国際親善総合病院

一度は失った産科医療の復活のため
力となる産婦人科医を募る

急性期医療・地域完結型医療を提供する総合病院として、地域に貢献してきた国際親善総合病院。同院では今年、地域の熱い要望に応え、これまで休止していた産科の「分娩」を復活させた。

安藤 暢敏
病院長
1971年 慶應義塾大学医学部卒業、慶應義塾大学医学部訓練医( 外科)/2000年 慶應義塾大学助教授( 医学部外科学)/2001年 東京歯科大学外科学教授、市川総合病院外科部長/ 2007年 東京歯科大学 市川総合病院 病院長/ 2009年 慶應義塾大学医学部客員教授(外科学)/ 2015年 国際親善総合病院 病院長

安藤 暢敏氏

救急医療とがん医療の2本柱で
高齢化の進む地域に貢献

国際親善総合病院の歴史を振り返れば、その原点は1863(文久3)年にまで遡る。かつて山下町地区に存在した外国人居留地内に、居留者たちが病院を作ったのが始まりだ。以来、同院は歴史の流れとともに経営母体や名称、所在地を変えながらも横浜の地で150年以上にわたり人々に医療を提供してきた。現在の所在地である泉区へ移転したのは1990年。そこから四半世紀、泉区内最大の急性期病院・唯一の総合病院として、地域医療に大きく貢献している。

「私たちに求められているものは一にも二にも地域完結型の医療。その実現のための大きなミッションと位置づけていることは、“救急医療”と“がん医療”です」と語るのは、昨年病院長に就任した安藤暢敏氏だ。

同院は日本救急医学会における救急科専門医指定施設、横浜市二次救急拠点病院であり、泉区への移転以来、365日24時間態勢で横浜市西部地区の救急医療を担う。また、高齢者の多い地域として、地域完結型のがん医療にも注力しているという。

「日本人の死因第一位はがん。泉区は横浜市内でも特に高齢化が進む地域なので、がん患者数も少なくありません。しかも高齢者はがん以外に基礎疾患を持っているケースがほとんどです。当院は、多くの科が併診して一緒にコンサルトしながら治療に当たれる総合病院。この総合病院ならではのパワーは、がんの専門病院とは異なる当院の強みとなっています」という。

「そして、高齢の方はご自身がお住まいの地域での治療を強く望んでいます。当院ではそういった患者さんに応えられる医療も目指しています」

昨年8月に完成した新棟には、25床の緩和ケア病棟を開設した。緩和ケア病棟はその数自体が少なく、これまで横浜市全域で6施設、合計約120床しかなかった。

「がん医療は、診断がついたら手術や化学療法を行って終り、ではありません。シームレスに、緩和医療まで地域で完結することが大切だと考えています。

また、現在の緩和医療では病院が“終の住処”ではありません。かつてのホスピスとは異なり、身体的・精神的・社会的苦痛の緩和のために入院し、問題が軽減したら住み慣れた地域に戻っていただきます。そのための在宅医療の強化を図り、地域医師会の医師との連携を強めています」

新たな“人”との出会いで
失った周産期医療の復活を決意

地域の要望に応え、「良質で、親切で、信頼される医療の提供」という基本理念を日々の医療に反映している同院だが、一つだけ安藤氏が残念に思っていることがある。それが、2014年の産科での分娩の中止だ。

「かつては年間の分娩数が1000件を超えることもあり、産科は当院にとって一つの大きな看板でもありました。母・娘の二代にわたり当院で出産したという方も珍しくありませんでした」

ところが、マンパワーの不足等により、産婦人科自体は引き続き診療を続けるものの、分娩は休止せざるを得なくなったのだ。

しかし、泉区には他に分娩施設はなく、出産するにはわざわざ他の地域へ通院しなければならない。地域からの再開を求める声も強く、同院としても分娩再開への強い希望があった。そんなときに安藤氏が出会ったのが、産婦人科医の多田聖郎氏だった。

以前から、多田氏は産婦人科医不足が深刻な地域での医療を考えており、

「ご縁があって病院長とお話しする機会を得て、大都市のイメージが強い横浜市内でも出産施設が極めて少ないこの地域で、当院が分娩を再開することで地域に貢献したいと、当院への入職を決めました」

安藤氏は多田氏に会い、この人なら任せられると思い、分娩再開を決心したという。

「現在、産科を廃止し、分娩を取りやめる病院は日本中に数多くあります。しかし、再開するというケースは殆どありません。それだけ再開は難しいことだと覚悟していましたが、多田先生という“人”に出会って心が決まりました。やはり医療は“人”なのです」と安藤氏。

