進化する診療ガイドライン

診療ガイドラインは、教科書のように基本的な事項をまとめたもので、必要な時にだけ開くもの……。
そう認識している人も少なからずいるかもしれないが、ここ20年弱の間に診療ガイドラインは大きく進化した。作成プロセスが厳密化されてEBMに準拠するようになり、海外のものと比べても遜色がなくなった。日常診療の座右に置きたいものへと変わってきた。診療ガイドラインの最近の動向と実際の活用法を報告する。

  • 最新状況

CQに対しEBMに則った「推奨」を呈示。
高い透明性も備え、国際標準に近づく

公益財団法人
日本医療機能評価機構
理事
山口直人
1978年慶應義塾大学医学部卒。専門は疫学と公衆衛生学。医学博士。同大学医学部助手、産業医科大学助教授、国立がんセンター部長を経て、2002年から東京女子医科大学医学部教授。日本医療機能評価機構においてEBM普及推進事業(Minds)を担当。

山口直人氏 写真

益と害のバランスや、
経済的な視点も考慮している

「診療ガイドラインは、常に進化し続けています」

日本医療機能評価機構の山口直人理事は、開口一番こう語る。

日本で診療ガイドラインが本格的に作られるようになったのは21世紀の初頭。当時は、引用文献の充実した教科書のような体裁のものが多く、学会ごとに作成方法や内容も多様だった。しかし、今日までに検討と改善が繰り返され、国際標準に近づいてきている。

新しい診療ガイドラインの多くは、診療上の重要な課題「CQ」(クリニカル・クエスチョン)に対し、EBMに則った「推奨」を示す体裁が主流だ。目的も明確化された。

「医療者と患者の意思決定の支援が、診療ガイドラインの目的です。診療上に複数の選択肢がある場合の判断材料として活用し、医療の質向上につなげてほしい」

同機構では、2002年度に厚生労働科学研究費補助金によりEBM医療情報事業(Minds)を開始し、2011年度から、厚生労働省の委託事業である「EBM普及推進事業」として取り組んでいる。おもな事業内容は、診療ガイドラインの①作成支援、②評価・選定および公開、③活用促進、④患者と医療者による共有である。

このうち、②評価・選定および公開は、診療ガイドラインの信頼性と利便性に直結する。国際標準の評価ツール「AGREEⅡ」を用いて作成プロセスの厳密さや透明性を評価しており、適切なものは順次Webで公開している(図表4)。

診療ガイドラインの望ましい作成プロセスは図表1の通り。ポイントは「システマティックレビュー」を行っていることだ。

「システマティックレビューは、中立的立場からCQに関連する研究論文を網羅的に検索し、精査する作業です。RCTなのか観察研究なのかといった研究の質を勘案しながら、複数あるエビデンスを統合します。そのエビデンス総体の確実性(治療効果推定値に対する確信の度合い)を評価し、推奨を作成するのです」

システマティックレビューを行う際は、“益と害のバランス”を検討することが国際標準だ(図表2)。

「以前の診療ガイドラインは、生存率や治癒など『益』ばかりに着目し、副作用や合併症といった『害』には、あまり目を向けられていませんでした。しかし、医療者からすれば益が大きな課題でも、患者にとってもそうとは限りません。最近は、益と害の両方を評価し、最良と考えられる治療法を推奨するようになってきています」

山口氏は、例として乳がん治療時の選択を挙げる。多くの医師は、女性は乳房切除への抵抗感が大きく、できる限り乳房温存療法を望むだろうと予想していた。ところが、患者への調査の結果、乳房温存よりも生命予後を重視することがわかった。

「医師と患者の考えが解離する可能性は常に存在します。推奨の作成時には、医師の価値観だけでなく、患者の希望や価値観を反映することも、エビデンスと同等に重要です」

また、経済的な視点を考慮することも忘れてはならない。

「限りある医療資源を効率的に使うために、治療における費用対効果を考えるのです。患者個人の経済的負担と、国全体の医療費負担の両方を検討する必要があります。ただし、費用が安いからといって効果の低い治療を推奨するわけではありません。同等の費用負担でより効果の高い方法を推奨するという、ポジティブな視点で検討するのです」

