医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.4
医療法人社団
北原脳神経外科病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


専門性の確立と診療科を超えた連携

神経内科 部長
百瀬 義雄 氏

脳神経外科 副院長・海外事業部部長
菅原 道仁 氏

Michihito Sugawara

1997年杏林大学医学部卒。同年国立国際医療センターにて研修。99年国立病院東京災害医療センター救命救急科勤務。00年より医療法人社団北原脳神経外科病院勤務。07年2月副院長就任。同年5月より海外事業部部長兼務。

Yoshio Momose

1993年名古屋大学医学部卒。同年日本赤十字社医療センター神経内科にて研修。95年東京大学医学部附属病院神経内科に入局。02年東京大学大学院卒業。同年東京大学医学部特任助手。08年4月より現職。

専門性の確立と診療科を超えた連携

今回お話頂いた医療施設側

脳神経外科 副院長・海外事業部部長
菅原 道仁 氏Michihito Sugawara1997年杏林大学医学部卒。同年国立国際医療センターにて研修。99年国立病院東京災害医療センター救命救急科勤務。00年より医療法人社団北原脳神経外科病院勤務。07年2月副院長就任。同年5月より海外事業部部長兼務。

今回お話頂いた医師

神経内科 部長
百瀬 義雄 氏Yoshio Momose1993年名古屋大学医学部卒。同年日本赤十字社医療センター神経内科にて研修。95年東京大学医学部附属病院神経内科に入局。02年東京大学大学院卒業。同年東京大学医学部特任助手。08年4月より現職。

百瀬義雄氏が神経内科医の道を選んだのは、片頭痛に悩んで受診していた自らの経験も大きな理由だという。また、神経内科領域では、いわゆる難病や、治療法が見つかっていない病気も多い。そのため、治療法が見つかる黎明期に立ち会えることへの期待も大きかった。

 百瀬氏は名古屋大学医学部を卒業後、日本赤十字社医療センター神経内科で研修、その後東京大学医学部神経内科に入局する。2002年に同大学院で学位を取得し卒業した後は、大学病院での臨床と研究を続けていた。そして、次第に、多施設共同研究の事務局としての調整が主な業務となっていった。

「事務局としての、数多くの先生方とのやりとりも、もちろんやりがいのある仕事でした。しかし、自分がいちばん充実感を得られるのは、患者さんと触れ合っている時間だとずっと思っていたのです」

 北原脳神経外科病院には、大学時代のラグビー仲間の医師が何人も勤務していて、百瀬氏は長いこと「一緒に働こう」と誘われ続けていた。百瀬氏自身も、06年より週1回の非常勤で勤務していたため、院内に活気があり、雰囲気がよいことを十分に知っていた。

 北原脳神経外科病院は、中国にクリニックを立ち上げ、海外へ日本の医療技術の輸出を目指すなど、次々と革新的な事業を展開し続けている。ここでなら、臨床に従事しながら、いろいろな刺激を受けることができるかもしれない。そう感じた百瀬氏は、医局を離れ、ここで働く決意を固めた。

08年4月、百瀬氏が大学に惜しまれつつこの病院に常勤医として着任してまず感じたのは、毎日患者を診察できる充実感と、他科の医師と気軽にコミュニケーションをとれる風通しのよさだった。コメディカルや事務職員など、職種間の垣根の低さとチームワークのよさにも驚いた。

「緊急時ほど、スタッフが一丸となって患者さんと向き合っていることを感じます。重篤な状態の患者さんが運ばれてくると、手が空いているスタッフが自然と集まってきます。自分ができることを探して、積極的に協力し合っているのです」

 毎朝開かれるカンファレンスには、全科の医師と看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーが参加し、スタッフの結束を強めている。それと同時に、オンとオフの切り替えがしっかりとつけやすい環境でもある。百瀬氏は休日に子どもと過ごせる時間が増えた。

「子どもが4人いるので、子育てにはしっかりとかかわるようにしています。医療崩壊の前に家庭崩壊が起きてしまいますから」と、百瀬氏は子煩悩な一面をのぞかせながら笑う。

 今後は、もっと神経内科医を増やし、筋萎縮性側索硬化症など、医師1人体制では十分な治療ができない神経難病もきちんと手がけられるようになりたい。さらにゆくゆくは、頭痛、睡眠時無呼吸症候群、骨粗鬆症などの専門外来も開設してみたいと百瀬氏は考えている。

「神経内科には、治療法のわからない病気で大きな不安を抱えている患者さんも多い。心理的な部分でも、サポートできる医師になりたいのです」  百瀬氏のそんな優しさが、患者にも伝わるのだろう。ていねいな診察で外来が混雑してしまうにもかかわらず、「長時間待っても百瀬氏の診察を受けたい」という患者が増え続けている。

北原脳神経外科病院の神経内科では、百瀬氏の着任まで、3人の非常勤医が週に1回ずつ診療していた。

 脳神経外科医の菅原道仁氏は、初めて会ったときから百瀬氏を人当たりの優しい医師だと感じ、就任を直接求め続けた。百瀬氏が常勤で勤務するようになり、内科医にいつでも相談をできることの意義と、常に穏やかな語り口を崩さない百瀬氏の人柄のよさを、改めて感じている。

 また、北原脳神経外科病院には、脳神経外科医7人のほかに、麻酔科医2人、循環器外科医4人が勤務している。今年4月に循環器センターを立ち上げ、動脈硬化による疾患を総合的に治療できる病院を目指している。

 日本では脳卒中治療は脳神経外科医が担当することが多いが、菅原氏は、神経内科医が核となって治療をしてもよいはずだと考えている。点滴での治療、再発予防のための指導やリハビリなど、神経内科医が力を発揮する領域は広いからだ。そして、循環器内科医が心臓カテーテル治療を行うように、神経内科医が脳のカテーテル治療を行えるとよいと考える菅原氏は、希望に応じてその指導にあたる構えだ。

「脳神経外科医でないとできない治療は、破裂しそうな部分をクリップで留めるなど、じつは少ないのです」

 実際、百瀬氏が病棟管理を引き受ける体制ができたため、脳神経外科医はこれまで以上に手術に集中している。「外科・内科の敷居を下げ、上手に助け合える環境をつくりたい」と情熱的に語る菅原氏は、とりわけ脳卒中に興味を持つ神経内科医を増やすことに意欲を燃やしている。今後、ますます仲間が増えると、オーケストラの指揮者のように後輩の医師や多職種のスタッフを束ねる役割が、すでに中核的な存在となった百瀬氏に求められてくる。

 やりたいことに積極的に挑める場とは、技術を磨き合える情熱的な仲間が活躍しているものなのだろう。
(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年7月号より転載されたものです