「再開するなら、あまり時間が経たないほうが良い」と、わずか2年という休止期間を経て、分娩の復活を実現した。

2015年8月完成の新棟。4階は本年4月から稼働を始めた緩和ケア病棟で、定員4名の多床室もある。

救急外来の診察室。初期診療から迅速に専門治療に移行できるのも、同院の救急医療の強みの一つ。

2010年開設の血液浄化・透析センター。末期腎不全に対する血液透析を中心に血漿交換、アフェレーシスなどのあらゆる血液浄化療法に対応。

9月1日、念願の産科が再開。
分娩予約が始まった

本年9月、出産予定日が来年5月1日以降の方の分娩予約が始まった。当面は、月10人と数を絞っての予約受け付けとなるが、地域住民も病院関係者も待ちに待っていた産科の再開だ。新しい産科では、希望者が増えつつある無痛分娩にも対応していく。

「その人に合った方法で、安全に出産できるなら、一つの選択肢として無痛分娩も用意しています」と産婦人科部長となった多田氏は語る。

そして今後、分娩数を増やし安全な出産を行うために必要なのはやはり“人”、つまりは産婦人科医の確保だ。現在、産婦人科には多田氏を含め2名の常勤医と3名の非常勤医が在籍するが、より一層の人員を必要としている。

「分娩は、赤ちゃんもお母さんもともに元気で、笑顔で一緒に退院していただくことが第一。医師の数、助産師の数が出産の安全を支える鍵になります。できることならこの病院を好きになってくれ、ここで働きたいと思ってくれる医師に来ていただき、再開したばかりの産科をともに支えていただきたいと思います」と多田氏。

同院の産婦人科は症例数が多く、分娩のみならず特殊な手術も経験でき、医師にとっては自己研鑽の場になるという。

「近隣では婦人科の手術ができる施設が多くないため、当院では十分にキャリアを積めるだけの症例数が確保できます。機材が揃っており、一般的な腹腔鏡手術、腟式手術等にも対応しています。

婦人科の良性腫瘍、子宮脱等の骨盤臓器脱の手術も行っており、私自身も当院に入職するまで未経験だったTVM(骨盤内臓器脱メッシュ手術)を先輩医師に教えていただきました。

周産期医療から、高齢者の腫瘍や骨盤臓器脱まで、これからの地域医療における産婦人科領域で必要とされる分野を押さえられるのではないでしょうか」

国際親善総合病院153年の歩み

1863年 外国人居留民のための公共的な病院として「YOKOHAMA (PUBLIC)HOSPITAL」が現在の横浜市中区山手町に設立される。1866年閉鎖。
1867年 山手のオランダ海軍病院が「THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL」に改組され、外国人居留地の公共的な病院が再建。
1942年 敵産管理法施行令第3条第4項に基づき大蔵大臣より敵産に指定される。
1944年 「財団法人 横浜一般病院」設立認可。海軍の要請により病院を横須賀海軍病院に賃貸、代わりに横浜関内にある関東病院を買収、移転。
1945年 太平洋戦争終了、横浜一般病院山手病舎(分院)は進駐軍が接収。
1946年 山手地区の病院はTHE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALの名称に戻る(この病院は1950年にThe Bluff Hospitalと改称)。相生町の病院は「財団法人 国際親善病院」として寄付行為の変更、主務官庁、厚生省の認可及び許可を得て設立。
1967年 総合病院となり名称を「国際親善総合病院」とする。
1990年 現在地に新病院開院。「社会福祉法人 親善福祉協会」に名称変更。

5つの手術室を有し、年間約3700件の手術を行っている。

職場としての病院には
働きやすさへの配慮が必要

長い歴史のある総合病院には、職場としての独自の文化や風土があり、新たに入職する医師にとっては向き不向きがあるのではないか?と思われるが、「当院はそのようなことはありませんね」と、安藤氏は笑う。

「医療現場はその時代に合わせて変わっていくべき。“うちはこういうカラーです、こういう医師でないと合いません”などということではいけません」

いわゆる“科の垣根”も存在しない。まだ入職して半年という多田氏も、「職場として当院の好きなところは、“動きやすさ”があるところですね。

これまで大学病院や大きな総合病院も経験しましたが、大きな組織はどうしても動きにくい面があります。当院はちょうど良い規模で、どの科とも非常に連携が取りやすいのです。科に関係なく医局が一つで、同じ部屋に医師全員が揃っているのも垣根ができない理由でしょうか。お互いに相談しやすい状態です」という。

