【寄稿】第一線病院での医療の安全・質向上活動 第1回 事故事例には「物語がある」

今月号から、民間病院などでの活動経験に基づいた、医療安全や質向上にかかる取り組み事例を紹介する。院内での研修企画などのヒントとして役立てていただければ幸いである。今回は「感情に訴える事故事例の提示」の試みである。

ストーリーのある事例を詳しく見ていくことで、
誰もがさまざまな気づきを得る

医療法人輝栄会
福岡輝栄会病院
医療情報部長/形成外科部長
山野辺 裕二
1986年長崎大学医学部卒業。形成外科の勤務医として九州、四国の病院に勤務後、99年長崎大学病院医療情報部門へ転籍。2003‐04年米国マウントサイナイメディカルセンター 臨床情報学 客員研究員。その後、国立成育医療センター(当時) 医療情報室長、独立行政法人 国立成育医療研究センター(当時) 情報管理部 情報解析室長、社会医療法人財団董仙会 恵寿総合病院本部情報部長/医療安全管理部長/形成外科科長等を経て現在に至る。
■日本インターネット医療協議会 理事、ささえあい医療人権センターCOML 正会員、日本医学ジャーナリスト協会 正会員、日本診療情報管理士会 正会員等。
■2007年〜2014年マイクロソフト社の医療IT専門家コミュニティ「CHART」の座長なども経験

山野辺 裕二氏 写真

わが国で医療安全の重要性が多くの人に認識されるようになった契機は、1999年に立て続けに明らかになった、横浜市立大学での患者取り違え手術、都立広尾病院での消毒液点滴という2つの重大事故の発生である。私が医療安全関係の仕事を始めたのも、ちょうどこの頃、長崎大学病院に発足した安全管理部に配属されたことが契機であった。

それから間もないある日、ある医師から慌てた様子の電話が入った。

「コンピューターで間違った薬を処方してしまったんだよ」

医療事故事例に潜む物語は人を惹きつける

これが長崎大学病院で発生した「抗がん剤誤投与事故」の最初の報告であった。冒頭の2つの事例に比べ、この事故のことを知っている読者は少ないことと思われる。しかし、電子カルテやオーダリングシステムで薬剤名を入力する際、最低3文字の入力が必要なことは誰もが知っているだろう。この「3文字入力」ルールは、この事故がきっかけとなって定着した。事故当時のシステムは、先頭の2文字を入力すれば薬剤が検索できるようになっていたのである。

医師が「アルサルミン」のつもりで「アルケラン」を処方した日から、事態が発覚するまで7か月の月日が流れた。私はこの事故の当事者から詳しく話を聞き、何が起きたのかを時系列で事細かにまとめる業務を担当した。

図表1は、学生向けの講義の中で、この事故での出来事を時系列に紹介した映写画面の一部である。「→○○○○れば防げた」という表現が2ヵ所あるが、この事故ではその後発覚に至るまで、これ以外に15ヵ所もの「分岐点」が見逃されていた。その内容は個人に帰するもの、コミュニケーションの問題、機器的な問題、経営の問題など、医療安全管理でよく見かける要因がいくつも出現する。今回特に強調したいのは、たくさんの「運命の分岐点」のなかには、「こんなことが起きるのか?」「このチャンスも逃したのか!」といった気づきや驚きを覚えるものが少なくないことである。

医療安全関係の研修の場では、受講者のモチベーションを維持することが容易でない。物語性の高い事例を入口とする手法は有効な手段のひとつだと考えている。

医療分野以外の事故事例も応用できる

研修などでとりあげる事故事例は、必ずしも医療分野に限定する必要はない。冒頭で取り上げた「抗がん剤誤投与事故」は公開資料が乏しいこともあり、詳しい調査報告書が公開されている「調布市立小学校児童死亡事故」を例示したい。この事例も学生向け講義で用いた経験がある。

講義ではまず、図表2の画面を示して、事例の概要を提示し、受講者には「今後説明する事例の概要で、何人の人物が関わってくるかに注意を払うように」と意識づけをした。その後、図表3の内容を、背景や配膳など段階ごとに区切って、4行程度を1画面とした紙芝居方式で提示しながら説明していった。こうすることで、受講者は一つ一つの事象に惹きつけられた。この例では、担任が提案したエピペン使用を本人が断る場面や、(報告書によると予後には関係しなかったものの)母親にかけた電話が電波状態のため肝心なところで切れてしまうなど、通常予期できないような事象も起きている。

このような提示手法の効果は、最近「100日後に死ぬワニ」という漫画がツイッター上で話題となったことで再認識できた。ある日の回では主人公のワニが通信販売で1年後に届く商品を予約する。日常ありがちな何気ない行動ではあるが、読者は主人公がその前に死ぬこと、商品を受け取れないことを知っているので、話に引き込まれるのである。

物語を下敷きに、さまざまな切り口で掘り下げができる

こうして事例のストーリーを印象づけたあとは、多視点から見直すことを通じて、図表4のような医療安全管理で多用される手法を学ぶ題材にできる。

事例に登場する人物は図表3の右列にまとめてあるが、本人以外に7名が数えられる。表左の★印は、報告書が「このうち一つでも実施されれば命が助かった」と書いた部分である。この部分が根本原因分析やスイスチーズモデルの題材となる。人的要因以外にも、校内規則や情報伝達、設備や建築上の要因といった分類を考えることで、要因分析手法の応用例となる。担任が以前にも杜撰なチェック表の扱いで注意を受けていたことを知れば、ハインリッヒの法則も意識できる。

富士見台小学校の事故は、場所は学校であるものの状況は医療事故に似ている一方、更に医療から離れた重大交通事故もほとんど同じように利用できる。JR福知山線の脱線事故や韓国でのセウォル号沈没事故、大型クレーン車の運転手が持病のてんかん薬を飲み忘れて児童の列に突っ込み小学生6人が死亡した事故もある。最近では大津市の交差点で保育園児ら16人が死傷した事故も記憶に新しい。必ずしも詳細な経緯がわかっていなくても、報道内容などから要因を探すことを通してKYT(危険予知トレーニング)に役立てることができる。

自院内の事例のなかにも、このような物語性のある事例があれば、新採用者研修などで繰り返し利用できるであろう。

図表1● 抗がん剤誤投与事故を説明する研修資料の例
6)胃の薬である「アルサルミン」を処方するため、システムに「アル」と入力して薬を検索した。
システムが2文字入力を許さなければ防げた。
7)「アルサルミン」を処方しようとして、「アルケラン」をクリックしてしまった。
行間が空いていれば防げた。
図表2● 調布市立富士見台小学校の事故概要
  • 2学期の終業式を2日後に控えた、クリスマス前の2012年12月20日、小学校5年生の女の子が、給食を食べた後に体調を悪くし、死亡。
  • 女の子が担任に気分が悪いと訴えてから14分間が生死の分かれ目
図表3● 調布市立富士見台小学校事故の時系列表現
図表4● この事例を通して学べる医療安全の手法
  • 根本原因分析
  • スイスチーズモデル
  • 4M、P-mSHELLなどの要因分析
  • ハインリッヒの法則
  • KYT(危険予知トレーニング)
参考資料
1)富士見台小学校児童死亡事故の検証結果報告書(調布市)
https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1363069358235/index.html
2)調布市立学校児童死亡事故 検証結果報告書概要版(文部科学省)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/sports/018/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/06/05/1335638_5.pdf