医師の転職キャリアチェンジ特集

vol.11
筑波大学附属病院
(茨城県)

※「ジャミックジャーナル」は2011年10月号より「ドクターズキャリア マンスリー」にリニューアルされました。  


小児精神科は
精神科領域で
話題の分野。
スペシャリストとしての
活躍を期待します

患者の身体だけでなく
心も治療するために、
小児科から
精神科に転科しました

クリニカルフェロー
武井 仁 氏

臨床医学系精神医学
教授 朝田 隆 氏

Takeshi Asada

1982年東京医科歯科大学医学部卒業。同年より同大学神経科に勤務。84年山梨医科大学精神神経科助手。88年英国オックスフォード大学老年科留学。89年山梨医科大学精神神経科講師。95年より国立精神神経センター武蔵病院精神科勤務。医長を経て00年に部長に就任。2001年5月より現職。

Hitoshi Takei

2000年 筑波大学医学部卒業
2000年 6月群馬大学医学部附属病院
小児科学教室入局
2001年 公立藤岡総合病院
小児科勤務
2003年 館林厚生病院
小児科勤務
2006年 筑波大学附属病院
精神科勤務
2007年 東京都立梅ヶ丘病院
精神科勤務
2009年 4月より現職

小児精神科は精神科領域で話題の分野。スペシャリストとしての活躍を期待します

今回お話頂いた医療施設側

臨床医学系精神医学
教授 朝田 隆 氏Takeshi Asada1982年東京医科歯科大学医学部卒業。同年より同大学神経科に勤務。84年山梨医科大学精神神経科助手。88年英国オックスフォード大学老年科留学。89年山梨医科大学精神神経科講師。95年より国立精神神経センター武蔵病院精神科勤務。医長を経て00年に部長に就任。2001年5月より現職。

患者の身体だけでなく心も治療するために、小児科から精神科に転科しました

今回お話頂いた医師

クリニカルフェロー
武井 仁 氏Hitoshi Takei2000年 筑波大学医学部卒業
2000年 6月群馬大学医学部附属病院
小児科学教室入局
2001年 公立藤岡総合病院
小児科勤務
2003年 館林厚生病院
小児科勤務
2006年 筑波大学附属病院
精神科勤務
2007年 東京都立梅ヶ丘病院
精神科勤務
2009年 4月より現職

「この子を連れて山にいって、のたれ死のうかなと思ってしまうんです」
 自閉症の子どもを持つ母親が追い詰められた表情で口にした言葉だ。小児科医であった武井仁氏は、なんとかしなければいけないと強く感じた。

「パニックを起こして、夜も寝ず、ご飯も食べないため、家族の生活も破たんしていました。子どもを眠らせるために睡眠薬の処方をはじめたのが、発達障害の子どもに投薬も含めた治療が必要だと思い始めたきっかけです」

 だが、当時の武井氏には精神科の薬の知識が乏しく、投薬に自信が持てなかったという。また、病気の進行や、痛みの増加による不安から情緒不安定になったり、適応障害を起こす子どもも多かった。「身体も心も治療できる小児科医になりたい」と、精神科への転科を決意した。  武井氏は、筑波大学医学部を卒業後、地元の群馬県に戻り、群馬大学医学部附属病院の小児科学教室に入局。公立藤岡総合病院や舘林厚生病院などの小児科に勤務していた。精神科への転科を考えた時に思い出したのは母校・筑波大学附属病院だ。ポリクリのときに、上級医師が熱心で、指導態勢が整っていると感じていた。また、出身校が違う医師や転科した医師にもわけ隔てがない。研究だけでなく臨床を重視しているところも、選んだ理由だ。

 東京都立梅ヶ丘病院など、児童・思春期精神疾患の専門病院に移ることも考えたが、知人の医師から「難しい症例が多く、精神科の知識がない状態で移っても無力感を感じるだけ。勉強してから行くべき」と助言された。

