収入、待遇、勤務形態・・・希望が叶うポイントは?10の事例集 キャリアチェンジ 成功の秘訣

もっと年収をあげたい、スキルアップしたい、家庭の事情で業務負担を減らしたい――。
医師がキャリアチェンジを考える背景は多様だ。少し前までは、医師の要望は大部分が叶えられていた。だが、最近は病院側も求める医師像に則った採用を強化しており、従来より厳しい状況も見受けられるようになってきた。本特集では、あっせんを利用しキャリアチェンジに成功した10人の医師のエピソードを基に、希望を叶える転職の秘訣を探る。

  • 最新・市場動向

病床再編や患者ニーズに
幅広い対応ができる医師の需要増。
自身の市場価値の把握も重要に

数年後を見越して
満足度の高い転職を

医師の転職市場は“売り手市場”が続き、大概、希望通りの転職ができるイメージがあるかもしれない。だが、状況は変わりつつある。

リクルートメディカルキャリアで医師の転職を支援しているキャリアアドバイザー(以下CA)は語る。

「病院側は、採用したい医師像を具体的に示すようになってきました。拡充したい診療領域や、欠員が出るポジションにマッチする医師を計画的に採用しているのです」

その背景には、国の医療政策も関係している。数年前から推し進められていた病院の機能分化や病床再編がいよいよ強化されてきた。一部の専門領域を除き、多くの医療機関では地域包括ケアや回復期リハビリなどへの注力が迫られている。

「前にも増して、幅広い疾患を診られる医師が求められるようになってきています。例えば、患者の全身管理ができるかどうかは、病院側が気にするポイントです」(CA)

従来は医師不足の解消や、院長の方針などで比較的自由に医師を採用している例があったが、そうしていては病院の経営が厳しくなりかねない現状がある。

こうした状況下でキャリアチェンジを成功させるには、「医師が、自身の市場価値を正しく把握することが大切です」とCAは言う。これまでの実績、専門領域、私生活の状況などを客観視し、どういう病院のニーズに合うかを考えるのだ。

「40~50代の医師は急性期医療が中心だった時代を歩んできました。しかし、転職によって急性期から慢性期へ移ったり、場合によっては年収が下がったりする可能性があることは、認識しておいたほうがいいと思います」(CA)

また、先々までキャリアを考えることも重要である。

「今だけでなく、数年後の年齢、体力、働き方などを見越し、変化にも対応可能な転職ができると、満足度も高くなると思います」(CA)

各地域の相場や、病院ごとに求めている医師像はCAが情報を持っている。CAと連携を組み、戦略的に転職活動してほしい。

  • 事例1 待遇アップ スキルアップ

これまでの実績と、専門医・指導医資格を
存分に生かせる環境へのキャリアチェンジ

40代半ば 男性

自分の市場価値が適正に評価されるか? を重視

医学部卒業後、しばらくは医局派遣で働いてきたA医師。ある程度の経験を積んだところで医局を離れ、九州地方の民間病院に消化器外科医長として勤務してきた。多くの症例をこなし、いくつもの専門医や指導医の資格を取得するなど、意欲的に仕事にあたっていた。

しかし、同科にはA医師以外、年配の医師が多く、40代半ばになっても責任あるポジションに着くことができなかった。そこで、A医師はこれからを考え、自分の持っているスキルをもっと活かせる職場を求めてキャリアチェンジを決めた。

転職にあたって相談したCAには、「部長職の待遇で転職したい」と希望を告げた。しかるべき立場に立って、若手医師の指導に取り組みたいと考えたためだ。また、転職前の年収は1800万円+非常勤500万円で合計2300万円だったが、転職後は腰を据えて常勤に専念したかった。そのため、常勤だけで2000万円以上の年収を得ることを希望した。

しかし、A医師の住む県は医局関連の事情により、主立った病院の部長職は求人が出ていなかった。そこで、九州全域に対象エリアを広げて検討した。幼い子どもと、購入したばかりの家があるため、A医師は単身赴任する覚悟だった。ところが、それでも条件を満たす求人がなかったため、全国を視野に入れて転職先を探した。すると今度は、同じように実績豊富でポジションと高収入を求める医師が大勢おり、あまりにも競争が激しかった。

