災害に強い病院を目指す

地震や津波、台風―日本列島に住んでいる以上、いつ何時自然災害に見舞われても不思議はない。一度に多くの傷病者を生み出す災害時に「命の砦」となるべき病院はどんな状態に陥るのか?そのなかで医療者は何を為すべきなのか? 阪神・淡路大震災の教訓をもとに開設された兵庫県災害医療センターの取り組みを通して考える。

誰もが避けることのできない自然災害
そのとき「命の砦」であるべき病院は!?

病院のライフライン断絶が「避けられる死」を生み出す

地震大国日本(図1)。だが、自身が勤務する『病院が壊れる』ことを想像できる人はどれほどいるだろう。国内外で豊富な災害医療支援の経験を持つ鵜飼卓氏も、1985年、国際救援に入ったメキシコ大地震で初めて病院倒壊を目の当たりにし、「患者を救うべき病院で、人が亡くなる」事実に衝撃を受けたという。

実際、95年の阪神・淡路大震災では、日本でも同じように病院が壊れた。西宮の自宅で被災した鵜飼氏はすぐに勤務先の大阪の病院に向かうが、移動を阻まれやむなく知り合いのいる兵庫県立西宮病院に飛び込む。

「ほかの病院がどうなっているのか知るすべもなく、ただひたすら目の前の患者さんの治療に当たっていました」(鵜飼氏)

道路損壊により、死者が集中した西宮市内の小規模の数施設に1000人を超える患者が殺到。通信手段が奪われたために、通常行われるべき重症患者の転送ができなかった。

「その結果、残念ながら『避けられる死』が生じてしまったのです」と鵜飼氏は痛恨の思いで振り返る。

兵庫県の調べ*では、震災時に診療機能を低下させたおもな理由は、上下水道の供給不能73・6%、電話回線の不通および混乱60・1%、ガスの供給不能54・0%、医療従事者の不足44・2%、施設・設備の損壊41・7%、電気の供給不能33・1%、医薬品の不足20・9%だった。病院の耐震化は進む(図2)が、ライフラインの確保がいかに重要かを物語る結果といえる。

図12000年以降で死亡者が発生した地震一覧
2000年以降で死亡者が発生した地震一覧 図
出典:気象庁資料、防災白書資料より
図2病院の耐震化率の推移
2000年以降で死亡者が発生した地震一覧 図
(注1)平成17年調査は、四病院団体協議会・厚生労働科学研究班による調査
(注2)耐震化率は全ての建物に耐震性のある病院数を回答病院数で除したもの。
出典:厚生労働省資料より

災害を想定してハード・ソフトを強化し
救急・災害医療、情報統括、教育を担う

平常時の救急医療の充実が災害時の対応を可能にする

兵庫県災害医療センター(HEMC)は、阪神・淡路大震災の反省を踏まえ2003年に開設された初の自治体立災害医療センターで、後方支援機能を担う神戸赤十字病院とともに県の基幹災害拠点病院に指定されている。人と防災未来センターやJICA(国際緊急援助隊)などDRA(国際防災・人道支援協議会)の施設が集う一画にあり、ヘリポートはもちろん、津波を想定して免震構造の建物の最上階(4階)に非常用発電機を備え、大地震にも耐え得る中圧ガス導管を引くなどして、ライフライン確保の策を講じている。

平時は30床11科を有する高度救命救急センター(06年6月~)として稼働し(図3)、08年3月には独立型救命センターとして初の病院機能評価機構Ver.5認定を取得。さらに、患者の受け入れだけではなく、JR福知山線列車脱線事故や新潟県中越沖地震、スマトラ沖地震など、国内外の災害医療支援活動にも積極的に人を送り出している。

基幹災害拠点病院であるHEMC内に『情報指令センター』を設けた点も大きな特徴の一つだ。災害時に関係機関と医療情報をタイムリーに共有し、行動に結びつけるために、専任スタッフが24時間365日、情報の集約・管理に当たっている。平時は消防からのドクターカー出動要請にも応じるが、災害時は県内に18ある災害拠点病院の束ね役として、搬送先の割り振りや救急ヘリの出動、災害派遣医療チーム(DMAT)の派遣も手配する。また、災害医療や救命救急の人材育成にも力を注いでおり、06年度からは西日本の拠点としてDMAT研修を担当している。

