アメリカの医療イノベーション・経営システム

我が国の医療はどちらかというと閉鎖的で、ビジネスやビジネス的な思考を嫌う傾向にある。一方、米国では医療イノベーションを支えるしくみが整備され、医療経営に生産管理システムを導入する動きが盛んだ。多摩大学大学院教授の真野俊樹氏に、米国医療施設視察(2016年12月実施)の様子をご紹介いただいた。

多摩大学医療・介護ソリューション研究所 所長 多摩大学大学院 教授
真野 俊樹
1987年名古屋大学医学部卒。総合内科専門医、MBA。臨床医、コーネル大学医学部研究員、製薬企業のマネジメント、大和総研主任研究員などを経て、2005年6月多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授に就任。その後、現在に至る。東京都病院経営評価委員、厚生労働省独立行政法人評価有識者委員などを兼務。「入門 医療経済学」(中公新書)、「医療が日本の主力商品となる」(ディスカヴァー21)など著編書多数。

真野 俊樹 写真

  • Innovation | イノベーション

研究者と起業家をつないで技術革新を促進×競争原理を機能させて「より良い医療」を提供

視察先

Texas Medical Center(TMC)/JLABS/TMCx/Memorial Hermann/MD Anderson Cancer Center

テキサスメディカルセンター

イノベーションを生み出す環境を企業やセンターが提供

テキサス州ヒューストン市にあるテキサスメディカルセンター(TMC)は、東京ドーム約113個分の広大な敷地に、20を超える病院と医科大学などの教育・研究機関が集まる世界最大規模の医療センターだ。

「なかでもアメリカらしさを感じるのが、起業家を支援する施設を擁する点です」と、今回の米国医療施設視察団を率いた真野俊樹氏は語る。

その一つのJLABSは、ジョンソン・エンド・ジョンソンが運営するインキュベーション施設で、生命科学分野のスタートアップ起業家に対し、アイディアをビジネスとして成功に導くための、経営技術や金銭・人材の提供が行われている。すなわち、相場より安い賃料を支払うことで、オフィススペースに加え、最先端の実験・研究施設や医療機器試作室などが利用でき、資金調達や商用化に関する専門家の助言や研究者ネットワークへの橋渡し、投資家とのマッチングなどのサポートが受けられる。しかも、そこで得られた成果や成功に対し、J&Jが見返りを求めることは一切ないという。

センター内にはTMCが同様の支援を行なうテキサスメディカルセンターアクセラレーター(TMCx)もある。第一線で活躍する臨床家や研究者とコラボできるだけでなく、アドバイザーによる支援や臨床試験、FDA規制、知的財産などを学ぶワークショップも提供される。

「起業家を迅速かつ効果的に利害関係者につなげるため、投資家や企業へのプレゼンの場も設けられているそうです」(真野氏)。

医師や研究者にとっても、日常の疑問やアイディアが形になっていく様を肌で感じ、参画できるメリットがある。またスタートアップ企業にとって、地方の中核都市での起業準備は、足元にお金のかかる大都市に比べメリットが大きいという。

TMCx 図
ヘルスケアITやバイオ、再生医療等のスタートアップ起業家が名を連ねる
JLABS 図
JLABSは西海岸やボストン、カナダのトロントなど6か所にあり、研究者と起業家をつないでいる
Memorial Hermann 図
歴史ある建物が残るメモリアルハーマンには小児用のリハビリ室も
MD Anderson Cancer Center 図
約9000㎡のプロトンセラピーセンターでは、日立製作所製の陽子線治療機器3台がフル稼働する

全米屈指の先端医療を支える古き良きアメリカの価値観

年間患者数800万人、年間手術件数18万件以上、病床数9200床を誇るTMCには、全米トップクラスの著名な病院も数多い。TMCでもっとも長い歴史のあるメモリアルハーマンもその一つで、リハビリ部門で全米第2位(※)、小児部門でもランクインする実力を誇る。州立大学附属のMDアンダーソンがんセンターもがん領域でつねに全米トップクラス、臨床試験の数で全米一、チーム医療では日本でもなじみ深いがん専門病院だ。米国で最初に陽子線機器を導入した「陽子線治療センター」は、10年間で7千名を超える国内外の患者(うち1750名はスポットスキャニング照射)の治療にあたり、顕著な成果をあげてきた。

TMCの最大の特徴は、センター内の各施設を競わせている点だ。

「良くも悪くも病院の選択は患者や保険会社に委ねられています」

IT化により世界中からあらゆる患者を抱え込む一極集中型医療には逆行するが、競争原理を残すことで、TMCにはいまも「より良い医療」を追求する精神が息づいている。

(※)US News & World Reportのベストホスピタルによる

  • Health CareManagement | ヘルスケアマネージメント

患者に「安全で質の高い医療」を届けるためにムダを徹底的に排除し、業務に合理性を追求する

視察先

Virginia Mason Institute

バージニア メイソン インスティテュート

トヨタ生産方式の基本思想はより良い医療の実現にも寄与

ワシントン州シアトル市にあるバージニアメイソン病院は336床と中規模ながら、医療の質には定評があり、米国の病院ランキングではつねに上位に名を連ねる。かつては並み居る競合との差別化に悩み、赤字を経験したこともある同院が黒字に転じ、全米屈指の優良病院になれたのは、トヨタ生産システム(TPS)との出合いがあったからだという。