このような経緯から、A医師は焦らずじっくり時間をかけることに。しばらく月日がたった時、CAが九州中心部にある民間病院でA医師に合った求人を見つけて提案した。実績のある急性期病院だ。

面接を受けると、同院の部長とA医師は意気投合し、一気に話が進んだ。A医師の意欲や実績を買ってくれた当時の部長(現主任部長)からは「2人部長体制で自分を手助けしてほしい。自分がキャパシティオーバーになる前に入職してほしい」との提示があり、A医師もそれに応じる意思を固めた。

「医師としての市場価値が、適正に評価されたことがポイントだと思います。また、A医師にとっても、ここでの経験は将来的なキャリア形成にプラスになるはずです」とCAは語る。がん治療などで専門医の資格を十分に活かせるうえ、同院は後期研修医の受け入れに積極的で、指導医の資格も重宝される環境だからだ。

年収については、A医師の就労意欲や人材育成力が病院にとって大きな収益に繋がる可能性があることをCAから粘り強く伝え、年収2300万円(帰省費を含む)という異例の高額でまとまった。

こうして、A医師は消化器外科部長のポジションを手に入れた。入職後は、主任部長の右腕として活躍。外来も病棟管理も受け持ち、当直は週1回を基本としながら必要があれば別の日も担当している。オンコールの回数は多く、さらに若手の指導に割く時間も長い。忙しさは前職を上回っているが、それはA医師が望んでいた就労環境そのものだ。

「昨今、業務負担が軽い職場を求めてキャリアチェンジする医師が多い中、A医師は『もっと仕事をしたい』という前向きな転職でした。転職先の病院にもメリットが大きく、お互いに納得のいく転職だったと思います」(CA)

Before After
勤務地 九州地方 九州地方中心部
施設形態 一般病院 一般病院
科目 消化器外科 消化器外科
業務 外来・手術・病棟+(非常勤は外来) 外来・手術・病棟・指導
勤務形態 常勤(週5・当直・オンコール)+非常勤 常勤(週5・当直・オンコール)
年収 2300万円 2300万円
CAが解説!「成功の秘訣」

幅広いスキルと、就労意欲、
焦らない姿勢が功を奏した

A医師のキャリアチェンジが成功した秘訣は、臨床も若手指導もできるという幅広いスキルです。加えて、仕事に対する意欲が高く、エリアにこだわらなかったこともポイントだったと思います。当初はなかなか条件に合う求人がありませんでしたが、時間をかけて転職活動したことが、功を奏しました。

  • 事例2 やりがいアップ 施設形態変更

ニーズの高い総合診療に
救急からのキャリアチェンジ。
入職後、救急の経験をフル活用

50代前半 男性

業務が多岐にわたり、
結果的に高報酬を得られた

B医師は、もともと西日本エリアの公立病院で、救急部長として働いていた。50代にさしかかった頃、県内の民間病院の回復期リハビリ病棟に転職。救急の経験を生かしながら、以前から関心のあった総合診療に携わった。ところが、転職から1年ほどすると病院の方針が変わり、二度目のキャリアチェンジを決意するに至った。

転職先は、総合診療に携わることができる病院で、患者本位の診療方針であることを重視した。勤務地は自宅から遠くないエリアで、年収は「前職の1900万円を維持できればいい」と考えていた。総合診療は、国の医療政策で拡充されている領域であるため、近年、求人数が増加している。B医師はスキルと実績があり、意欲も高かったため、比較的すぐに希望に合う病院が見つかった。

ただ、病院側からは「可能な範囲で救急も診てもらえないか」と打診された。B医師は、それが患者のためになると考えて、引き受けることにした。

入職後は、総合診療を担当しながらも救急の比重が徐々に増えた。業務は外来や病棟管理、若手指導など多岐にわたるようになった。

このような業務の増加に伴い、当初2150万円だった年収もさらに増加した。

報酬目的の転職ではなかったが、病院への貢献を報酬で適正に評価されていることに、B医師は満足している。そして現在は、病院の中核的存在として活躍している。

Before After
勤務地 西日本エリア 西日本エリア
施設形態 一般病院 一般病院
科目 総合診療 救急・総合診療
業務 外来・病棟 救急・外来・病棟・指導
勤務形態 常勤(週5・当直) 常勤(週5・当直・オンコール)
年収 1900万円 2150万円
CAが解説!「成功の秘訣」

