新しい時代、自分らしい生き方のススメ 二足のわらじをはく医師。

医療現場の大変さは十分に実感していながら、異なる分野の仕事を手がける医師も少なくない。どちらかが片手間というのではなく、両方の仕事に真剣に向き合うことで、自分らしい生き方が実現できる魅力があるのだという。「働き方改革」でワークライフバランスの改善が進められるなか、多様な働き方・生き方の可能性は広がっている。その先達ともいえる2人の医師に「二足のわらじのはき心地」について詳しく聞いた。

  • 内視鏡専門医×漫画家

「正確な医療情報を分かりやすく」
その想いを叶えられる
医師+漫画家の生き方を選んだ

近藤慎太郎氏 写真

近藤慎太郎
北海道大学医学部卒業。東京大学大学院医学系研究科修了。日本赤十字社医療センター、東京大学医学部附属病院、山王メディカルセンター、亀田総合病院などで診療。クリントエグゼクリニックでは院長を務める。2016年からフリーになり、診療を続けながら漫画家の仕事を本格化。2018年には都内に自らのクリニックを開院。日本消化器内視鏡学会指導医、日本消化器病学会消化器病専門医、日本肝臓学会肝臓専門医など。

医師と漫画家の仕事が
互いに好影響を与えている

近藤慎太郎氏は都内に開院したクリニックで院長を務めながら、首都圏にある複数の医療機関の消化器内科でも診療。年間約2000件の内視鏡検査・治療を行っている。

加えてビジネス誌のWEBサイトや健康情報誌などで連載し、医療情報を分かりやすく紹介した著書を持つ漫画家としても活躍する。

「好きな仕事を2つとも実現する機会を得たのですから、どちらかが片手間という意識はありません。それどころか、診療の経験を漫画のネタにアレンジしたり、漫画で考えた表現を医療現場で生かしたりと、私の中では医師と漫画家が混然一体となり、互いを高め合っています」

医局人事での勤務、病院への就職、院長としての雇用などを経験したが、納得できるロールモデルはなかったと近藤氏。まだ模索中ながら、自分の希望を叶える働き方が医師と漫画家の二足のわらじだと笑う。

親しみやすい漫画は
情報を分かりやすく伝える武器

漫画家になる努力は子どもの頃から続けていたと近藤氏は振り返る。

「小学生のときに週刊の漫画雑誌の影響で漫画を描き始め、中学生になると編集部に投稿していました。しかしなかなか結果が出ず、大学進学の時期が来て医学部に入学。命に携わる本質的な仕事に就きたいとの思いに加え、50代で弁護士から医師に転職した父の影響もありました」

卒業後は都内の病院で診療に携わりながら、漫画家になる夢も持ち続け、30代後半には漫画の執筆を再開して編集部への持ち込みを始めた。

「さらに40代になり、一般の方に正しい医療情報を分かりやすく紹介する講演活動も始めました。検診によるがんの早期発見といった基本情報さえ、十分に伝わっていないと感じたからです。講演資料も文章だけでは興味を持たれないと考え、随所に自作の漫画を盛り込みました。正確な医療情報を伝えたいと考え、その手段となる漫画を描けたからこそ、自分にしかできない今の仕事にたどり着いたのだと思います」

近藤氏は漫画の執筆と講演活動の時間を確保するため医局から離れ、都内の健診センターに転職。その後、たまたま講演を聴いた編集者が本の執筆を打診してきたと言う。

「より多くの人に情報を伝えられる本の出版は、非常にありがたいオファーでしたね。講演資料と同様、本でも漫画を描く提案に編集者も賛同し、2017年に『がんで助かる人、助からない人』(旬報社)を出版。さらに別の出版社のWEBで連載が決まり、2018年には『医者がマンガで教える 日本一まっとうながん検診の受け方、使い方』(日経BP社)を出すことができました」

漫画で医療情報を伝えるメリットとして、近藤氏は図示の内容を読みやすくできることと、複数意見の並列が容易になることを挙げる。

「ある論旨に沿って論理的に紹介する文章とは異なり、漫画は複数の登場人物が対立意見や本音・建て前を言い合っても視覚的に分かりやすく見せられます。医師の意見を一方的に伝えるだけでなく、読者の気持ちに寄り添った表現も可能なのです」

IT活用で働き方が自由に
今だから仕事の両立が可能

現在の近藤氏は複数の医療機関の非常勤医として内視鏡を操り、がんの早期発見と同時に専門スキルの向上にも努めている。クリニックを開院したのは、講演で紹介した予防医療を、パーソナライズして助言できる場が必要だったからだと話す。

「クリニックは完全予約制の外来のみ。内視鏡検査が必要なら、私が非常勤で勤務する病院を紹介して自分で検査を行うコンパクト経営です」

文章と漫画の執筆は勤務後の夜や休日、診療の合間・移動時間などで行う。タブレット端末でどこでも漫画が描けると近藤氏。ITを活用し、コストをかけず自由度の高い働き方ができる恩恵を受けていると言う。

「医師だから不正確な表現はしたくないですし、漫画家としては楽しく読まれるものにしたい。そのバランスに悩むのは、両方の仕事に真剣に取り組んでいるからだと思います」

開業医、勤務医、漫画家、講演者といったさまざまな視点を持つことで漫画の表現がさらに豊かになり、より伝わりやすい作品が生まれると近藤氏は確信している。

近著を手にする近藤氏。2019年もWEBや雑誌での連載、描き下ろし作品の出版などが続く。
  • 脳外科医×デザイナー

10年前は考えてもいなかった
医師とデザイナーの両立は
面白いと感じる方へ進んだ結果

折居麻綾氏 写真

折居麻綾氏(Dr.まあや)
岩手医科大学医学部卒業後、慶應義塾大学医学部外科学教室(脳神経外科)に入局。海外でファッションを学ぶ準備として日本外国語専門学校海外芸術大学留学科を卒業。Central Saint Martins - University of the Arts LondonのFoundation Courseを経て、ファッション関連のコースで学ぶ。2012年に帰国し、病院での非常勤に加え、ファッションデザイナーとしても活動。2014年に第1回の個展開催。メディアでも多数紹介される。

