医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.1
医療法人社団愛心会
湘南鎌倉総合病院

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


ジェネラリストの道を突き進むために

総合内科 医長
松下 達彦 氏

総合内科 部長
北川 泉 氏

Izumi Kitagawa

1992年金沢医科大学卒、96年同大学院卒、同循環器内科入局。98年同助手。市中病院の内科医長・部長を経て05年より現職。日本内科学会認定総合内科専門医、日本循環器学会認定循環器専門医。日本内科学会臨床研修指導医。

Tatsuhiko Matsushita

1993年川崎医科大学卒。同年旧・国立京都病院消化器内科にて研修・勤務。00年沖縄県立中部病院(チーフレジデント)、02年沖縄県立北部病院内科に勤務、05年昭和大学横浜市北部病院消化器センター勤務を経て、06年現職。

ジェネラリストの道を突き進むために

今回お話頂いた医療施設側

総合内科 部長
北川 泉 氏Izumi Kitagawa1992年金沢医科大学卒、96年同大学院卒、同循環器内科入局。98年同助手。市中病院の内科医長・部長を経て05年より現職。日本内科学会認定総合内科専門医、日本循環器学会認定循環器専門医。日本内科学会臨床研修指導医。

今回お話頂いた医師

総合内科 医長
松下 達彦 氏Tatsuhiko Matsushita1993年川崎医科大学卒。同年旧・国立京都病院消化器内科にて研修・勤務。00年沖縄県立中部病院(チーフレジデント)、02年沖縄県立北部病院内科に勤務、05年昭和大学横浜市北部病院消化器センター勤務を経て、06年現職。

松下達彦氏は、川崎医科大学を卒業。

「真面目な学生ではなかったのですが、ポリクリは楽しかったですね。回る科回る科、どこも興味深くて、診療科選びにはひどく迷いました」

 結局、旧・国立京都病院でローテート研修後、引き続き勤務する。当時まだ総合内科の概念はほとんどなかったが、より幅広い診療を学ぼうと、沖縄の県立中部病院でチーフレジデントとなる。川崎医科大学で、全人的な医療を心がけるよう、繰り返し言われてきたことも影響しているのだろう。

「人間の身体は一つなのに、臓器ごとに担当する医師が分かれるのも変だと感じていました。医療費削減が叫ばれていますが、専門医がそれぞれ専門領域の治療を行えば、経費がかさむのは当然です。高齢化に伴い複数の病気を抱える患者さんの数も増えるので、問題は深刻化していくと考えています」

 沖縄から本州に戻る際、一度は専門に進もうと、消化器内科医として勤務することを決めた。しかし、松下氏は1年足らずでキャリアの分岐点に立つ。確かに消化器を専門的に学んでいたが、施設の方針に照合すると、自分のキャリアを生かせる場なのか、不安になったのだ。そんなとき、一人の後期研修医に出会う。

「専門医療が発達した今だからこそ、ジェネラルに診ることができコストパフォーマンスに優れた医師も、専門医と同時に必要です。医療の質を落とすことなく医療費削減につなげられるし、多くの問題を抱えた患者さんを別々の医師が診ることで起こる弊害に対応でき、逆にどの診療科にも当てはまらない患者さんを診ることもできるのです。彼は、私と似た考えを持っていました」

 その後期研修医の初期研修先が湘南鎌倉総合病院だった。標準医療についてきちんと教育ができている病院があると知り、興味をもった。すぐに見学に行き、総合内科医の北川泉氏と守矢英和氏(現・湘南厚木病院内科部長)と会い、考えをともにできると感じた。
 また、病院全体にも新しいことにどんどん挑戦する気風を感じた。ここでなら、今までの自分の知識や経験をすべて生かすことができる、やはり自分はジェネラリストの道を進むべきだと考え、病院を移る決意をした。

湘南鎌倉総合病院に移ると、すぐにさまざまな改革に取り組んだ。

「ここでは、自分の提案を周りの賛成を得たうえで次々と実現できます」
 松下氏は、研修医の教育に効果的な仕組みなどを考えるときがいちばん楽しいという。着想をもとに、試行錯誤を繰り返して完成度を高めていく。

 まず、病棟管理をチーム制にした。指導医3人がそれぞれチームを受け持ち、主治医(後期研修医)と担当医(初期研修医)とのチーム単位で診察などを行うのである。責任の所在がはっきりし、研修医の教育にも有用なうえ、患者からもとても好評だ。毎日の外来診察も、一診制から二診制にした。カンファレンスの実施回数も飛躍的に増やし、内容も充実させた。

「これまで、自分自身がどんな医師になっていくか、考え続けてきました。しかし、自分だけが成長しても、多くの人を救うことができません。この病院に来て初めて、病院がどうあるべきか、どうしたら、よい医師が育てられるか、そんなことに、やりがいを見いだすようになりました」

 さて、松下氏は短期間でも開業前に総合内科などで勤務することの意義を強調している。日本では、自分の専門領域の治療だけを行う医師が多いが、専門開業をする例は少ない。

「当院のように、熱心にジェネラルに取り組む医療を経験する勤務は、開業後に必ず役立つと思います。目指しているのは『ジェネラル志向』養成所です。日本の医療界で働くには、専門をもたないと難しい側面もあります。ジェネラリストにならなくても、ジェネラル志向はもっていただきたいです」

さて2005年4月、北川氏は守矢氏とともに総合内科を立ち上げた。翌年イギリスからブランチ氏を招き、軌道に乗りかけたところで守矢氏が異動となる。北川氏は「正直その日の仕事を回すのが精一杯で、連日深夜まで勤務し、休みもとれませんでした。そういう状態では、新たなことに取り組めなかったのです」と当時を振り返る。

 ところが、松下氏の着任で、北川氏も一息つくことができた。病棟管理のチーム制、検査に頼りすぎない診察法など、システムや考え方の導入も積極的に行われた。北川氏は「松下先生は新しくシステムを組み立てていくアイディアが豊富なだけでなく、素晴らしいリーダーシップと実行力を備えているので、助かっています」と絶賛する。

 新しいことを始めれば話題にもなる。松下氏が、湘南鎌倉では、新しい提案がどんどん導入できる、と積極的にアピールしたこともあって、08年は後期研修医が5人も入局した。

 総合内科は、ともすると病名のはっきりしない患者や、難しい患者を押し付けられてしまいがちだ。北川氏は、後期研修医が『どんどん押し付けてください』などと答えているのをみると、その成長ぶりに感動さえ覚えてしまう。

 大事にしていることに一緒に携わる仲間がいることは、大きな力になる。これからも、松下氏と北川氏のコンビは、「ジェネラル志向」養成所として名を馳せる、総合内科の新しい可能性を見せ続けるだろう。(文:柳川圭子)

※当記事はジャミック・ジャーナル2009年4月号より転載されたものです