多領域に対応できるスキルと
柔軟な姿勢が評価された

総合診療への関心を持ちながら、救急にも対応し、病棟管理や若手指導など幅広い業務を任せられる。その度量の大きさが病院側に重宝され、結果として高い報酬につながりました。「患者本位の医療」というこだわりをもちながら、病院の求めに応じて柔軟に仕事内容を変える姿勢も、成功の要因だと思います。

  • 事例3 スキルアップ 地域変更

周産期医療のスキルを高めるため、
教育環境の整った病院を求め
対象エリアを広げて転職成功

30代半ば 男性

医局に属さず、専門的な医療を
学べる環境は予想以上に少ない

30代半ばのC医師は、首都圏の公立病院の産婦人科医だった。専門医資格を取得し、ある程度の症例を経験するなかで「もっと周産期医療のスキルを高めたい」と思うようになった。当時の勤務先にはNICUがなく周産期の資格は取得できない。もっと教育体制が整っている環境で学びたいと考え、転職を決意した。

できれば首都圏内の大規模病院へ転職し、研鑽を積みたかったが、ほとんどが医局派遣でポストが埋まっていた。医局に属していないC医師は、予想以上に入る余地がなかった。

CAからの「首都圏以外のエリアで数年間勉強したあと戻ってくる、というキャリアを許容できるのであれば、適した求人はあると思う」との提案を聞き、当時独身だったC医師は、転居も視野にいれ、広いエリアで転職先を探すことを決意。自身でも、関西圏の病院など数件に、直接アポイントメントを取り見学にも行ってみた。が、決定打に欠け、見知らぬエリアへ移住する不安も払拭できなかった。

そんな折、CA経由で首都圏に近い地方に条件に合う求人が見つかった。民間の大規模病院で、医局に属さない医師の受け入れ体制がある。さらに、近くの大学病院との連携が密で、学ぶ環境は十分に整っている。C医師は迷わず入職を決めた。

年収は前職とほぼ変わらず1400万円程度。当直やオンコールの頻度も同程度だが、やりがいの違いは歴然としていた。現在は、希望だった周産期医療を存分に学びながら、充実した日々を送っているという。

Before After
勤務地 首都圏 地方
施設形態 公立病院 一般病院
科目 産婦人科 産婦人科
業務 外来・手術・病棟 外来・手術・病棟
勤務形態 常勤(週5・当直・オンコール) 常勤(週5・当直・オンコール)
年収 1400万円 1400万円
CAが解説!「成功の秘訣」

優先順位を明確化し、
勤務地、年収にこだわらない

転職にあたっての優先事項を明確にしたことが成功要因です。「周産期医療を学べる環境」を得るために、勤務地や年収にこだわらず、転職先を探したことが良い結果に。転職活動の途中、医局に属さない医師の受入先が少ないと知り、自身の市場価値を冷静に見つめたことも、成功のポイントです。

  • 事例4 働き方変更 分野変更

ワークライフバランスを重視し、
病院長から在宅医へ。
隣県移住で納得の施設を見つける

40代半ば 女性

地元住民からの評判と、
支援体制の充実を重視した

知人に頼まれ、中国地方の小規模病院で院長職を務めてきたD医師。人手が足りず、院長職のほかに外来や病棟管理、健診、在宅医療にまで対応する忙しい日々。単身のD医師には広すぎるくらいの家を貸与されていたが、ゆっくりできる時間はほとんどない。「もっとQOLを高めたい」と思い、転職することを決めた。

CAに伝えた転職の条件は、できるだけ患者に寄り添う医療を提供すること、プライベートの時間を確保すること、そして年収の維持だった。病院長を辞しての転職だが、施設の種類や規模にこだわりはなかった。

当初、老人保健施設を検討していたが、年収ダウンは免れない。そこで、訪問診療に絞って転職活動することにした。在宅医は、医師を志した時に思い描いていた働き方で、D医師にとっては、院長として病院を管理するより納得感を得られる領域だった。

ただ、D医師の居住地域に訪問診療で定評のあるクリニックは見つからなかった。そこで、この分野が比較的充実している隣県まで対象エリアを広げ、4つのクリニックを見学。そのうち、もっとも地元の評判が良いクリニックに決めた。

