医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.3
社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス
東埼玉総合病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


専門性をもった臨床医になるために

消化器内科 医員
小柳 愛 氏

光学診療科 医長
木原 昌則 氏

Masanori Kihara

1992年自治医科大学卒、三重県立総合医療センターにて研修後、三重県内で診療。00年より自治医科大学さいたま医療センターに勤務。03年8月より現職。日本消化器病学会専門医、日本内視鏡学会専門医、日本内科学会認定医。

Ai Koyanagi

1998年琉球大学医学部卒、同年国立国際医療センターにて研修。02年リバプール大学熱帯医学大学院に、04年ジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院に留学。08年10月より現職。

専門性をもった臨床医になるために

今回お話頂いた医療施設側

光学診療科 医長
木原 昌則 氏Masanori Kihara1992年自治医科大学卒、三重県立総合医療センターにて研修後、三重県内で診療。00年より自治医科大学さいたま医療センターに勤務。03年8月より現職。日本消化器病学会専門医、日本内視鏡学会専門医、日本内科学会認定医。

今回お話頂いた医師

消化器内科 医員
小柳 愛 氏Ai Koyanagi1998年琉球大学医学部卒、同年国立国際医療センターにて研修。02年リバプール大学熱帯医学大学院に、04年ジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院に留学。08年10月より現職。

4〜8歳をアメリカで、11〜15歳をスイスで過ごした小柳愛氏は、国際的に通用する仕事である医師を目指すようになったという。琉球大学医学部を卒業後、2年間のローテート研修を終えると、ニジェールの母子健康センターで国際医療に協力した。その後も、イギリスのリバプール大学大学院(修士課程)やアメリカのジョンズホプキンス大学大学院(博士課程)で感染症や疫学について研究するなど、国際色豊かなキャリアを歩んできた。  30代も半ばになり、専門分野をつくって臨床にあたりたいと考えるようになった。専門分野に消化器内科を選んだのは、患者数が多く、さまざまな手技を身につけることができるからだ。

 小柳氏は、新しい分野への挑戦を決めたことについて、「選択肢が少ないと、自分の将来の可能性を狭めてしまうのではないかという、危機感がある」と、まっすぐな瞳で語る。去年の8月に帰国すると、すぐに医師専門の人材紹介会社に登録した。

「時間をムダにするのが、とにかく嫌いなんです。最短で最高の就職先を決める方法を考えて、人材紹介会社にお願いすることにしました」

 大きな総合病院も勤務先として提案され、症例数の多さは魅力的だったが、内視鏡検査などの手技を身につけるために中規模病院を選びたい、と東埼玉総合病院に勤務することを決めた。

その読みは当たったようだ。一般的には、週に1?2回内視鏡検査を担当すればいいほうだろう。ところが、小柳氏は毎日、午前と午後の2回、内視鏡検査を行っている。しかも、熟達者である木原昌則氏から、一対一で指導を受けることができ、想像していた以上に早く技術を習得している実感がある。約半年間で、上部内視鏡検査も担えるようになった。

 また、電子カルテが採用され医療クラークが2人いるなど、医師が本来業務に集中できるシステムが確立されていることにも、小柳氏は満足している。

「点滴も看護師さんが担当しますし、雑用も少なく、勉強に集中できます」

東埼玉総合病院では、消化器センターとして、外科・内科の連携が円滑だ。週末には、合同の症例カンファレンスが行われている。内科医であっても、手洗いをして手術に加わることもある。また、外科に移った後の患者についてフィードバックがあり、診断のレベルアップにもつながっている。望めば、気管挿管もできるという。好奇心が強く、いろいろなことに関心をもつ小柳氏には、うってつけの環境だ。「好奇心を失ったら、成長が止まってしまうと思います」という言葉を裏づけるバイタリティを発揮し、休日も他の病院で勤務する。それだけ、医師として成長をしたい気持ちが強いのだ。

 小柳氏は、内視鏡検査をひととおり習得したら、同法人の海老名総合病院へ移りたいという希望を持っている。新天地でも、好奇心をもって、新たな魅力や実力を身につけていくのだろう。

もともと、東埼玉総合病院の消化器内科は、医師3人体制だった。しかし、去年2月、2人が医局に引き揚げたため、年間3000件近い内視鏡検査は、木原氏が単独で担うことになった。

 木原氏は「内視鏡での検査や処置に、毎日5時間半くらい費やしていました。病棟業務は、昼休みの時間帯や夜になってこなす状態でしたね」と、当時の様子を振り返る。それだけの症例があることが、内視鏡を学びたい小柳氏にとっては、都合がよかった。

「手技をマスターしたいという、小柳先生の希望は事前に聞いていました。そこで、内視鏡検査を毎日担当していただくようにしています。自分の経験上、初期段階で多くの症例に触れることが大切だとわかっていたからです」

 それぞれの希望やスタイルに合わせて、研修内容を変えた、オーダーメイドの研修ができるのは、中規模病院の強みだ。「うちのような200床前後の病院は、しがらみも少なく、融通がききます」(木原氏)。

 病院の規模によって、職場の雰囲気も変わってくるものだ。自分のニーズにあった規模の病院かどうかも、転職時には考えなければならないだろう。エネルギッシュな小柳氏の存在は、消化器病センター全体によい刺激を与えているという。臨床に慣れてくると、説明のつかない病態を見ても、経験で診断してしまいがちなものだ。小柳氏は、研究生活が長かったために、わからないことがあれば文献を調べる習慣が身についている。

「めったにない病気を見つけたこともありました。勉強熱心な医師の存在は、医師だけでなく、コメディカルなどにもよい影響を与えます」(木原氏)

 消化器病センターでは、新しい試みをよしとする風潮がある。小柳氏が、日本語、英語、フランス語、スペイン語の4ヵ国語が堪能であることを利用して、英語でカンファレンスをしたこともあるという。 「小柳先生がもっと大きな総合病院に移る前のステップとして、うちで研修をしてよかったと思っていただきたいですね。短期間でもお互いにメリットのある関係を築けたらうれしいです」と、木原氏は温かな笑顔で小柳氏を見つめながら話してくれた。キャリアの橋渡し的な存在でありたいというのだ。  ゴールに向かって一直線に進むことは大切だが、ときにはキャリアチェンジを重ねる過程も重要になる。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年6月号より転載されたものです