できるのも院長の人望です」

 充実した教育体制と、大勢の優秀な医師が揃った環境のなかで「姫野氏は、自分で考えて行動ができる方です。よいものをどんどん吸収して、成長されていると感じます」。姫野氏をはじめ、多くの若手医師が生き生きと働いているのが伝わってきた。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2010年1月号より転載されたものです