西日本の在宅医療はまだ発展途中のことが多いが、そのクリニックには常勤医が複数名おり、看護師もベテラン揃い。フォロー体制が整っていた。週5日勤務、当直は週1日で年収は維持。観光名所が近いなど、プライベートを充実させやすいことも気に入った。入職後、充実した日々を送っているという。

Before After
勤務地 中国地方 中国地方
施設形態 公的病院 在宅クリニック
科目 一般内科(院長職) 一般内科
業務 外来・病棟・健診・在宅 在宅
勤務形態 常勤(週5・当直) 常勤(週5・当直・オンコール)
年収 1600万円 1600万円
CAが解説!「成功の秘訣」

エリアにはこだわらず、
生活環境にはこだわった

病院長から在宅医へと、大きな変化の伴う転職でした。D医師はもともと在宅医に関心があり、隣県にまで対象エリアを広げて転職活動したことなどが成功の秘訣だと思います。転職の動機がQOLの向上だったことから、生活環境も重視して転職先を決め、満足度の高い転職につながりました。

  • 事例5 分野変更 勤務形態変更

医師人生の集大成として
内科医から専属産業医へ。
嘱託産業医の経験が評価され実現

50代前半 男性

面接の翌々日に入職決定。
双方合意の「スピード転職」

内科医のE医師は、関西圏の一般病院で常勤医として臨床に携わる一方、非常勤で嘱託産業医を続けてきた。約10年にわたって5つの企業での勤務を経験し、産業保健や予防医療への関心を深めた。いつしか「医師人生の集大成として、専属産業医になりたい」と考えるように。そして50代に入ったところで「定年を考えると年齢的に今だ」と、キャリアチェンジに踏み切った。

だが、専属産業医は非常に人気が高く、“買い手市場”である。産業医科大学出身者以外は、何らかのコネクションがなければなかなか就業できない。他大学出身のE医師は自力での転職を試みたが、やはり難しく、CAに相談した。

幸い、通勤可能な範囲に求人が見つかった。社員数1000人規模の事業所で、主な業務は30~50代の社員の生活習慣病予防や禁煙指導など。それはまさに、E医師が求めていた診療内容と一致していた。

嘱託産業医の経験から、企業で働くにはビジネスマナーが問われることを知っていたE医師は、CAに言われずともスーツを着て面接に臨んだ。名刺を持参し、爽やかに挨拶をし、予防医療に対する意気込みを自分の言葉で語った。面接官の反応は良好で、「ぜひ任せたい」と言われた。翌日には内定が出され、その翌日にはE医師も入職を決めるという“スピード転職”となった。年収にはこだわらなかったが、前職の1400万円から1500万円へアップし、希望を叶えたキャリアチェンジとなった。

Before After
勤務地 関西 関西
施設形態 一般病院 企業
科目 内科 産業医
業務 外来+(非常勤は産業医) 産業医
勤務形態 常勤(週5)+非常勤 常勤(週5)
年収 1400万円 1500万円
CAが解説!「成功の秘訣」

実績、意欲が十分にあり
ビジネスマナーも備えていた

ひとたび産業医の求人が出ると、大勢の医師が応募します。その中から選ばれるのは、産業医の経験があり、ビジネスマナーが身についた医師です。E医師は嘱託とはいえ産業医の経験が10年もあり、面接時の身だしなみや応対も申し分ありませんでした。企業側に「安心して採用できる医師」と映ったようです。

  • 事例6 定年後キャリア 勤務形態変更

70代半ばのキャリアチェンジ。
病理医の求人が少ないなか、
実力が買われて入職が決まった

70代半ば 男性

医局とのつながりが強く、
転職先にメリットを与えられる

CAによると、近年、シニアの転職希望者が増加しているという。しかし、求人数はそれに追い付いているとは言い難く、なかなか決まらないケースもある。そうしたなか、70代半ばのF医師は、希望に合うキャリアチェンジができた一人だ。

F医師は病理医で、医局関連の総合病院で非常勤勤務をしていた。が、70代半ばになり、もうそろそろ若手に席を譲ろうと転職を考えることに。通勤に1時間以上かかることも負担だった。年収にはこだわらないが、自宅からなるべく近い病院で、引き続き病理医として働けることを条件としてCAに伝えた。

病理はポジションの絶対数が少なく、もともと求人が出にくい領域でもある。あいにくF医師が住む市内では求人が見つからなかった。だが、電車で45分ほどの隣県に、病理診断料の常設を考える病院が見つかった。