このように、現在の診療ガイドラインはさまざまな観点に立って作成されている。これに伴い、作成に携わるメンバーにも多様性が求められる。図表3のように、「ガイドライン統括委員会」「ガイドライン作成グループ」「システマティックレビューチーム」がそれぞれ独立して作業にあたることが望ましい。

ガイドライン統括委員会は、通常、学会や研究会の理事会などが担当する。診療ガイドラインの作成目的や作成方針の決定、最終的な承認、資金のマネジメントなどを行う。複数の診療科に関係する疾患の場合は、複数学会の協同で診療ガイドラインを作成することもある。

実際の作成作業にあたるのは、ガイドライン作成グループだ。CQに関連した専門医のほか、プライマリケア医やコメディカル、患者市民の代表など、あらゆるステークスホルダーが参加することが理想的である。

「作成グループに患者や市民が入っている診療ガイドラインは約5%とまだ少数です。作成グループの医師からは『患者や市民にどう貢献してもらっていいかわからない』という意見をよく聞きます。そこで、Mindsでは2018年度から市民が診療ガイドライン作成について学ぶためのセミナーを開催します」

システマティックレビューチームに関しては、手厚い人員体制が敷かれている。1つのCQに対して2人以上の担当者をつけてシステマティックレビューを行う。

こうして厳重な作成プロセスをへて、高いエビデンスと透明性を備えた診療ガイドラインが完成する。

図表1 診療ガイドラインの望ましい作成プロセス
図表2 推奨作成において考慮すべきこと
図表1・2出典:Minds「よくわかる診療ガイドライン:第2部 診療ガイドラインの作成プロセス」
Ver1.0(2017.3.31)
図表3 診療ガイドライン作成に携わる3つの組織
出典:Minds「よくわかる診療ガイドライン:第1部 診療ガイドラインとは」Ver1.0(2017.03.31)
図表4 診療ガイドライン評価・選定・掲載手順
出典:Mindsホームページより
  • 活用

Web上に200超の診療ガイドラインを公開。
日常診療や病院内学習会等、用途はさまざま

若手医師を中心に
ガイドラインの作成に強い関心

MindsのWebサイト「診療ガイドラインライブラリ」(図表5)には、国内の診療ガイドラインが205本公開されている(18年2月時点)。キーワード検索またはカテゴリー検索をすると、疾患・テーマ名が合致した診療ガイドラインが表示される。スマートフォンやタブレットにも対応している。

実際に臨床現場ではどう活用されているのか。Mindsが公開している活用事例によると、東京医療センターでは院内学習会で標準治療を再確認するツールとして、診療ガイドラインを活用していた(図表6)。

また、Mindsが研修医を対象に調査したところ、以下のようにポジティブな回答が寄せられた。

「基本的・標準的なことを知るためにはガイドラインは大切」
「訴訟が多いので、何かあったときに身を守る説明ができるようにする目的で使用する」
「合併症で他科依頼する場合、ガイドラインを調べる」

臨床現場での活用は、着実に広がりつつある。

一方で、課題も残されている。同じ調査では、「ガイドラインの情報は最新ではない」「海外のガイドラインは使うが、日本のものは信頼性が低く使わない」といったコメントもあった。若い医師はネット検索等で海外の新しい情報を探す傾向があるためだ。だが、山口氏はこう答える。

「診療ガイドラインはシステマティックレビュー等の作業に時間を要するため、確かに最新情報ではありません。しかし、新しい情報にも一長一短があります。効果の高そうな治療の情報でも次の論文で否定される可能性はありますし、最初の論文は晩期に生じる有害事象について触れていないものもあります」

海外の診療ガイドラインとの比較については「今は日本の診療ガイドラインも、国際基準の作成プロセスを採用しています。海外との差は、近く解消されるのでは」と言う。

また、最近は若手医師を中心に意識変化も見られるという。Mindsでは診療ガイドライン作成のためのワークショップを開催しているが、若手医師の参加が増えているそうだ(図表7)。

「90年代以降に医学教育を受けた医師はEBMが当たり前の世代ですから、診療ガイドラインの作成にも意義を感じやすいのかもしれません。診療ガイドラインが進化していくための大きな原動力になっています」