クリニック院長、当直医に加え
デザイナーとしても活動中

折居麻綾氏は東京都小平市にある脳神経外科クリニックの院長で、週4日ほど外来診療を行っている。またほとんどの週末は、2004年から続けている北海道釧路市の病院で当直に入る。そうした診療の空き時間や休日などをファッションデザイナーとしての制作活動に充てる。

「ファッションデザイナーの仕事を本格的に始めたのは数年前からで、ようやく夢のスタートラインに立ったばかり。小さな光が向こうに見え始めたくらいの感じです。脳神経外科の方は手術の機会は減ったものの、医師が不足する地域の医療に役立っている充実感があります」

新たな仕事のチャンスに出会ったとき、引き受けるか引き受けないかは「どちらを選ぶと、自分は面白いと感じるか」で決めていると折居氏。

「人生の選択は決して簡単ではないと分かっていますが、あらかじめ判断基準を決めておけば、あれこれ悩まず、思考がクリアなままで決断しやすいと思うんです」

脳外科トップを目指す道から
ロンドン留学に急転換

折居氏は家庭の事情で小学生のときから祖父母と暮らし、開業医だった祖父を見て育ったこと、祖母には「手に職をつけなさい」と助言されたことから医学部を選択。岩手医科大学卒業後は慶應義塾大学医学部の脳神経外科の医局に入った。

目の前で倒れた人の命を救える医師になりたくて脳神経外科を選び、そのトップレベルで活躍したいと思ったと言う折居氏。だが大学院3年次の履修審査での発表がうまくいかず、進路の再検討を迫られた。

「ショックの中で自分の今後が見えた気がしました。医局人事で病院を転々とし、クリニックに転職して…。そうした流されるような人生で本当に満足かと考えたとき、海外芸術大学留学を準備する専門学校のポスターを電車の窓から見つけました」

子どもの頃からミシンを使ったものづくりが好きで、一時はアートの道も考えていた折居氏は、この機会に世界のトップレベルでファッションデザインを学んでみたいと考え、国内で1年間準備した後、ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズ・カレッジに入学した。

「そこではデザインの技術より、自分がどんなルーツや価値観を持ち、課題にどう向き合うかという姿勢が問われました。自分を通じて、何を表現してものをつくり出すか、考える訓練ができました」

医師の仕事を続けながら
ファッションデザイナーに

2012年に帰国した折居氏は、すぐデザインの仕事には就けなかったが、以前から親しかった病院に誘われて医療現場には戻れたと言う。

「もちろん医師の仕事も好きで、留学中も夏休みや冬休みなどに帰国して病院で診療を続けていたので、再開はスムーズでした。そうやって診療を続け、マイペースでデザインの仕事を…と考えたんです。それにしてもこれだけ自由に行動してきた私を、今も受け入れてくれる慶應の医局には感謝するばかりです」

その後、縁があってスタイリストアシスタントも経験したが、やはり自分でデザインしたいとの思いは強く、自宅で制作活動を始めた。

ギャラリーでの個展など着実に活動を広げていた折居氏は、2015年にテレビで偶然紹介されて注目を浴び、支援者も増えたと言う。

「今のアトリエも、自社の所有物件だからと貸していただいたもの。デザインの仕事が軌道に乗るには10年かかると思っていましたが、テレビの取材を『面白そう』と引き受けたことで、それが一気に進みました」

人の生死が身近な医師だから
生き方をもっと充実させられる

折居氏が週末に当直する釧路孝仁会記念病院は、慶應の医局からの非常勤先。脳神経外科の救急対応まで行う病院は近隣にはなく、平日の診療で疲れ切った医師たちに休んでほしいとの思いで続けてきたと言う。

「北海道の地域医療は非常に厳しい状況。抜本的な解決策ではなくても、今を何とかしたいと自分なりの使命感で当直に入っています。院長を務めている脳神経外科クリニックも医局の紹介で、院長職は貴重な経験になると思って引き受けました」

折居氏のファッションデザインのコンセプトは、アートとリアルクローズ。アート系はグルーガンを用い、彫刻を着るイメージで服を作っていると言う。一方でリアルクローズはスタイルを気にせず着られる服が中心。自らの腹部のCT画像をデザインに使ったスクラブなどもあり、今後は医師の視点でファッションのアイデアを考えてみたいと折居氏。

「医師とデザイナーは別物に思えるかもしれませんが、私の中では好きなこと、自分がやりたいことでつながっています。それに人の生死を間近に見てきた医師だからこそ、自分の生き方をどう充実させるかを真剣に考え、多様な働き方にチャレンジしていいんじゃないかと思います」

折居氏が院長を務める脳神経外科クリニック。診療時はウィッグを着用する。
写真提供/折居氏
医療現場を楽しくするために作ったスクラブは、自身の腹部CT画像を花びらのようにアレンジした模様が特徴的。同じ柄のエコバッグなども制作。
写真提供/折居氏
東京都文京区にある「Dr.まあやデザイン研究所」は、カラフルな服や雑貨であふれている。