当初、病院側はF医師の年齢について懸念を示した。だが、F医師は病理医として非常に実績豊富で、頼りになる存在となってくれる可能性が大きかった。また、長年にわたって若手医師の指導経験も多く、病院側はこの点でも大いに貢献してくれそうだと考えた。

結果的に、F医師、病院双方にとって大きなメリットのあるキャリアチェンジが決まった。

F医師は病院の求めにより常勤で入職し、着々と病理診断科の体制を整えている。予想外の働き方だったが、70代になっても現役を続投できることに、喜びを感じている。

Before After
勤務地 関西 関西
施設形態 一般病院 一般病院
科目 病理診断科 病理診断科
業務 病理 病理
勤務形態 非常勤 常勤
年収 750万円 950万円
CAが解説!「成功の秘訣」

年齢はハードルになったが、
実績と人脈で突破した

年配の医師でも、豊富な実績と指導力、また医局の人脈があることなどは、転職時の強力な“武器”となります。年齢だけを見れば不利なキャリアチェンジですが、病院が切望する要素を持ち合わせていたことが大きかった。求人が少ないからと諦めず、隣県まで視野を広げたことも勝因でした。

  • 事例7 働き方変更 科目変更

育児・仕事の両立のために退局。
乳腺外科への復帰の道筋のある
健診センターへ転職

30代後半 女性

子どもの成長に合わせて
働き方を変えられる職場

30代後半のG医師は、女性乳腺外科医。長年、医局人事で地方の関連病院を渡り歩き、必要があれば夜間休日も対応するという激務を、当たり前のように担ってきた。

出産後、0歳の子どもを院内保育所に預けて時短で復帰。当面は自宅近くの病院の外来だけで、残業や当直はなく、週1日のみ手術に携わった。しかし子どもが2歳になった頃、医局長から「そろそろ本格的に復帰してほしい」と打診された。夫も医師で多忙を極め、頼れる身内も近くにいなかったG医師には、これ以上仕事の時間を増やすことはできなかった。医局に属したままワークライフバランスを維持することは難しいと考え、キャリアチェンジを決断した。

当初G医師は、週4日、時短勤務で乳腺外科医として働くことを考えていた。だが、それでは認可保育所への入園選考で不利になってしまう。当時のG医師にとって、子どもを認可保育所に入れることは働くうえでの最優先課題だったため、週5日だが時短で、家族との時間もとれるかたちで働くことにしたという。

熟慮の末、総合病院併設の健診センターへの入職を決めた。週5日の時短で年収は前職場の1000万円から1200万円にアップ。決め手は、病院で臨床に就く道筋が用意されていたことだ。乳腺外科は女性医師のニーズが高く、G医師は実績もあったため病院側は歓迎した。ここなら将来、現場復帰も可能。その時までは、健診業務に専念することを心に決めた。

Before After
勤務地 首都圏 首都圏
施設形態 大学病院 健診センター
科目 乳腺外科 健診
業務 外来・手術 健診
勤務形態 常勤(時短)(週4.5) 常勤(時短)(週5)
年収 1000万円 1200万円
CAが解説!「成功の秘訣」

将来を見越して転職先を決め、
今は手術をしないことを許容

G医師は10年以上、医局でしっかりとキャリアを構築しており、病院側が「来て欲しい」と思う医師でした。転職先に100%を求めず、子どもが小さいうちは手術から遠ざかることを受け入れました。また、10数年後まで見越して仕事と子育て、収入のバランスを考慮していることも、転職先への信頼感を高めました。

  • 事例8 スキルアップ 科目変更

全身管理のスキルを身につけてから
消化器外科医になりたい。
長期のキャリアを考え、より学べる場所へ

20代後半 男性

年収にこだわらず、
学ぶことを最優先した

父親が消化器外科医で、将来的には自分も同じ道を歩もうと考えていたH医師。幅広い症例に対応できる外科医になるべく、あえて医局には属さなかった。救急と集中治療で全身管理を学んでから、消化器外科の道に入るというキャリアビジョンを思い描いていた。

初期研修修了後は、九州地方の民間病院の救急科で後期研修を受けた。教育環境に恵まれた病院で、外傷の症例を数多く経験できた。後期研修修了後、「このまま長く勤務したい」と思ったこともあったが、自身のキャリアビジョンを計画どおり実践すべく、集中治療を学べる環境へ転職することにした。

