医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.6
医療法人 栗山会
飯田病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


地元・長野県に戻り高齢者の住みやすい社会づくりを目指す

精神科 医長
松本 武典 氏

副院長 精神科
小宮山 徳太郎 氏

Tokutaro Komiyama

青森県生まれ。1973年信州大学医学部卒業。77年信州大学大学院修了、同年信州大学医学部附属病院に入局。国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経センター病院)リハビリテーション部長を経て、05年より現職。

Takenori Matsumoto

長野県生まれ。2000年愛知医科大学医学部卒、同年より国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経センター病院)にて研修。02年より同院にて精神科レジデント、04年より常勤医師として勤務。07年10月より現職。

地元・長野県に戻り高齢者の住みやすい社会づくりを目指す

今回お話頂いた医療施設側

副院長 精神科
小宮山 徳太郎 氏Tokutaro Komiyama青森県生まれ。1973年信州大学医学部卒業。77年信州大学大学院修了、同年信州大学医学部附属病院に入局。国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経センター病院)リハビリテーション部長を経て、05年より現職。

今回お話頂いた医師

精神科 医長
松本 武典 氏Takenori Matsumoto長野県生まれ。2000年愛知医科大学医学部卒、同年より国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経センター病院)にて研修。02年より同院にて精神科レジデント、04年より常勤医師として勤務。07年10月より現職。

松本武典氏は、中学時代より精神医学に興味があり、精神科医を目指したという。長野県立松本深志高校を卒業後、愛知医科大学医学部へと進学。卒業後は、国立精神・神経センター武蔵病院(現・国立精神・神経センター病院)にて臨床研修医となる。研修修了後も、同院にて精神科レジデント、常勤医師として勤務を続けていた。

 この武蔵病院勤務時に部長を務めていたのが、依存症の権威である小宮山徳太郎氏だ。この出会いが、松本氏のキャリアチェンジへとつながることとなる。2006年に長野県に帰る決意をしたときに、先だって05年より飯田病院で働いていた小宮山氏に「また一緒に働こう」と声をかけられたのだ。

「母親が倒れたため、急きょ帰ることにしました。いつかは故郷である長野県に帰ろうと思っていましたが、先のつもりで準備をしていなかったため、とてもありがたいご提案でした」

 父と90代になる祖父の2人も心配だったという松本氏は、親孝行な息子の表情をのぞかせる。
 飯田病院を見学して、医師はもちろん、看護師やスタッフも含め、みんなにホスピタリティがあることに感動した。精神科は、理想論をかかげるだけでなく、患者の生活に寄り添っていくことも大切なため、この雰囲気のよい病院で働きたい、と感じたという。

飯田病院は、内科、外科、産婦人科、皮膚病梅毒痢病科の4科で明治36年に創立され、大正3年より精神科を併設した民間病院だ。現在は精神科で240病床、内科、外科、整形外科などの一般科212病床の入院施設を有する。

 精神科病院は単科病院が多く、身体合併症の際には、受け入れ先を探すのに苦慮するのが現状だ。その点、飯田病院では、さまざまな身体合併症の治療が院内で行えるというメリットがある。精神科の患者の場合は、精神疾患による症状と、そのほかの病気が原因の症状の区別も難しい。飯田病院には内科などの医師も多数勤務しているため、患者が腹痛などの身体症状を訴えた場合に、気軽にコンサルを頼める。反対に他科の医師から「精神疾患による症状ではないか?」と相談を受けることもあるという。

 さらに認知症疾患医療センターとして指定されている長野県唯一の病院でもある同院では、通常大学病院などでは待ち時間が多くかかってしまうMRIやSPECTなど、認知症の患者の治療に必要な検査のオーダーも、当日〜数日のうちに実施が可能だ。結果的に認知症の治療が、スムーズかつスピーディに行えるのも特筆すべき点だ。

 また住環境の面でも、長野県に移り住んでみて、自然の美しさを再確認したと話す。「幼少期は気がつきませんでしたが、山がとても美しく、自然の中に暮らす喜びをかみしめています」。

野菜や果物などの食べ物も新鮮でおいしく、この地の日常生活に不便は感じていないと満足げな松本氏。

 今後は、多くの患者を診て、臨床医として、診療技術をあげていきたいという。特に認知症は、早期に発見をして、リハビリを開始することができれば、進行を遅らせることも可能な疾患だ。高齢化が進んでいる地域なだけに、とくに認知症の早期対応に力をいれたい??。そして飯田病院が力を入れている訪問看護とも連携をして、高齢者が住みやすい地域として、長野県と飯田病院の名前をあげていきたい??。

 そんな大きな夢を描く、松本氏の挑戦は始まったばかりだ。

飯田病院には、長野県の全域はもちろん、他県からも患者が訪れる。周辺に入院が可能な精神病院が少ないこともあり、診療圏は約17万になる。

 精神科には、常勤医師が7人、非常勤医師が3人勤務している。これを束ねているのが小宮山氏だ。小宮山氏の勤めていた国立センター病院で部長職についた医師は、教授や公立病院長になるケースが多いものだ。民間病院に移るケースは珍しいといえるだろう。

「恩師に、見学だけでいいから来るように言われました。そうしたら、症例も豊富だし、研究も自由にやらせてもらえるし、スタッフや施設も充実していて、いい病院だったんですよ。失礼ながら、地方にこんな素晴らしい病院があるとは思いませんでした。気づいたら、ここで働くことになっていました」と、人懐っこい少年のような笑顔を浮かべる。

 飯田病院の特徴としては、入院を長期化させずに、退院後に訪問看護でフォローアップをする方針をとっていることがあげられる。現在でも珍しい精神科の訪問看護を、なんと昭和50年から行っていたのだ。そのため、長年の実績によるノウハウの蓄積も豊富だ。

 また、被害妄想などの症状がある患者の場合は、病院への通院が難しい場合もある。また自宅に行くことで、患者がリラックスをして本音を話しやすい、生活ぶりを知ったうえでの指導ができる、などの利点もある。

 小宮山氏自身が、飯田病院での治療や生活に満足しているため、松本氏にも自信を持って声かけをすることができたという。松本氏に対しては、国立精神・神経センター病院時代から、仕事熱心で、患者にもきちんと接している医師だと感じていた。

「古い人間かもしれませんが、DSM‐?WやICD‐10などの診断基準に頼り過ぎることには懐疑的です。チャートに頼らずに、その患者さん自身をみる診断をしてほしいと願っています」

 松本氏は流行に流されない、オーソドックスな臨床を行うため、安心して任せられるという小宮山氏。

 長野へと舞台を移した師弟コンビの活躍にこれからも目が離せない。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年10月号より転載されたものです