「ようやく損益分岐点に到達しましたね」と税理士がうれしそうに語尾を上げました。地方の小都市に落下傘開業して約2年、ここに至るまでにこれほどの労力と時間を要するとは思いませんでした。
「うれしいというより、やっとか……」という呆然とした思いでした。
今回、縁あって、開業してからの経験について連載を始めることになりました。本来ならば心のなかにしまっておきたい嫌な話もあります。しかし、これから開業される先生方、また開業してから私と同じような悩み、苦しみを抱えている先生方に、少しでもお役にたてればと思い、恥を忍んで執筆することにしました。
新規開業にはたくさんの落とし穴があり、医師はやはり世間知らずで騙されやすいと思います。反面教師としてこの文章を読んでいただき、逆に開業が成功している先生方には、笑い飛ばしていただければよいと思います。
今までの経緯と私自身の略歴につき簡単に説明したいと思います。
私は40歳代の女性医師で、専門は消化器内科です。実家は地方の開業医(個人病院)でしたが、医学部在学中に父が交通事故で亡くなり、病院は閉院しました。以後開業することが私の夢となりました。首都圏の私立大学医学部を卒業後、実家近くの国立大学の内科医局に在籍しました。厳しい医局であり、学閥もあったので苦労はしましたが、粘り強さと打たれ強さを培えました。へき地の小規模病院から都市部の大病院まで幅広く勤務し、消化器内科だけでなく内科全般にわたりさまざまな経験をさせていただきました。この経験は開業してから本当に役立ちました。
学位を取得し、開業を計画し始めましたが、兄弟間のトラブルや土地問題などで、いったん開業をあきらめました。医局との折り合いもよくなかったので、東京の個人病院に就職しました。東京で夫(医師ではなく国家公務員)と知り合い結婚。東京での開業も検討しましたが、夫の両親のことも気になり、夫の実家の近くで開業することにしました。
開業を効率的に実現するため、コンサルタントを利用しました。以前から相談していた業者で、数年前に出かけた開業支援セミナー(建設会社主催)で紹介されました。
彼らの仕事は診療圏調査、開業の計画、建築計画、資金調達、職員採用、開業の宣伝(看板、印刷物も含む)、各種届出、開院まで行うものでした。
開業地は新幹線沿線となり、急速に発展してきている人口10万人程度の小都市です。総合病院が2ヵ所あり、個人病院・個人クリニックは人口に比べ多い印象があります。ここ数年は開業ラッシュと言われていました。夫の保有している土地は新幹線の駅からは遠いのですが、昔からの住宅地であり、近隣に中学校、高校、役所があり、比較的大きな道路に面していました。開業には適していると思いましたが、内科を標榜するクリニックが半径1?q以内に2ヵ所あり、ここが問題でした。
その地域の医師会では既存のクリニックと競合しそうだと、新規開業は許可されないという噂がありました。コンサルタントと相談し、結局、開業3ヵ月前に医師会に挨拶にうかがいました。クリニックを建築する前に挨拶にうかがうのがルールだったようで、ていねいにお詫びをし、開業を許可していただきました。
私が以前在籍していた東京都内の医師会では、開院1ヵ月前になっても挨拶のないクリニックがありましたが、特に問題にしていない様子でしたので、驚いたのを覚えています。