医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.7
医療法人財団アドベンチスト会
東京衛生病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


無痛分娩のパイオニアキャリアと子育ての両立をサポート

産婦人科 医師
小迫 優子 氏

産婦人科 部長
原 澄子 氏

Sumiko Hara

1980年慶應義塾大学医学部を卒業、同年慶應義塾大学産婦人科に入局。同大学医学部にて研修を行う。81年社会保険埼玉中央病院、83年慶應義塾大学医学部助手、東京歯科大学での講師などを経て、89年より東京衛生病院産婦人科に勤務。

Yuko Kosako

2001年熊本大学医学部を卒業、茅ヶ崎徳洲会総合病院にて3年間の初期研修を行う。05年新横浜母と子の病院の産婦人科医師として勤務。06年神奈川県警友会けいゆう病院、08年横浜市東部病院などを経て、09年4月より現職。

無痛分娩のパイオニアキャリアと子育ての両立をサポート

今回お話頂いた医療施設側

産婦人科 部長
原 澄子 氏Sumiko Hara1980年慶應義塾大学医学部を卒業、同年慶應義塾大学産婦人科に入局。同大学医学部にて研修を行う。81年社会保険埼玉中央病院、83年慶應義塾大学医学部助手、東京歯科大学での講師などを経て、89年より東京衛生病院産婦人科に勤務。

今回お話頂いた医師

産婦人科 医師
小迫 優子 氏Yuko Kosako2001年熊本大学医学部を卒業、茅ヶ崎徳洲会総合病院にて3年間の初期研修を行う。05年新横浜母と子の病院の産婦人科医師として勤務。06年神奈川県警友会けいゆう病院、08年横浜市東部病院などを経て、09年4月より現職。

小迫優子氏は、熊本大学医学部を卒業後、趣味である中国の伝統楽器・二胡の勉強のために、ヨーロッパへ1年間の留学を行った。帰国後は、茅ヶ崎徳洲会総合病院にて研修医となる。その後は、産婦人科医として、新横浜母と子の病院、神奈川県警友会けいゆう病院、横浜市東部病院に勤務。

 産婦人科では、妊婦の励まし方、助産師との連携の仕方など、教科書には載っていないようなニュアンスの部分が大切だ。

「産婦人科の技術伝承は、オーベン・ネーベンの徒弟制度の中で行われていきます。この人の下で働きたいと思える医師のいる病院に勤めてきました」と小迫氏は意志の強そうな瞳をきらめかせて語る。

 小迫氏が自分のキャリアを考えるうえで大切にしているのが、お産と婦人科の診察と、子宮筋腫核出、卵巣のう腫摘出などの腹腔鏡での手術の3つを行えるかだ。すべてをバランスよく行っていきたいと願ってきたが、大きな病院では、産科と婦人科が分かれているなど分業が徹底しているケースも多く、どちらかの診察に偏ってしまう。また、異常がないお産の介助は助産師が中心となって行うため、通常のお産の経過を学べる機会が少なくなってしまう。しかし、一方で小さな病院での勤務では、腹腔鏡の手術件数は減ってしまう。そこがジレンマだった。

 そこで、患者との距離が近く、親身になった暖かいお産が行えて、手術もできる。そんな中規模の病院を探し、見つけたのが東京衛生病院だった。

東京衛生病院は、無痛分娩を37年以上前から行っており、その技術の高さでもその名が知られている病院だ。

「無痛分娩は、管理が難しくなるのは事実ですが、患者さんの満足度がとても高いです。ニーズがあるなら、できるだけ応えたいと考えています」  安全に無痛分娩を行うための仕組みづくりがしっかりと行われ、無痛分娩ならではの妊婦の状態の変化など、ほんの少しの前兆も見逃さない自信を持つ。長年の経験から培われた、無数のチェック項目について、スタッフ間での情報共有が徹底されている。

 この東京衛生病院はキリスト教の団体が運営母体である186床の病院である。そのため、職員もキリスト教の関係者が多く集まっている。

 小迫氏は「コメディカルもホスピタリティのある方が多いです。業種間の垣根が低く、看護師や助産師は、どうしたらお互いがそして医師が仕事しやすいかを考えてくれます」と話す。また、病院側にも、患者と職員を大切にしようという気風があるという。

「産婦人科医なのに、恥ずかしいのですが、子宮がん検診や乳がん検診を受けたことがなかったのです。こちらの病院に移ってすぐ、丁寧な職員検診を受けさせていただき、感動しました」

 同氏の指導医であり、産婦人科部長でもある、原澄子氏が3児の母であるということにも驚いたという。

「長年、家庭と仕事をしっかり両立させていらっしゃる例を目の当たりにして、自分にもできるのではないかと、期待がもてました。まずは相手を探さないといけないのですが(笑)」と、はにかむ。しかも原氏は「いくら医師が足りないといっても、探せば代わりの医師は見つかるかもしれません。でもあなたの子どもを産めるのは、あなた自身だけなのですから。妊娠を躊躇する必要はないですよ」とはっぱをかけてくれるのだという。日本中で産婦人科医が不足している現在、東京衛生病院も例外ではない。そんな中、かけられる優しい言葉には、重みがある。

 お産の技術を磨きながら、婦人科の外来や手術も行い、自分自身の家庭も作る。不可能にも思えていた夢も、ここでなら叶えられそうな気がしている。

原澄子氏が初めて小迫氏に会ったのは、今年の2月に行われた面接の場であった。その時の印象は必ずしもよいばかりではなかった。

「履歴書をみて、大きな病院ばかりに勤めているし、この人は本当に来る気があるのかしら? と思いました」と、原氏は懐の大きな笑顔を見せながら、茶目っけたっぷりに語る。ところが、小迫氏が大学全学体育会系女子サッカー部の主将であった経歴が目に留まり、その気迫を信じてみようと思ったという。原氏自身も、学生時代は体育会系の部活動に所属していたため、相通じるものを感じたのだろう。

 今では小迫氏は病院に欠かせない存在だ。優秀な医師のもとで熱心に学んできた経験による知識や、技術の基礎がしっかりしている。また、目の付けどころも良く、質問が的確だ。

 原氏は、小迫氏にこの病院で、子どもを産み育てながら、末永く働いて欲しいと目を細めて話す。ここは、地元の住民に愛されている病院だ。患者のリピーター率も高く、ある家族の母と娘、両方の出産に立ち会えたエピソードもある。仕事と子育てを両立するサポート体制も充実している。

「ここでは、当直ができなくても、他の先生と同じ仕事内容の常勤医でいられます。9時から5時までは、お産や外来も手術もしっかりしていただいて、時間には引き継いで帰宅できます」

 それが可能なシステムと医師がそろっていると、原氏は胸を張る。原氏は子どもが小さい間は、子どもに愛情と時間を使うべきだと考えている。だからといって「大切な医師のキャリア」を休まないでほしい、とも付け加える。産休や育休の充実をうたう病院は珍しくないが、建前だけの場合があるのも現状だ。東京衛生病院では、原氏の存在が証明なのかもしれない。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年11月号より転載されたものです