国内外の災害支援活動:ネパール地震(国際緊急援助隊の一員) 図

熊本地震(情報指令センター内の兵庫県DMAT調整本部) 図

東日本大震災(花巻空港・航空搬送拠点臨時医療施設SCUでの日本DMAT統括業務) 図 上)国内外の災害支援活動:ネパール地震(国際緊急援助隊の一員)、中)熊本地震(情報指令センター内の兵庫県DMAT調整本部)、下)東日本大震災(花巻空港・航空搬送拠点臨時医療施設SCUでの日本DMAT統括業務)

神戸赤十字病院 図 大規模災害時は平時の30床から100床へ増床可能。隣接する神戸赤十字病院とは、設立当初から緊密な関係にある

図3患者の受け入れ状況
神戸赤十字病院 図
出典:兵庫県災害医療センターHPより

医療の最前線に情報拠点を置くことで
災害時に医療を迅速かつ的確に届ける

訓練と実動を繰り返すことで「使える」システムに育てる

『情報指令センター』では、兵庫県広域災害救急医療情報システム(EMIS)を活用し、各施設の空床数や当直医の専門性などの情報を収集して平常時の救急出動要請に役立てるとともに、大規模災害や多数の傷病者が見込まれる近隣災害においても、消防からの要請を受けて対応できる体制を整えている。

ただし、「仕組みを作っても、それを機能させるためには日頃の訓練が欠かせません」とセンター長の中山伸一氏は明言する。実際、週1の頻度で情報・実動訓練、実動のいずれかを実施する(図4)ことで、システムに息を吹き込み、「使える」状況を維持する。これは全職員が訓練の重要性を理解し、業務の一つと心得ているからこそできることでもある。兵庫県では、多数の傷病者が見込まれる場合、消防が「緊急搬送要請(エリア災害)」を発報し、160を超える登録医療機関と近隣の災害拠点病院に情報が同時発信される。発報の目安となる人数の取り決めはない。

「時間帯や地理条件、傷病の種類によって医療機関の受け入れ状況は違いますし、正確な人数や重症度を勘案していたら間に合わなくなる恐れがあります」(中山氏)。

搬送先の確保が必要だと消防が判断したら発報をかけ、医療機関も文句を言わない、という合意事項が徹底されることで、判断ミスによる搬送の遅れも防げる。中山氏は「このような情報システムで消防や医療機関、行政が結ばれていることは、大災害が起こった際の受援体制の強化にもつながる」と考える。

緊急搬送要請を含む災害時対応の具体的な流れは、①放送→集合(暫定災対本部)、②災害・事故状況の確認(EMIS、無線、テレビ等)、③HEMC被災状況の確認(人的・建物・医療機器など)、④空床数等の把握(増床)、⑤確認事項(受け入れ可能人数、ドクターカー( ヘリ)・DMAT派遣等の可否)→EMIS入力(被災の場合は状況を)、⑥一旦解散、⑦院内災対本部設立の順で、手順は見える場所に貼られている。

待つだけでなく、必要な医療を届ける「ドクターカー」 図

情報指令センター 図

情報指令センター 図 上)待つだけでなく、必要な医療を届ける「ドクターカー」 中&下)『情報指令センター』にはさまざまな職種が集い、無線と緊急速報の流れるTV、次々と更新されるEMISの情報を前に、どのような対応が必要か検討・判断していく

図4緊急搬送要請(エリア災害)年度別発出状況
緊急搬送要請(エリア災害)年度別発出状況 図
出典:兵庫県災害医療センター提供データより作成

個々の病院が抱える脆弱性を知ることで
災害時に「自分は何ができるか」を探る

病院は「被災者の命の砦」 災害対応の基礎力をつける

災害に強い病院になるにはどうしたらよいのだろうか。津波や洪水、土石流などの被害を受けやすい場所を避けるなど、病院の立地条件はもちろん重要だが、日本では絶対安全な場所に病院を建てるのは難しい。ただ、水害対策として1階部分に入院施設を作らない、止水壁を設けるなど、被害を極力減らすための策を講じることはできるはずだ。

直下型地震や水害は日本全国どこでも起こり得る。どんな病院も被災のリスクをゼロにはできない。

そこで、両氏が口を揃えて提案するのは、「ハード・ソフトの両面において自分の病院の弱点を分析し、対応策を考えておくこと」だ。自身も被災者になるのだということ、そうした状況下で病院が人々の命の砦となるには、災害対策は避けて通れないのだということを、事務に至るまで職員一人一人が認識すること。病院がどのような体制をとるべきかを真剣に考えていくことだという。