TPSとは『ムダを徹底的に排除トヨタ生産方式の基本思想はより良い医療の実現にも寄与し、製造過程に合理性を追及する』という思想を生産全般に貫き、システム化した生産方式だ。

「TPSはマサチューセッツ工科大学の教授らによって体系化され、リーン(LEAN)生産方式と名づけられました。バージニアメイソンはこれを医療分野にいち早く採り入れて成果をあげただけでなく、医療機関向けにカスタマイズしたものをバージニアメイソン生産方式(VMPS)と呼称し、コンサルティングや教育事業を展開してきました」

真野氏らの一行も今回の訪米中に、院外向けのVMPSプログラム研修(有料)に参加している。

2001年、バージニアメイソン病院は、診療の質の改善を目的として、患者を中心に据えた病院の戦略体系を定め、それらを実現する手立てとしてVMPSを位置づけた(図表1)。また、変革を起こすには技術も人も変わる必要があり、ビジョンの共有や問題の顕在化など、いくつかの要件を満たすことで初めて改善策が見いだせると説く(図表2)。

「当初、製品の生産管理法を医療に持ち込むことに、職員、とくに医師の抵抗感は大きかったようですが、医師の技術にTPSを当てはめるのではないということで理解が得られたようです。もともとシアトルにはボーイング社など厳格な品質管理を行なう企業があったことも関係しているのかもしれません」

図表1Virginia Mason Production System(VMPS)の戦略プラン
VMPS戦略プラン 図
図表2変革のための要件
変革のための要件 図
バージニアメイソン病院 図
1920年設立のバージニアメイソン病院は、非営利の急性期病院
トヨタ生産システム 図
現理事長が2001年にトヨタ生産システムに出合ってから一貫して、その精神を病院運営に生かし、浸透させてきた
戦略プランや「カイゼン」事例 図
廊下の壁に、戦略プランや「カイゼン」事例が貼られている

経営も医療の質も改善するバージニアメイソン生産方式

時間のムダをなくせば品質が上がって経営が効率化し、顧客サービスも向上する——というTPSの考えは、そのまま、医療や患者に置き換わる。ただし、医療現場では当たり前になっていて、気づきにくいムダや非効率さが残る。それに気づくことは簡単ではない。たとえば、人やモノの動線をチェックして、ムダな動きはないか、効率の悪い手順は存在しないか、モノの配置は適切かなどさまざまな視点から問題点を見つけ出す努力が必要になる。

ひとたびムダを見つけたら、それらを徹底的に、根本的に取り除く。部屋のレイアウトを変えたり、モノの収納場所を変えたり、ときには建築の段階から反映させることも必要かもしれない。また、在庫を当たり前と思わずに管理を徹底し、会計システムや検査手順を見直して、待ち時間の短縮をはかる。入院から退院まで、外来を訪れてから帰るまでのクリティカルパスの再検討も重要な「カイゼン」策の一つだ。

同院ではVMPS導入から数年で効果が数値としてあらわれている。すなわち、クレームの数が激減して(図表3)訴訟件数が減り(図表4)、患者満足度が上がって(図表5)、着実に売り上げが伸び、経営状態が安定している(図表6)。

「日本でも品質管理(QC)活動に取り組むところはありますが、これはあくまで自主性に基づきます。ムダを見つけてそこだけ排除しても、全体から見ると排除しきれていないことはめずらしくありません。我が国の医療機関もバージニアメイソンのように、病院全体で体系的にムダの排除に取り組む姿勢が求められているのかもしれません」

図表3安全プログラムの効果でクレーム減少
安全プログラムの効果でクレーム減少 図
図表4病院の賠償責任の減少
病院の賠償責任の減少 図
図表5患者満足度の向上
患者満足度の向上 図
図表6良好な経営状態の維持
良好な経営状態の維持 図
図表1〜6:バージニアメイソンの研修プログラム受講の際の提供資料より掲載
  • Facilities for Senior | ファシリティズ フォーシニア

選択肢が豊富なリタイア後の居住環境保育所が併設されたコミュニティも

視察先

University Place/Providence Mount St.Vincent

ユニバーシティ プレイス/プロビデンス マウント セント ビンセント

今回の視察では、リタイア後の高齢者向け施設を2か所訪れている。一つ目は、メモリアルハーマン系列のシニアリビング施設「ユニバーシティ・プレイス」。マンションタイプで、隣接する大学の講義が受けられたり、隣接する系列病院の医療ケアが受けられるので安心だ。米国のこうした施設に共通するのは、入居時に支払った数千万円のうち約8割が退去時に戻ってくる点だ。償却分を除く大部分は保証金と捉えられており、日本とは考え方が大きく異なる。二つ目の施設「プロビデンス・マウント・セント・ビンセント」はCCRC(※)ではなく、病院グループが運営する高齢者施設と保育所が併設されたコミュニティだ。保育所は病院職員だけでなく外部からも子どもを受け入れており、高齢者には子どもと触れ合うことによる認知症予防や進行抑制効果も期待できるという。

(※)Continuing Care Retirement Communityの略

University Place 図
University Placeでは大学のフィットネスセンターも利用できるなど、アクティブな生活が期待できる
Providence Mount St.Vincentのコミュニティスペース 図
Providence Mount St.Vincentのコミュニティスペースでは100人ほどの利用者が保育所に通う乳幼児と触れ合う