筑波大学附属病院の面接では、素直な気持ちを打ち明けた。すると、朝田隆教授から「関連病院でなくても、できる限り紹介をしますので、どんどん勉強に行ってください」という返事が返ってきた。実際に他県の病院に勉強に行く医師もおり、知識や経験を積むのにはよい環境だと感じた。武井氏も、精神科医として1年間の臨床経験を積んだ後に、東京都立梅ヶ丘病院へ勉強に行くことがかなった。

 筑波大学附属病院では、一般外来のほかに、週1回、児童・思春期の専門外来を受け持っている。また、リエゾンにも積極的に取り組んでおり、他科の医師から、治療のつらさから適応障害を起こしている患者のコンサルテーションを受けることも多い。小児科には、白血病などがん患者も多く、小児患者のリエゾン依頼もある。

「治療者と患者はぶつかりあうこともあります。患者に『治療がつらい』と泣かれても、治療をやめることはできません。患者も、頭では仕方のないことだとわかっているため、つらさを吐き出すことができなくなります」

 そんなときに、他科の医師であれば素直に弱音を吐きやすい。武井氏も、「精神科医には第三者としてかかわれるという利点がありますね。困ったときには頼りにしてもらえたらうれしいです」と語る。小児患者の対応方法については、患者本人の年齢と性格、成長具合のほかに、両親の性格や親子関係など、考慮すべき点が多い。そのぶん、選択肢も豊富でやりがいがある。

 最近は、小児の心を診たいという若手の医師が増えてきている。武井氏は自ら研鑽を積むとともに、若手の指導にも力を入れていきたいと言う。

「医師は自然に育っていくものではなく、ソーシャルワーカーや看護師、先輩医師など、さまざまな人に育ててもらうものです。私自身も周囲の人間関係には恵まれ、いろいろなことを教えてもらいました。今度は、後輩をどう育てるかを考えています」

「精神科領域で話題なのは、小児精神科です。患者数はここ10年で10倍に増えましたが、日本に児童精神科医は100人強しか存在せず、人材不足が問題になっています。そんななか、即戦力となってくださる武井先生が来てくださったのは、本当にうれしいことです。おかげで、小児の精神を診たいと入局する若手医師が増えました。今後は、医局員全員が、小児精神科疾患の治療ができなくてはと思っています。僕も武井先生とともに、小児患者の初診を行いました」

 その際は、武井氏から診断の仕方や、治療方針、両親への説明の仕方まで、個人レッスンをしてもらったのだと言う。朝田教授は、認知症の治療の第一人者である。高齢の患者の診察が多いため、勝手が違う小児の診察には戸惑うことも多かった。

「得意分野とは全く違うため、武井先生のアドバイスは勉強になりました」
 楽しげに話す朝田教授の横で、武井氏は、「大先輩である先生にご提案をするなんて恐れ多くて困りました。ですが、意見をお伝えすると、ていねいに聞いてくださり、さらに驚きました」と、恐縮しきりの様子を見せる。

 さらに朝田教授は、武井氏が初診を行った患者のドロップアウト率の低さを手放しでほめる。

「今期4月からの新患患者約40人のうち、診察が中断されているのは1人だけというのは、素晴らしい成績です。武井先生の誠実なお人柄と、ご両親への適切な対応の賜物でしょう」

 小児科医時代に、患者とその両親、双方の観察と診察を行う習慣がついており、家族対応がスムーズだと言う。
 朝田教授は、武井氏には子どもから高齢者まで診られる医師になってほしいと望んでいる。
「発達障害の児童は増えていますが、愛情と手をかけて育てれば、伸びます。高齢者は、子どもの笑顔が大好きです。高齢者と小児がともに療養し、元気を与え合うような施設ができたら素晴らしい」
 最後に、自らの夢も託したそうな様子をちらりと見せた。

※当記事はジャミック・ジャーナル2010年3月号より転載されたものです