高齢者人口が急速に増える中、救急現場でも高齢者の搬送が全体の半数を占めながら大幅に増加している。一方、地域医療における受入れ体制は現状に追いついていない部分も多い。この課題に対峙し、地域に密着しながら独自の工夫や戦略で、高齢者救急医療に積極的に取り組んでいる病院の事例を紹介する。
世田谷区奥沢の住宅地にある奥沢病院は、1997年の開院後から地域の二次救急病院として救急患者を受け入れてきたが、特に地域の診療所との連携を強め高齢者救急体制を整えてきた。基幹病院が多くあるこの地区にあって、積極的に高齢者救急を受け入れてきた経緯を、奥沢病院院長の伊平慶三氏にたずねた。
「年間1400件から1500件くらいの救急を受け入れており、高齢者の割合は7~8割。うち当院との連携関係の患者が約8割にのぼります。また、高齢者で搬送される方の多くは入院になります。当初は高齢者救急を目指していたわけではありませんが、この界隈は有料老人ホームや老齢施設が多くあるので、地区の高齢者の増加から結果的に高齢者の比率が高くなったのだと思います」
中小病院の経営が難しいといわれる中で、地域に根ざした病院として機能するために、奥沢病院は独自の地域連携体制を推し進めてきた。
「この地で元々開業されている先生方と、我々のように新規で入ってきた中小病院とが、当初からよい関係というのは難しいものです。大学病院でしたら、検査を頼んだり患者さんを紹介されたりとメリットがあるものの、中小病院ですと、競合意識を持たれることもありますから」そこでまずは“オープン・ホスピタル”と名付けた会を病院で定期的に実施し、地域の開業医との顔の見える関係を目指した。
「最初は20人くらいの集まりでした。地域連携の専門家の講演会等を行い、その後懇親会で顔と顔を合わせて話す。そうした中で信頼関係を築いていきました」
また、「紹介された患者は元の主治医に戻す」ことを方針とした。ここで大きな役割を果たしているのが、故松村光芳前院長の留学経験を元に作られた、“アテンディング・ドクター”制の導入だ。
これは、入院患者の治療にあたって、紹介元のかかりつけ医には“アテンディング・ドクター”として、奥沢病院の主治医と共同診療を行ってもらう、というもの。こうした共同診療は、治療の質向上、患者の安心感、またアテンディング・ドクターへの診療報酬算定など、病院、患者、開業医ともにメリットがある、と伊平氏。登録ドクターは現在約120人に増えた。時には外来で診察したり胃カメラや大腸ファイバーの検査を担当することもあるという。
平成27データはいずれも速報値 東京消防庁報道発表資料より
連携を支えるのは、奥沢病院の地域連携室。スタッフが一日20~25カ所の診療所に出向いている。
「連携室には4人(内勤2人)のスタッフと看護師、2人のケースワーカーがいます。外勤を担当する連携室のスタッフが診療所を回り、入院患者さんの病状や経過、退院予定を伝えたり、現在のベッドの空き状況などを知らせます。そうした中で、診療所が往診している患者さんの事情や、このような人の検査を行いたいという依頼などもわかるわけです」
一歩踏み込んで聞くことで、地域にどのような高齢患者がいるか把握でき、病院として次のステップの心づもりができる。また診療所の医師にとっても、病床状況がわかるなどのメリットがある。こうした取り組みの積み重ねが、病院の信頼と地域への必要性を高めているのだ。
奥沢病院は今後も、二次救急病院として今の方向は変えないという。
「7対1を堅持しながらも“我々のベッドは地域のベッド”という姿勢で、開業医の先生にも敷居低く使ってもらえる病院でありたいと思います。2025年に向けて地域包括ケアの構築が進み、“在宅で最期まで”という人も増えるでしょう。そんな時、必要になるのは、我々のような地域の病院だと思います。救急搬送や入退院の多い高齢者を、地域の診療所との密な連携で質高く支えていける、と思っています」
民間病院には珍しい救急入口(上)と救急治療室。整形外科の医師が24時間院内にいる。
「年に一度、連携関係にある方たちを招いた会を開いています。最初は当院と関係のある診療所の先生を招いていましたが、現在は老人保健施設、訪問看護ステーション、地域包括ケアセンター、区役所の担当者、連携している地域の大学病院の先生や医療ソーシャルワーカーなども参加いただくようになりました。医師間のつながりだけではなく、医療に関わる人たちが顔を合わせる場になっています」
そう話すのは、木村病院院長の木村厚氏だ。1948年に開業した同病院は、今のように地域連携が重視されるはるか昔の前院長当時から、 “連携の会”を行ってきた。その想いを、木村氏は次のように話す。