九州は医局人事の影響が強いため、転職先探しは難航したが、当時20代で身軽だったH医師は、転居をいとわず、年収にもこだわらなかった。その結果、九州中心部の民間病院の麻酔科が条件に合致した。多くの後期研修医を受け入れている病院で、医局に属さない医師にも門戸を開いていた。面接の場でH医師は、これまでの経験や学びたいことを真摯に語り、同院の症例や診療内容などについて積極的に質問した。その意欲が病院に評価され、入職が決定した。

三次救急病院のため、業務は多忙だ。年収は1000万円で決して高い水準ではない。しかし、集中治療専門医を取得することを目標に、充実した日々を送っている。CAには、「集中治療を学び終えたあとは、外科へ転職を」と話しているという。徹頭徹尾、ブレのないキャリアを構築している。

Before After
勤務地 九州地方 九州地方中心部
施設形態 一般病院 一般病院
科目 救急 麻酔科
業務 外来・手術・病棟 外来・手術・病棟
勤務形態 常勤(週5・当直) 常勤(週5・当直・オンコール)
年収 800万円 1000万円
CAが解説!「成功の秘訣」

キャリアビジョンが明確で
学ぶ意欲が強かった

H医師は医局に属していませんが、転職先で後期研修医と一緒に学ぶことが認められました。自分のキャリアビジョンが明確で、かつ学ぶ意欲が高かったことが、病院側から見て魅力的だったと思われます。フットワークが軽く、転居をいとわないことも求人が見つかる要因になったことは間違いありません。

  • 事例9 退局 開業視野

開業を前提としたキャリアチェンジ。
将来は分院院長の選択肢もあり

30代後半 男性

勤務医時代に経験していない
分野を学べる環境へ転職

開業希望で医局を辞め、クリニックに転職したいというI医師。高報酬の得られる在宅専門クリニックを検討していたが、勤務医時代は心臓外科だったため、消化器など内科系疾患を診て学ぶ機会がほしかった。

そこでCAからは、院長が消化器内科医のクリニックを提案。ここなら一般内科や自身が不得手な消化器内科、腹部エコーの手技を学びながら、将来の開業資金準備もできる。先々分院化の予定がある医療法人のため、分院の院長というキャリアも可能だ。5年後の開業、または分院院長を目指して入職を決めた。

Before After
勤務地 首都圏 首都圏
施設形態 大学病院 クリニック
科目 心臓外科 一般内科
業務 外来・手術・病棟 外来
勤務形態 常勤(週5・当直) 常勤(週4.5)
年収 1500万円 1600万円
CAが解説!「成功の秘訣」

開業後の経営まで意識する

患者対応や、経営の安定を考えると、ある程度は専門外の分野も診られた方が安心。ゆくゆくは在宅医療に応用できます。開業後の数十年先までイメージし、自分の弱点を補うことを優先した転職でした。

  • 事例10 定年後キャリア 施設形態変更

定年を待たず、急性期から療養へ転職。
医師として長く働き続ける選択をした。

60代半ば 男性

常勤+週1日の外来非常勤で
従来の年収を維持

北関東の民間病院に勤務していた65歳のJ医師。2年後の定年を機に慢性期の領域へ転職し、医師としてまだまだ働こうと考えていた。

ところが、60代も後半になると、求人が少なくなる現実がある。子どもの進学のため、年収1900万円を維持したかったが、慢性期ではそれも難しいこともわかった。

そこで、J医師は定年を待たずに転職することを決意。年収1350万円の特別養護老人ホームに入職し、減った分の収入は、週1日、年500万円の外来非常勤で補うことにした。

Before After
勤務地 北関東 北関東
施設形態 公立病院 特養
科目 循環器内科 循環器内科・一般内科
業務 外来・救急・病棟 病棟+(非常勤は外来)
勤務形態 常勤(週5・日直) 常勤(週4)+非常勤
年収 1900万円 1850万円
CAが解説!「成功の秘訣」

非常勤求人が多い地域の利点

シニアの転職市場を冷静に受け止め、転職時期を早めることで希望をほぼ叶えることができました。ただし、非常勤の需要が多い地域だから達成できた転職。病院が少なく、非常勤先が埋まっている地域では難しいかもしれません。