「高齢者は多病なもの。科の連携なしに高齢者医療は考えられません。当院のような規模の病院は、視界が開けていて風通しが良い。他の科の医師たちとFace to Faceで対応できるのは、大学病院や専門病院で働いてきた方には新鮮かもしれませんね」と安藤氏。

また、同院では質の高い地域医療を途切れることなく提供していくために、医師が働きやすい環境作りにも配慮している。

「まずは待遇面での考慮は大前提として行っています。また、最近では女性医師も増えており、女性も働きやすい職場を提供していきたいと常々考えています。当院の麻酔科でも常勤医師5名のうち3名が女性ですが、皆、自分の生活を大事にしながらいきいきと働いています」と安藤氏。

院内保育園を設置しており、子育て中の医師でも安心して働ける。育児休暇や、休暇後の復帰支援等も“あってあたりまえ”なものとして力を入れている。育児休暇を取得した男性看護師もいるそうだ。

全科に非常勤の医師に入ってもらい、当直や残業等の負担を軽減する取り組みも行っている。

1990年の移転当初、病院としてはモダンなデザインが話題となった本館棟。

多田 聖郎
産婦人科部長
1985年 東京慈恵会医科大学卒業 東京慈恵会医科大学附属病院産婦人科/厚木市立病院産婦人科部長/横浜市立みなと赤十字病院産婦人科部長を経て、2016年4月 国際親善総合病院産婦人科部長 就任 現在に至る■日本臨床細胞学会細胞診専門医、日本産科婦人科学会産婦人科専門医、指導医、新生児蘇生法「一次」コースインストラクター

多田 聖郎氏

地域医療の
顔であり続けるために
新たな医師の力に期待

「自分が横浜生まれの横浜育ちということもありますが、この地域が大好きです」という安藤氏。同院の最寄り駅である相鉄線弥生台駅周辺にはまだ緑が多く残され、少し行けば林や畑もある。

「都心に比べて空が広いのも良い。地域医療の病院の立地条件としては非常に良好なのではないでしょうか」

相鉄線は2019年にJR線、2022年には東急東横線と相互乗り入れが行われ、都心へのアクセスが飛躍的に向上する予定だ。それに伴い、弥生台駅前も再開発工事が始まり、来年秋には駅直結型の医療モールも完成する。同院ではこの新たな駅施設の2フロアにサテライトクリニックを開業し、一般内科診療と通院リハビリを行う予定だ。

「今後は、リハビリにも力を入れたいと考えています。現在当院では入院患者のリハビリしか行っていないため、退院後のサポートができません。そこも地域のニーズに合わせシームレスにしたいと考え、駅前で通院リハビリを行うこととしました。これも在宅医療へのつながりの一つですね。

今年は理学療法士・作業療法士の数を大幅に増やしました」

また、そもそもの成り立ちに由来する「国際親善」の名前通り、外国人患者に対応する診察等の一層の整備も安藤氏の構想の中にあるという。

地域は発展しても、地域に寄り添いそのニーズに応える“地域の医療の顔”でありたいというのが、国際親善総合病院病院長としての安藤氏の願いだ。

「これまで“地域医療”という言葉は口にしていましたが、この歳になって初めてそれがどんなことなのかを身をもって感じられるようになりました。私の医師としての最終章は当院で、地域医療に尽くしたいと思います。

しかし、いくら良い目標や地域のニーズがあっても、それは“人”の力がなければ実現することはできません。より地域医療を深化させるために、あらたな医師に来ていただき、その力を発揮していただくことに期待しています」

明るくゆったりとした本館棟の廊下。本館棟も順次改装工事を進めている。

同院ではクラブ活動も盛ん。若手だけではなく、ベテラン医師が率先して活動するクラブもある。

DATA

正式名称 社会福祉法人親善福祉協会 国際親善総合病院
募集科目 産婦
給与 年収1,700万円〜2,500万円(税込) ※スキル、経験に応じて優遇
業務内容 外来、病棟管理、手術、分娩
経験 卒後3年以上
勤務日数 週4.5日
当直 2〜4回/月 ※当直料別途支給
勤務時間 平日8:30〜17:00 土曜 8:30〜12:30 
休日 土曜日午後、日・祝、年末年始、創立記念日、夏期、慶弔
待遇 社保、雇用、労災保険あり、65歳定年、退職金制度あり
勤務地 神奈川県横浜市泉区西が岡1-28-1
交通 相模鉄道いずみ野線「弥生台駅」から徒歩7分
TEL:
045-813-0221
HP:
http://shinzen.jp/