医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.5
独立行政法人 国立病院機構
埼玉病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


地域の患者に、形成外科の治療領域を知ってもらいたい

形成外科 医師
大原 博敏 氏

院長
牛島 康榮 氏

Yasuhide Ushijima

1969年慶應義塾大学医学部卒、同年慶應義塾大学外科に入局。70年より川崎市立井田病院出向。74年慶應病院理化学教室帰局。76年足利赤十字病院に出向。83年国立埼玉病院に外科医長として着任。04年より現職。

Hirotoshi Ohara

1999年杏林大学医学部を卒業、同年慶應義塾大学の形成外科に入局。形成外科研修医として2年間勤務。大和市立病院などでの外科研修を経て、03年東京都済生会中央病院、06年国立成育医療センターなどに勤務。09年慶應義塾大学大学院卒、博士号取得。09年6月より現職

地域の患者に、形成外科の治療領域を知ってもらいたい

今回お話頂いた医療施設側

院長
牛島 康榮 氏Yasuhide Ushijima1969年慶應義塾大学医学部卒、同年慶應義塾大学外科に入局。70年より川崎市立井田病院出向。74年慶應病院理化学教室帰局。76年足利赤十字病院に出向。83年国立埼玉病院に外科医長として着任。04年より現職。

今回お話頂いた医師

形成外科 医師
大原 博敏 氏Hirotoshi Ohara1999年杏林大学医学部を卒業、同年慶應義塾大学の形成外科に入局。形成外科研修医として2年間勤務。大和市立病院などでの外科研修を経て、03年東京都済生会中央病院、06年国立成育医療センターなどに勤務。09年慶應義塾大学大学院卒、博士号取得。09年6月より現職

大原博敏氏は10〜18歳までを台湾で過ごした。中学までは日本人学校だったが、高校時代は現地校へと通った。

「儒教的な思想が根づいている台湾で、最も尊敬される職業は医師でした。そのような環境もあり、自然と医師になりたいと願うようになっていました」と、大原氏は微笑む。また大原氏には12歳年上の形成外科医の兄がおり、医学生の頃には、頻繁に手術見学に行っていた。兄の影響もあり、大原氏自身も形成外科医を志望するようになった。

 杏林大学医学部を卒業後、慶應大学の形成外科へと入局し、2年間の研修を行った。その後も、大和市立病院などで外科医として研修を積む。04年には慶應大学大学院に入学。大学院では皮弁と細胞療法の研究を行っていた。

 同時に、慶應大学病院や国立成育医療センターにて、形成外科医として臨床の腕を磨き続けた。国立成育医療センターでは小児先天異常を、慶應大学病院では、再建などの手術を多く手がけた。生まれつきの頭蓋骨の変形には骨を組み替えたり、延長して正常に戻す。舌がんや乳がんの患者さんが、手術によって失った部分を皮弁で埋めていく。食道がんの手術では食道の管が足りない場合は、皮膚をロール状にまるめて管を作るなど、自分のアイディア次第で、様々な治療法を作り出せることに喜びを見出すようになった。

「形成外科は自由度の高い診療科だと思います。赤ちゃんから老人まで、頭から足の先まで、すべてが診療範囲なのもやりがいがあります」

 しかし、患者の中には、形成=美容形成だと考えていたり、形成と整形の違いがわからなかったりする人もまだまだ多い。形成外科についてもっと多くの人に知ってほしい、上手に利用をしてほしいと考えるようになった。そんなときに、埼玉病院が、新たに形成外科を創設するために、形成外科医を募集していることを知り興味を持った。今年の4月に病院見学に訪れ、職員たちが生き生きと働いている姿を見て、6月より働き始める決意をした。

現在は、できるだけ多くの患者さんを診て、形成外科の治療を地域の人に提供したいと考えている。

「24時間365日、どんな症例がきても断らず、すべて自分でこなしていくつもりです」と力強く語る。

 当面は、週に3日の外来を行いながら、他科の医師と連携をして、入院患者の術後のフォローなどを担当する予定だ。そのため、外科のカンファレンスに積極的に参加したり、医局で関連のある医師に声をかけて、疾患の治療方針について聞いたりするなど、積極的に他科の医師とコミュニケーションをはかっている。形成外科は傷の修復や再建を担当するため、ほかの科と連携して行う手術や診療が多い。そのため、様々なことに好奇心旺盛であるように心がけている。

 実際に埼玉病院で働いてみて、院内が活気に満ち溢れていることに、あらためて感動した。スタッフが一致団結をして、患者に尽くそうという気風を感じた。また敷地内にある宿舎のきれいさにも驚いた。出産を終えたばかりの大原氏の妻も、子育てがしやすいと喜んでいるという。宿舎は2年前に建て直されたばかりで、マンション形式となっている。牛島院長のポリシーは、「医師に優しく、長く働きやすい病院を作ることが、ひいては患者に優しい病院を作ることにつながる」だ。そのため、給食付きの24時間保育所もある。ゆくゆくは病児保育や学童保育も完備される予定だ。それは、保健師として働く大原氏の妻にとっても朗報だろう。新しい職場での生活を楽しんでいるのは、大原氏だけではないようだ。

埼玉病院は、川越市、所沢市など、11市をカバーする西部第一保健医療圏の中核病院であり、唯一の公的病院である。そのわりには、欠落した部門があることが、気がかりだったという。

 今年の12月には、6階建ての新病院が完成し、新たなステージへと向かう。それにあわせて、今年より形成外科のほか、呼吸器外科など、新しい科をどんどん増やしている。今までは、再建を担当する形成外科医がいないために、受けることができないケースや、選ぶことができない治療法もあった。形成外科がないために、ほかの病院に送らなければならない患者がいることを残念に思っていた。

「遠くの病院に通うことは、患者さんの負担にもなります。大原先生が来られたことで、様々な科で、治療範囲の幅が広がったことが嬉しいですね」

 牛島院長が大原先生を選んだのは、面接でこの病院でなにをしたいか聞いたときに、大仰なことを言わなかったからだという。「この地域の方に、形成外科をわかってほしい」と答えたのが気に入った。ええかっこしいなことをいうのは本物ではないと考えている。

「こちらも、プロに対して、こういうことをやってくれというのは失礼だと思っています。好きなようにやってほしいと思いますし、そうしなければ、人は来てくれない」と、懐の大きさを感じさせる笑顔を、大原氏に向ける。

 牛島院長は、「まずは病気をもった人間に興味をもち、次に病気に興味をもつ」という臨床医の原則さえ忘れなければ、自由に診療方針を決めてもらいたいと考えている。

 埼玉病院には、褥瘡委員会や院内感染委員会など、外科、内科に関係なく、病院内部のスタッフが横断的に集まる研究会がある。とくに褥瘡委員会は、近隣の介護施設の職員や看護師も参加する大規模な会だ。大原氏には、褥瘡委員会で中心的な役割を担い、多くの褥瘡に悩む患者の治療を行うことを期待しているという。今後、地域医療を担う病院として、埼玉病院はさらに存在感を増していくことだろう。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年9月号より転載されたものです