医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.2
医療法人鉄蕉会
亀田メディカルセンター

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


大規模組織で、優秀なスタッフとスポーツ医学を充実させたい

整形外科 部長代理
大内 洋 氏

リハビリテーション事業管理部 部長
村永 信吾氏

Shingo Muranaga

1958年鹿児島大学教育学部卒。62年国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院卒、同年亀田メディカルセンター勤務。10人強の時代からリハビリスタッフを盛り上げ続けている。04年昭和大学にて博士(医学)取得。

Hiroshi Ouchi

2001年東京医科歯科大学卒。同年佐久総合病院にて研修。04年から医療法人アレックス佐久平整形外科クリニックスポーツ関節鏡センターに勤務。08年にTaos Institute特別研究員。08年3月より現職。

大規模組織で、優秀なスタッフとスポーツ医学を充実させたい

今回お話頂いた医療施設側

リハビリテーション事業管理部 部長
村永 信吾氏Shingo Muranaga1958年鹿児島大学教育学部卒。62年国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院卒、同年亀田メディカルセンター勤務。10人強の時代からリハビリスタッフを盛り上げ続けている。04年昭和大学にて博士(医学)取得。

今回お話頂いた医師

整形外科 部長代理
大内 洋 氏Hiroshi Ouchi2001年東京医科歯科大学卒。同年佐久総合病院にて研修。04年から医療法人アレックス佐久平整形外科クリニックスポーツ関節鏡センターに勤務。08年にTaos Institute特別研究員。08年3月より現職。

「骨折をして40点になった身体を元の70点の状態に戻すよりも、70点の身体能力の患者さんから、90点のパフォーマンスを引き出す医療を行いたい」

 これが、大内洋氏がスポーツ整形外科を専門にした理由だ。「もちろんスポーツは大好きです」と、よく日に焼けた顔をほころばせる。今でもスノーボードやサーフィン、テニスなどをしていて、肋骨や手など、複数個所の骨折経験があることも、その選択に影響を及ぼしたかもしれない。

 大内氏は、東京医科歯科大学医学部を卒業後、長野厚生連佐久総合病院などで研修して整形外科専門医を取得した。その後、スポーツ整形外科を手がけるクリニックとして名高い佐久平整形外科クリニックで勤務し、関節鏡の手技を習得した。また、全身の関節を診たい、と学閥を超えて各部位の専門家に教えを請い、研鑽を重ねていった。

 さて、亀田メディカルセンターでは、整形外科主任部長である黒田浩司氏による腫瘍性疾患をはじめ、整形外科を専門特化させる構想があった。そこで、07年末、スポーツ整形外科や関節鏡手術の分野の担当者として大内氏に声がかかった。興味のある病院だったため見学に行ってみると、黒田氏や、PTでリハビリテーション事業管理部長の村永信吾氏だけでなく、医療法人鉄蕉会理事長の亀田 明氏、整形外科医で亀田総合病院院長の亀田信介氏までもが、大内氏をあたたかく出迎えた。

「1人でできることには限界がありますし、チームプレーが好きです。大きな病院で、より多くのスタッフと連携する仕事をしたいと考え、キャリアチェンジを決意しました」

大内氏は、大学時代に学園祭の実行委員長を務め、スノーボードのサークルをつくるなど、もともと大勢の人をまとめるのが得意で、強いリーダーシップを持ち合わせていた。しかし、「いつも周りに助けられているだけですよ」と当人はあくまでも謙虚だ。

 現在は、アスリートを中心に据えて診療科を横断的にとらえる、スポーツ医科学センター構想を手がけている。精神科医がメンタル面を支え、眼科医が動体視力を向上させ、婦人科医が女性アスリートの無月経などに対応する。31科から成る組織だからこそできることに取り組みたい考えで、この7月から少しずつ始動させる予定である。
 また、スポーツ整形外科の分野では、リハビリスタッフとの連携が何よりも欠かせない。

「スポーツ整形外科の外来に来る患者さんの8?9割は、運動療法だけで治ります。手術を行った場合でも、術後のリハビリにより治療成績は大きく異なります。亀田のリハビリスタッフは優秀なうえ、明るく前向きな人が多く、勉強会で課題を出すと、期待以上の反響が返ってきます。とても助かりますし、私自身の刺激になってもいます」

 リハビリスタッフと円滑なコミュニケーションを図るため、大内氏のPHSはリハビリスタッフとのホットラインになっている。気になることを、お互い気軽に問い合わせるため、情報共有された電子カルテシステムの行間部分までをも共有することができる。

「たとえば、野球をする患者さんが肘の痛みを訴えた場合、肘だけを診ればよいのではありません。その背景で、股関節が固くなっていないか、投球フォームが悪くないか、全身の状態をリハビリスタッフと情報共有し合って確かめていく必要があります」

 今は、診察室が4階、リハビリ室が5階にあり、物理的には距離がある。「しょっちゅう往復しているため、毎日2万歩くらい歩いています」と笑う。それでも足りないと感じる。大内氏は、それだけリハビリスタッフと患者の治療方針を話し合うことが好きなようだ。

亀田メディカルセンターでは、急性期から回復期までさまざまな現場をローテートしながら、自らのキャリアを考えていける。そのため、全国から高いモチベーションを持ったリハビリスタッフが集まってくる。そんな120人以上のリハビリスタッフを束ねているのが村永信吾氏である。村永氏は「リハビリはインフラだ」という。

「コメディカルからは、医師の世界に入りにくいものです。大内先生のように、職種や診療科を超えて積極的にかかわろうとする医師とは仕事がしやすい。お人柄と専用のPHSによって、すぐに信頼関係が構築できました」

 リハビリスタッフの質問には、誠意を持って答え、場合によっては議論もする。そんな大内氏の存在で、リハビリスタッフは急速に成長していく。  大内氏の着任時、整形外科受診患者の平均年齢は60?70代だった。そこで、大内氏は周辺の医療機関や学校を回り、スポーツ整形外科医としての着任と、この分野が地域医療の一翼を担うことを伝えた。すると3ヵ月ほどで、診察室に中高生の姿が目立つようになった。

 スポーツ整形外科というと、トップアスリートのものだと誤解されやすい。部活動で体を動かしたり仕事で荷物を上げ下ろししたりする際に困ってしまう、という悩みを抱えた学生や働き盛りの人でも気軽に受診しやすいよう、スポーツ医科学センター構想の中には外来時間を14時?19時に変更するという案もある。

 スポーツ整形外科が、全住民を対象とした、運動機能の向上や健康づくりを支える専門分野として確立する日は、近いのだろう。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年5月号より転載されたものです