「例えば脳梗塞。急性期を過ぎると退院を促されます。しかし、病気はよくなっていても機能回復はどうするのか?そこで地域連携が機能していれば、リハビリに力を入れている中小病院に転院した後、家に戻るという流れを作ることができます。診療所と基幹病院の間にある中小病院だからこそ、両者を繋いできめ細かい医療が提供でき、地域包括ケアを実現する核となる役割が果たせるのだと思います」
木村病院に救急車で搬送された件数は、昨年4月から今年1月で971件だった。そのうち75歳以上の高齢者は376件。全体の割合の38.7%だ。東京都の平均よりやや多い。
「高齢者で多いのは、肺炎や心不全、腸炎、骨折、脳卒中などですが、前提として考えなくてはいけないのが、どこまでの治療を求めているのか?ということです」
例えば、すでに寝たきになっていたり、認知症が重いなどの人に、気管内挿管をして蘇生させることが、本当に求められているものなのか。一律に決めることはできないという。
「終末医療として何を望んでいるのかがわかる “リビングウィル(事前指示書)があればいいのでしょうが、そのように書面化している人はほとんどいません。本人に思考・判断能力がない場合、家族の意向にならざるを得ません」
そこで、木村病院では、「重症時・急変時の治療方針確認書」(見本掲載)を用意している。例えば昇圧剤の使用、人工呼吸、心蘇生剤の使用、転院を含め救命センターでの治療希望など書き記すことができる。入院時に本人か家族に書いてもらい、治療に活かしている。救急搬送者で本人判断ができない場合も、以前に記入済みであれば、それに従っている。
「高齢者救急は、当初治療は医師が行いますが、その後の看護やリハビリ、退院などの行程は、多職種のスタッフの連携によって支えられています。病院は高齢者を受け入れただけではなく、そうしたスタッフと共に出口作り(退院調整)が重要だと考えます」と木村氏は話す。
高齢者の多い荒川区では、高齢者救急への必要性が特に高い。今後は循環器系統の医療体制を強化するため、医師をそろえ看護師の増員をしていくと予定だという。
患者の意向に沿った最善の治療を行うため本人や家族の希望を事前に書いてもらう
「患者さんが生きるか死ぬかという時に、適切なプライマリ・ケアを行う、というのは考えているより難しいと思います」そう話すのは、救命救急センターに長く勤務し、救急医療の最先端を指導してきた、松江病院院長の安田和弘氏だ。
高齢者の場合、軽い意識障害や失神があって運ばれたとしても、診察すると重症なケースが多くあるという。救急搬送後しばらく経ってから、心臓が止まってしまうことも珍しくない。そのため、患者を総合的に診ることができる医師の存在は大きい。
このような考えから、松江病院では救急対応には特に、部分医でなく総合医であることを重視。また、救急の増える夜間当直医は、救急専門医で対応している。
「当院だけで治療が難しいケースについては、三次救急や高度専門医療機関との連携によって対応します。しかし急性心筋梗塞、くも膜下出血、大動脈解離など一刻を争う患者さんが運ばれたら、応急処置でもやれることはすべてやってから三次救急に繋げます。初期治療を適切に行うことで、命を助けられる確率が上がるからです」
当直医に全方位的な対応を求めるのは難しいこともあるが、可能な限り一人で対応できる医師を当直に置くというのが、病院の方針だ。
松江病院には、年間約3000台の救急搬送があり、そのうち65歳以上の高齢者は7割を占める。病院のあるエリアには二次救急病院が少ないこともあり、フル回転で救急を受け入れているのが現状だ。
病院にとって大きな役割が求められる地域連携の体制については、地域連携室の医療ソーシャルワーカーが、いろいろな施設と連絡を取り合い行っているという。
ところで実際のところ、高齢者救急の難しさはどこにあるのだろうか。
「やはりどこまでの治療をするのか?という見極めだと思います。救急で来る方の半分は入院です。高齢者だからここまでの治療でよいと、救命の観点からは言えません。このような病状なので気管挿管します、人工呼吸器をつけます、もっと高度な治療が必要です、と説明して、家族の意向も伺います」
家族の気持ちや本人の社会的背景、将来の生活も考えて、その人を全人的に受け止めて治療することが、高齢者には特に求められる。そして、地域に密着した病院だからこそ、その役割が重要だと安田氏は話す。
「総合病院とかかりつけ医の間に、我々のような病院がある必要性は、今後さらに増えると思っています」
地域の寄付による病院専用の救急車は、主に転院の時に使われている。
新館1階にある救命救急室。365日24時間の救急対応を行う。
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