医師には医学部で習った知識、これまでの経験、上級医のアドバイス、新しい論文などさまざまな情報源がある。診療ガイドラインもそのうちの一つとして日常的に活用したい。

「医師が1人で何十もの論文を読んで判断することは困難です。正しく作られた診療ガイドラインがあれば、的確な情報を効率的に入手できます」

図表5 診療ガイドラインのライブラリ
出典:Mindsホームページ https://minds.jcqhc.or.jp/
図表6 活用事例
出典:日本医療機能評価機構 EBM医療情報部部長 菅原浩幸氏資料より
図表7 Mindsの診療ガイドライン作成支援例
出典:日本医療機能評価機構 EBM医療情報部部長 菅原浩幸氏資料より
〜Mindsフォーラム2018〜
総合診療・一般診療、臨床研修における
診療ガイドラインの活用について

Mindsでは毎年1回、診療ガイドライン普及のためのフォーラムを開催している。2018年は、総合診療や一般診療、臨床研修における診療ガイドラインの活用をテーマとした。多様な疾患を診療する現場でどのように診療ガイドラインを有効活用するか、現状の課題は何かなどについて、講演やシンポジウムでの討論が行われた。

検索性の向上や、過剰医療への言及など
活用に向け医師からの提案や要望が続々

東京都医師会・理事
目々澤 肇

目々澤 肇氏 写真

東京大学医学部付属病院・副院長/老年病科科長
秋下雅弘

秋下雅弘氏 写真

群星沖縄臨床研修センター・センター長
徳田安春

徳田安春氏 写真

臨床現場の求めに応じて
ガイドラインを作る動きも

最初に登壇した目々澤肇氏(東京都医師会理事)は、「一般診療における診療ガイドラインの意義」と題して講演をした。

一般医が診療上の疑問に直面したとき、学会のWebサイトにアクセスして診療ガイドラインを探すのは手間がかかりすぎる。実際には『Pub Med』や『Yahoo!』『Google』などで情報を探すことが多いと言う。

最近はDoctor to Doctorで疑問に答えるSNSも登場したが、目々澤氏が使用したところ、返答があるまで早くて15分、遅いと3時間ほどかかった。それに対し、いつでも利用できるMindsは「診療上の助けになる」と位置づけている。日頃から、目々澤氏は電子カルテにMindsのWebサイトを立ち上げた状態で診療にあたっている。

その上で、Mindsに掲載されている診療ガイドラインはPDF形式で検索性が低いという課題を指摘。

「『妊娠中の患者に処方していい薬剤は?』などと入れて回答が出たり、掲載されている全ガイドラインから一気に検索できるといいのでは」 と、要望を述べた。

続いて、秋下雅弘氏(東京大学医学部付属病院・副院長/老年病科科長)は「高齢者における診療ガイドラインの活用」と題する講演をした。

高齢者は多くの疾患や障害を抱えており、治療のエビデンスが乏しい。治療の結果が益よりも害が上回ることがあるなど、特有の難しさがあるそうだ。しかし、対応法は医療者の判断に委ねられており、「現場で使いやすい診療ガイドラインが欲しいとの要望があった」と言う。

そこで日本老年医学会等が『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015』を作成。「高齢者に対して特に慎重な投与を要する薬物リスト」や「開始を考慮すべき薬物リスト」を収録した。リストには、一般診療でよく用いられる睡眠薬や抗不安薬も含まれる。秋下氏は「高齢者にとって大きな問題は転倒骨折と認知症。認知機能低下をもたらす薬物は推奨度を弱めている」と説明した。

徳田安春氏(群星沖縄臨床研修センター・センター長)の演題は「総合診療や一般診療の場面でのガイドライン活用」。薬剤耐性など、過剰医療による害について問題提起した。

アメリカでは12年に「Choosing Wisely」(医療の賢い選択)という啓発活動がスタートしたと言う。各学会や団体が、過剰医療に対するメッセージを自発的に呈示する活動だ。日本でも16年に始まり、徳田氏も参加する「総合診療指導医コンソーシアム」は、「無症状の人にPET-CT検査によるがん検診を推奨しない」など5つのリストを示した。

徳田氏は「診療による有害性を少なくするため、診療ガイドラインには過剰診療についてのエビデンスも載せてほしい」と提案した。