電気やガスは予備の供給経路が確保されているか、高層の病院ではエレベーターが止まったときどうするのか、断水時に使えるトイレはいくつあるのか、等々。耐震・免震構造の病院が増えて見落としがちなのが、医薬品棚や医療機器などの固定だ。直下型地震では免震がある程度効果を発揮するが、東日本大震災のような長周期振動においては、却って振幅が増幅してしまう。鵜飼氏は「ベッドやPC台などには常にストッパーをかけ、移動時だけ外す習慣をつけておくことが大切」と注意を促す。

人の問題もある。鵜飼氏の調査によると、公共交通機関や車が使えない状況で、1時間以内に病院に来られる医師、とくに幹部職員は皆無だったという。震災時の例を見ても、現場にトップが不在だった地域は復興の遅れが顕著であり、非常時の指揮系統についても取り決めが必要だ。

災害時は想定外のことがいくらでも起こりうる。EMISを導入しても使えなければ意味がないし、マニュアルがあっても、訓練しなければ問題点にさえ気づけない。「災害対応の基礎力」はすべての病院、すべての職員が身につけるべきだが、少なくとも災害拠点病院には必須のスキルといえる。

昨今、災害医療について学ぶ機会が増え、HEMCでも多くの研修生を受け入れている(図5)。「救援体制が充実しつつある現在、BCP(事業継続計画)に受援のアクションプランを組み込むなど、被災時に円滑に応援を受け入れる体制の強化も求められています」(中山氏)。

図5主な研修の実施状況
主な研修の実施状況 図
出典:兵庫県災害医療センターHPより
図6DMAT研修の実施、修了者の状況
主な研修の実施状況 図
出典:厚生労働省資料より
主な研修の実施状況 図
主な研修の実施状況 図
座学、筆記・実技試験、実践訓練と、日本DMATの研修プログラムは4日間に及ぶ(図6)

医師としてどうするべき?

自分も被災者になることを意識して
災害に強い医療者になる

阪神・淡路大震災が起こる前から災害医療に高い関心を抱いていた鵜飼氏。だが、家具の固定を怠っていたために、震災時に西宮の自宅でタンスの下敷きになった。幸いにも自身も家族も大した怪我はなく、ものが散乱した部屋の片付けを家族に任せ、病院に向かうために家をあとにした。「私自身は家族の理解(あきらめ半分)もあり、職務を優先できましたし、自分の生活よりも患者さん第一と思えることが医師としてのプライド、生きがいとしていた部分もあります」(鵜飼氏)。だが同時に、「職業上の責務を優先することを誰も強制はできない」とも感じている。その一方で、「自分も被災者になるかもしれないという意識を持つこと」の大切さを強調する。DMAT研修の参加者も半数は参加を強制されて来るが、4日間集中して学んだ後は一様に「何とかしないといけない」という意識を持ち帰るのだという。「先の震災では手をこまねくことしかできませんでしたが、被災を想定することで、少なくとも何をすべきかを考えられる医療者になると期待しています」(鵜飼氏)。

兵庫県災害医療センター センター長兼 神戸赤十字病院副院長
中山 伸一
1980年神戸大学医学部卒業。米Cleveland Clinic Foundation研究員、神戸大学附属病院救急部、同大大学院医学研究科環境応答医学講座災害・救急医学分野助教授(当時)、2003年兵庫県災害医療センター副センター長を経て、12年より現職。日本DMAT隊員・統括隊員、日本救急医学会救急科専門医、日本DMAT・JPTECコースディレクター/インストラクター、MCLSインストラクター。

中山 伸一 図

兵庫県災害医療センター 顧問
鵜飼 卓
1963年大阪大学医学部卒業、関西労災病院重症治療部副部長兼外科副部長、大阪府立千里救命救急センター副所長、大阪市立総合医療センター救命救急センター所長、兵庫県立西宮病院院長を経て、2003年より現職。国内外で医療支援活動を展開。日本DMAT隊員、HuMA(認定NPO法人 災害人道医療支援会)顧問、日本救急医学会指導医。

鵜飼 卓 図